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第70話 ミッドナイト・ラン・オブ・ザ・デッド ――怪物たちの夜に、“普通”は牙を剥く――

 カレイドスコープは、

 ゆっくりと正人へ歩み寄っていた。


 血塗れの執務室。


 床に転がる死体。


 砕けた酒瓶。


 硝煙。


 鉄臭い血の匂い。


 その中心で。


 黒衣の男だけが、

 異様なほど静かだった。


 手には斧。


 無表情。


 感情のない目。


 まるで。


 死そのもの。


 正人はショットガンを構える。


 だが。


 指が震えていた。


 銃口が定まらない。


 喉が渇く。


 呼吸が浅い。


 脚が逃げろと言っている。


(怖い……)


 心の底から。


 怖かった。


 今までの敵とは違う。


 こいつは。


 本当に。


 人間じゃない。


 カレイドスコープが止まる。


「撃て」


 短い一言。


 その瞬間。


 正人は反射的に引き金を引いていた。


 轟音。


 火花。


 散弾が空間を裂く。


 だが。


 そこに、

 もう姿はなかった。


「――っ!?」


 背後。


 衝撃。


「がっ!!」


 蹴り。


 それだけで正人の身体が吹き飛ぶ。


 壁へ叩きつけられる。


 肺の空気が全部抜けた。


 ショットガンが転がる。


 視界が揺れる。


 痛い。


 息ができない。


 カレイドスコープは、

 無表情のまま見下ろしていた。


「立て」


 静かな声。


「終わりたくないなら」


 正人は、

 震える腕で立ち上がる。


 脚が笑う。


 肩が痛む。


 怖い。


 逃げたい。


 なのに。


 刹那が、

 血を流して倒れているのが見えた。


「……っ」


 逃げられない。


 腰へ手を回す。


 抜く。


 マチェット。


 重い刃。


 震える。


 だが。


 深く息を吸った。


 昔の修行を思い出す。


 トメ。


 ジャック。


 何度も叩き込まれたこと。


 ――呼吸を止めるな。


 ――恐怖を見るな。


 ――相手を見ろ。


 すぅ……。


 呼吸が深くなる。


 震えが少しずつ消えていく。


 視界が澄む。


 正人は、

 まっすぐカレイドスコープを見る。


 逃げずに。


 逸らさずに。


 その目を。


 カレイドスコープが、

 ほんの少し首を傾けた。


「お前」


 一歩。


「なんで逃げない」


 正人は息を吐く。


「……怖いからだ」


 沈黙。


「怖い?」


「ああ」


 正人は、

 ちゃんと頷いた。


「めちゃくちゃ怖い」


「でも」


 一拍。


「ここで逃げたら」


「一生後悔する」


 静寂。


 カレイドスコープの口元が、

 わずかに動く。


「そうか」


 一歩。


 次の瞬間。


 斧が振り下ろされる。


 正人は踏み込んだ。


 ガギィィン!!


