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第75話 陰キャ聖女は、担任教師を運命の恋人だと思い込んでいる ~でも先生の隣だけ、世界が静かです~

 祓川高校。


 午後。


 職員室。


 コピー機の駆動音。


 教師たちの話し声。


 紙をめくる音。


 そんな“普通”の中に――彼女はいた。


 月戸律子つきど・りつこ


 長い前髪。


 牛乳瓶の底みたいな丸眼鏡。


 少し猫背。


 おどおどした挙動。


 制服の上からでも分かる大きな胸を隠すみたいに、

 ぎゅっと身体を縮こませている。


 どう見ても、

 “陰キャ女子”。


 でも。


 よく見れば分かる。


 肌は透き通るほど白く。


 手足は長く。


 唇は薄く綺麗で。


 隠れているだけで、

 本当は目を奪うほど整っていた。


 ただ本人だけが、

 自分を“気持ち悪い女”だと思っている。


 そんな彼女の前に。


 一人の男性教師が立った。


「じゃあ今日からよろしくね、月戸さん」


 穏やかな声。


「担任の成川和人なりかわ・かずとです」


 その瞬間だった。


 律子の呼吸が止まる。


「…………え?」


 ゆっくり顔を上げる。


 黒髪。


 少し眠たそうな目。


 優しそうな顔。


 どこにでもいそうな、

 少し頼りない国語教師。


 なのに。


 律子の世界が揺れた。


(いた)


 どくん。


(いた)


 どくん。


(ほんとにいた)


 眼鏡の奥で、

 瞳が震える。


(私の……)


(運命の恋人……)


 幽閉されていた日々。


 悪意だけが流れ込み続けた地獄。


 眠れない夜。


 吐き気。


 絶望。


 その中で。


 妄想の中だけで、

 自分を励ましてくれた人。


 “イマジナリーフレンド”。


 その顔と。


 目の前の教師が、

 まったく同じだった。


(運命なのよ)


 ぶわっ。


 涙が溢れ出す。


(この人に会うための試練だったの)


(全部)


(全部!!)


 ぐっと拳を握る。


「うっ……」


 肩が震える。


「うっ……うぅ……」


「えっ」


 和人が困った顔になる。


「月戸さん?」


「ありがとぉぉぉぉ……」


 ぼろぼろ泣き始めた。


「えっ!?」


「ほんとにありがとうぉぉぉぉ!!」


「え、なに!? どうしたの!?」


「うわぁぁぁぁぁぁん!!」


 職員室に響き渡る大号泣。


 教師たちが一斉に振り向く。


「成川先生!?」


「何したの!?」


「いや俺なにもしてない!!」


 完全に誤解されるやつだった。


 でも。


 律子にとっては。


 長い悪夢が終わった瞬間だった。


   ◇


 放課後。


 文芸部部室。


 西日。


 古本の匂い。


 静かな空気。


 所属部員――実質一名。


 つまり。


 今この空間には。


 律子と和人しかいない。


(やばい)


 律子は本を開きながら思う。


(先生と二人きり)


(合法)


(空間がもう新婚)


 もちろん。


 本など読めていない。


 ちらり。


 隣を見る。


 和人が本を読んでいる。


 真剣な横顔。


 ページをめくる指。


 少し無防備な姿勢。


(ぅゎ……)


(好き……)


 律子は、

 そっと鼻を動かした。


 くんくん。


(先生成分……摂取……)


 かなり危ない。


 でも本人は真剣だった。


 律子はそっと眼鏡を外す。


 前髪を下ろす。


 悪意の声は聞こえない。


 静か。


 安心する。


 その時だった。


(……心配だな)


「っ!?」


 律子の肩が跳ねた。


(いい子なんだけどな、月戸)


(コミュ障っていうか……

 昔の俺見てるみたいで放っとけない)


 聞こえた。


 心の声。


 律子の呼吸が止まる。


(優しい)


(なにこれ)


(好き)


「好きっ!!」


「え?」


 和人が顔を上げる。


「その本、好きなの?」


「ひゃっ!?」


 律子は飛び上がった。


 慌てて表紙を見る。


『ルールズ 

 理想の男性を落とすための35の法則』


「…………」


「…………」


 終わった。


「あっ、ちがっ」


「これはっ」


「えっとそのっ」


「図書室で偶然っ!!」


「吸い寄せられるようにっ!!」


「つまり運命でっ!!」


「そ、そっか……?」


 和人が苦笑する。


 その笑顔だけで、

 律子は致命傷だった。


「でもいいと思うよ」


「えっ」


「そういうの」


 柔らかい声。


「正直なのって」


 どくん。


「月戸さん、好きな人いるんだ?」


 ぼんっ。


 律子の頭が沸騰する。


 俯く。


 耳まで真っ赤。


 こくん。


 頷くのが精一杯。


「そっか」


 和人は笑った。


「月戸さんって、

 素朴だけど気配りできるし」


「優しいし」


「すごくいいお嫁さんになりそうだよね」


 その瞬間。


 律子の脳内で。


『俺さ』


『月戸さんみたいな子に、

 嫁に来てほしいんだ』


『いや』


『君に来てほしい』


 変換された。


「ひゃーーーーーーっ!!」


 がたんっ!!


 椅子ごと後ろに転ぶ。


「月戸さん!?」


 床に座ったまま、

 こくこくこくこく高速で頷く律子。


「えっ、なに!?」


「だ、大丈夫ですっ!!」


「むしろ嬉しいっていうか!!」


「そうなりますから!!」


「そうなる!?」


 和人が困惑する。


 律子は胸を押さえた。


(好き)


(好き好き好き好き)


(優しい)


(怖くない)


(否定しない)


(利用価値で見ない)


 世界には悪意が溢れている。


 笑顔の裏で。


 誰も彼も、

 他人を値踏みする。


 利用する。


 傷つける。


 でも。


 この人だけは違った。


 だから。


 律子は。


 救われるみたいに、

 恋に落ちた。


   ◇


 帰り道。


 夕焼け。


 住宅街。


 律子は一人で歩いていた。


 胸に本を抱えて。


 スキップしそうになる足を、

 必死に抑えながら。


 眼鏡の奥。


 涙が少しだけ滲む。


 いつも聞こえる悪意が。


 今日は少し遠かった。


 スマホを開く。


 メモ帳。


『成川先生に名前呼ばれた』


『笑ってくれた』


『心配してくれた』


『お嫁さんって言われた』


「……えへへ」


 にやける。


 気持ち悪いくらい。


 でも止まらない。


 世界はまだ怖い。


 人も怖い。


 悪意も消えていない。


 それでも。


 たった一人。


 あの人のそばだけは。


 静かだった。


 胸を押さえる。


(……好き)


 ぽつり。


 呟く。


 その声は。


 今までの人生で一番、

 幸せそうだった。



 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。


 ひとまず、“狂乱の聖女”――月戸律子編は、ここで一区切りとなります。


 彼女と和人の物語、

 そして“ゲッテル姉妹”の過去については、

 いずれ別作品として掲載予定です。


 かなり好き放題やる予定なので、

 楽しみにしていただけたら嬉しいです。


 そして次回からは、

 再び本編へ。


 アルケミスト。

 刹那。

 正人。

 それぞれの思惑が、

 ここから大きく動き始めます。


 読んでいて、

「ここ好き」

「律子ヤバい」

「ジャックが不憫」

 などなど、

 リアクションや感想を気軽にいただけると、とても励みになります。


 今後とも、よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
リッチャンハカワイイですよ? >『お嫁さんって言われた』 言われてませんw 別編予定とのことで楽しみね
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