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第76話 雨の日に、君は敵になった。

 雨だった。


 空は黒い。


 山道は泥濘み、

 木々は風に揺れ、

 降り注ぐ雨が視界を白く濁らせている。


 その闇の中を。


 二人の高校生が走っていた。


 長い黒髪。


 濡れたブレザー。


 白い横顔。


 鵺野常夜ぬえの・とこよ


 その隣を、

 成川正人は必死に追いかける。


「急いで」


 常夜が振り返る。


 雨粒が頬を滑る。


 その顔は、

 妙に静かだった。


「うん……!」


 正人は息を切らしながら頷く。


 肺が焼ける。


 脚が重い。


 それでも止まれない。


 止まれば、

 終わる気がした。


 その時だった。


 ざりっ。


 前方の闇が動く。


 黒い影。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 いつの間にか、

 逃走路を塞ぐように立っていた。


「無駄だ」


 低い声。


「逃げられん」


 ぞくり、と背筋が粟立つ。


 影の一人が、

 ゆっくり手を差し出した。


「そいつを置いていけ」


 雨音だけが響く。


 沈黙。


 その中で。


 常夜が、

 ふっと笑った。


「嫌」


 即答だった。


 迷いがない。


「鍵も男も――どっちも私のもの」


 ぎらり。


 その瞳だけが、

 異様な熱を宿す。


「私だけの」


 その瞬間。


 正人の胸が、

 痛いほど脈打った。


「愚かな」


 影が吐き捨てる。


「情に流されたか」


「そうかもね」


 常夜は笑う。


 雨に濡れながら。


 ひどく綺麗に。


 まるで。


 全部壊れることを知っている人みたいに。


   ◇


 暗転。


   ◇


 血の臭い。


 硝煙。


 死体。


 壊れた木々。


 そして雨。


 地面に転がる無数の骸の中心で。


 二人の男女が、

 息を切らしていた。


「はっ……」


「っ……」


 正人は膝をつく。


 身体が動かない。


 血が止まらない。


 視界が霞む。


 隣では。


 常夜が、

 静かに空を見上げていた。


 制服は裂け、

 白い肌には無数の傷。


 それでも。


 彼女は笑っていた。


 まるで。


 自分が死ぬことなんて、

 どうでもいいみたいに。


 その時。


 空気が変わった。


 ふわり。


 銀色が降り立つ。


 長い銀髪。


 長い耳。


 幻想みたいな美貌。


 その女は、

 倒れた正人を抱き上げる。


「こいつは返してもらうよ」


 冷たい声。


 常夜は、

 血を吐きながら笑った。


「ふふっ……」


「もっと早く来なさいよ……」


 掠れた声。


「おかげで二人とも……

 死にかけてるじゃない……」


 その言葉を最後に。


 常夜の身体が傾く。


 ゆっくり。


 静かに。


 眠るみたいに。


 目を閉じた。


 雨が降る。


 降り続ける。


 正人の意識も、

 そこで途切れた。


   ◇


 ――それが。


 鵺野常夜の最後だった。


   ◇


 目を開ける。


 薄暗い部屋。


 窓を打つ雨音。


 ぱらぱら。


 一定のリズム。


 その音に、

 胸がざわつく。


 隣には。


 長い黒髪の少女。


 静かな寝息。


 白い肩。


 柔らかな温もり。


 常夜。


 ……違う。


 刹那だ。


「……」


 正人は、

 しばらく黙って彼女を見つめていた。


 似ている。


 本当に。


 時々、

 心臓が止まりそうになるくらい。


 でも違う。


 全然違う。


 常夜は、

 静かな毒だった。


 近づけば壊れる。


 何を考えているか分からない。


 でも目が離せない。


 そんな危うさ。


 一方で刹那は違う。


 怒る時は怒る。


 笑う時は笑う。


 不安な時は噛みつく。


 燃えるみたいに、

 真っ直ぐな女。


 そして。


 自分は今、

 その刹那を愛している。


 間違いなく。


 なのに。


 忘れられない。


 雨の日になると。


 どうしても。


 あの最後の笑顔が蘇る。


 血だらけで。


 全部失って。


 それでも。


 自分だけを選んだ少女。


「……っ」


 胸が痛む。


 仲間より。


 世界より。


 未来より。


 常夜は、

 自分を選んだ。


 なのに。


 自分は彼女を救えなかった。


 違う。


 救えなかったんじゃない。


 自分が、

 彼女に選ばせてしまった。


 その罪悪感が。


 今も胸の奥で、

 腐った棘みたいに残っている。


 ぱらぱら。


 雨が窓を叩く。


 別れの日も雨だった。


 予言の日も雨だった。


 そして今日も。


 雨。


 運命が、

 何かを告げているみたいに。


 その時。


 隣で、

 刹那が小さく身じろぎした。


「……正人?」


 眠たそうな声。


 薄く目を開ける。


「また、

 あの子の夢?」


 正人の肩が、

 ぴくりと揺れる。


 刹那は、

 全部分かっているみたいな顔で小さく笑った。


「ほんと……

 難儀な男」


「……ごめん」


「なんで謝るのよ」


 刹那は起き上がる。


 長い黒髪が肩を滑る。


 そして。


 そっと、

 正人の手を握った。


 温かい。


 現実の熱。


 今ここにあるもの。


「私は、

 消えたりしないわよ」


 その言葉に。


 正人の胸が締め付けられる。


 救われる。


 でも同時に苦しい。


 刹那を愛している。


 本当に。


 なのに。


 常夜を忘れられない。


 その時だった。


 窓の外。


 雨の向こう。


 一瞬だけ。


 黒い傘を差した、

 長い黒髪の女が立っている気がした。


 錯覚。


 そう思った。


 けれど。


 消える寸前。


 その女は、

 確かに笑った。


 ――あの頃と同じ顔で。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
遅れて来る正妻はいつだってエキセントリック 当人たちはままならないねぇ 3人で番えばいいとおもうんだけどな〜
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