 火花。


 マチェットで受け流す。


 重い。


 腕が痺れる。


 だが。


 正人は斬り返した。


 一閃。


 刃がカレイドスコープの頬を裂く。


 血。


 静寂。


 そして。


 ニタァ――。


 カレイドスコープが笑った。


 初めて。


 心底楽しそうに。


「いい」


 その瞬間。


 斧の連撃。


 暴風。


 殺意。


 一撃ごとに床が砕ける。


 正人は必死で受ける。


 だが。


 重い。


 速い。


 腕が限界だった。


「ぐっ……!!」


 肩へ斧が食い込む。


 鮮血。


 マチェットが手から滑る。


 膝をつく。


 呼吸が乱れる。


 右腕が上がらない。


 視界が滲む。


 カレイドスコープの影が、

 ゆっくり大きくなる。


「終わりだ」


 斧が振り上げられる。


 死。


 その時だった。


 トッ。


 トッ。


 トッ。


 軽い足音。


 ハッ。


 ハッ。


 ハッ。


 小さな息遣い。


 白い影。


 丸い。


 ふわふわ。


 小さなチワワ。


 マルス。


 その小さな身体が。


 正人の前へ立った。


 静寂。


 沈黙。


「グルルルル……」


 低い威嚇。


 小さな身体。


 なのに。


 一歩も退かない。


 カレイドスコープが、

 じっとマルスを見る。


 無表情。


 だが。


 空気が変わった。


「……そうか」


 小さく呟く。


「お前も、“向こう側”か」


 正人の背筋が冷える。


 何だ。


 今の。


 カレイドスコープは、

 本気で何かを理解した顔をしていた。


「お前は何だ」


 問いかけ。


 マルスは答えない。


 ただ。


 真っ直ぐ見返す。


 怯まず。


 臆せず。


「マルス……!!」


 正人が呻く。


 すると。


 マルスは小さく鼻を鳴らした。


「ふん」


 まるで。


 ――黙って見てろ。


 そう言いたげに。


 そして。


 ニヤリ。


 本当に、

 そう見えた。


 カレイドスコープが、

 ゆっくり両手を広げる。


「最高だ」


 一歩。


「形は小さい」


 一拍。


「だが」


 その目が、

 初めて熱を持った。


「本物の戦士だ」


 敬意。


 本気だった。


 カレイドスコープは、

 斧を床へ落とす。


 代わりに。


 腰からリボルバーを抜いた。


 六連発。


 一発だけ抜く。


 カチ。


 シリンダーを回す。


「サシの勝負だ」


 マルスを見る。


 躊躇なく。


「俺からだ」


 こめかみへ銃口。


 ガチッ。


 不発。


 静寂。


 カレイドスコープは、

 もう一度シリンダーを回す。


 今度は。


 マルスへ向けた。


 マルスは、

 おすわり。


 ハッ。


 ハッ。


 ハッ。


 舌を出しながら。


 まっすぐ、

 カレイドスコープを見ていた。


 ――いいぜ。


 本当に、

 そう言ってるみたいだった。


 銃口。


 沈黙。


 ガチッ。


 不発。


 静寂。


 カレイドスコープが、

 ゆっくり頷く。


「俺達は」


 一拍。


「今日、死ぬ運命じゃない」


 そして。


 なぜか。


 友を見るみたいな目で、

 マルスを見る。


「じゃあな」


 踵を返す。


 そのまま闇へ消えていった。


 残されたのは。


 マルスの小さな息遣いだけだった。


 しばらくして。


 燃え落ちる屋敷を背に、

 一行は山道を歩いていた。


 夜風。


 焦げ臭い匂い。


 誰も通らない舗装路。


 横一列。


 先頭のジャックが、

 煙草を咥えながら歩く。


「くそっ……」


「俺の渋い毛並みが……」


 頭頂部を押さえる。


「完全にジェイソン・ステイサムじゃねえか……」


「そこまでカッコよくないわよ」


 即答する刹那。


 その腕の中には。


 マルス。


 もふもふ。


 白い綿毛。


 つぶらな瞳。


「あ〜よしよし〜」


「いい子ね〜」


 完全に溺愛していた。


 正人は苦笑する。


 すると刹那が、

 ちらりと正人を見る。


「あんた」


「……はい」


「少しはマシになったじゃない」


「え?」


「逃げなかった」


 一拍。


「ちゃんと前に出た」


 正人は言葉に詰まる。


 少しだけ。


 嬉しかった。


 刹那は、

 ふっと笑った。


「でも」


 マルスを抱きしめる。


「結局、一番活躍したのはこの子ね」


「うそだろ!? 俺だろうが!!」


 ジャックが抗議する。


「あんた、いつも酒飲んで管巻いてるじゃない」


「アイドルの座、奪われるの当然よ」


「騙されんなよ」


 ジャックが煙草を咥え直す。


「そいつ」


 一拍。


「バケモンだからな」


 その時だった。


「おーい!!」


 エリュアールが山道を駆けてくる。


「生きて――」


 止まる。


 視線。


 刹那の腕の中。


 マルス。


「げっ」


 顔面蒼白。


 完全に硬直した。


「あんた、あの鎖帷子どうしたの?」


 刹那が聞く。


 エリュアールは、

 マルスから視線を逸らせないまま。


「う、うん……倒した……」


 一拍。


「……死ぬかと思った」


 乾いた笑い。


「あと、それ犬じゃない」


 沈黙。


「絶対、犬じゃない……」


 マルスは。


 そんなエリュアールを見て。


 ふん、と鼻を鳴らした。


☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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