第68話 ノー・モーニング・フォー・ザ・デッド ――死神は、運命を確認する―
屋敷の執務室。
深夜。
重厚な木製デスク。
壁に掛けられた抽象画。
革張りのソファ。
酒棚には年代物のウイスキー。
成功者の部屋だった。
金の匂いがする。
権力の匂いがする。
そして今――その部屋には、恐怖の匂いが満ちていた。
「急げ」
銀縁眼鏡の男が低く言った。
ストライプの高級スーツ。
神経質そうな細い指。
額には汗。
男――“バンカー”は、スーツケースへ書類を乱暴に詰め込んでいた。
偽造パスポート。
海外口座。
裏取引の契約書。
政治家の名前。
企業の不正データ。
どれも、世界を揺らせる代物だった。
周囲には五人の護衛。
全員武装。
だが、その顔には余裕がない。
遠くから響いてくる。
銃声。
悲鳴。
何かが壊れる音。
屋敷のどこかで、
誰かが死んでいる。
「車は?」
「裏へ回しております」
「ヘリは」
「待機済みです」
「……よし」
バンカーが頷く。
その時だった。
「お前は、どこへ行くんだ」
静かな声。
低い。
妙に落ち着いた声。
全員が振り向いた。
部屋の奥。
大きな革張りの椅子。
そこに男が座っていた。
黒シャツ。
黒ズボン。
中肉中背。
セミロング。
青白い顔。
死人みたいな無表情。
膝の上には、
サプレッサー付きショットガン。
カレイドスコープ。
瞬きをしない。
視線だけが、
じっとバンカーを見ていた。
「……別のアジトだ」
バンカーが苛立ったように答える。
「違う」
即答。
「そういうことを聞いてるんじゃない」
沈黙。
護衛たちが顔を見合わせた。
「明日を、どこで迎える」
無機質な声。
「……は?」
「どこで朝を迎える」
「何を言ってる」
「だから」
カレイドスコープは首を傾げる。
「お前は、明日どこにいる」
バンカーが舌打ちした。
「東だ」
「東のアジトに移動する」
「そこで朝を迎える予定だ」
カレイドスコープは、
じっと見ていた。
瞬きもしない。
まるで死体の目だった。
そして。
「お前は駄目だ」
「……何?」
「理解していない」
沈黙。
護衛の一人が苦笑する。
「おいおい、旦那」
「冗談キツいっすよ」
誰も笑わなかった。
カレイドスコープだけが、
何も変わらない顔をしている。
「賭けだ」
黒いポケットから、
古びたリボルバーを取り出した。
カチ。
カチ。
カチ。
三発。
六発装填の回転式拳銃へ、
三発だけ弾を込める。
シリンダーを回す。
ギュルルル――
「確率は二分の一」
静かだった。
「死ぬか」
一拍。
「生きるか」
護衛の一人が顔を引き攣らせた。
「……やめましょう」
カレイドスコープは無視する。
「お前が先に引くか」
「それとも俺か」
バンカーが乾いた笑いを漏らした。
「お前、本当に大丈夫か?」
「そうか」
カレイドスコープは立ち上がる。
「なら俺からだ」
そのまま。
自分のこめかみに、
リボルバーを当てた。
部屋の空気が凍る。
そして。
バチッ――
引き金。
沈黙。
弾は出ない。
誰も動けなかった。
カレイドスコープは、
静かにリボルバーを差し出す。
「次はお前だ」
バンカーの顔が引き攣る。
「付き合ってられるか」
「運命に打ち勝て」
無表情。
感情がない。
まるで。
天気の話でもしているみたいだった。
バンカーは苛立ちながら、
リボルバーを掴み取る。
「……ふざけやがって」
こめかみに当てる。
だが次の瞬間。
銃口を反転。
カレイドスコープへ向けた。
「死ね」
バン!!
発砲。
その瞬間。
そこに、
もうカレイドスコープはいなかった。
最初から存在しなかったみたいに。
ドンッ――!!
ショットガン。
バンカーの胸が爆ぜる。
血肉が飛び散った。
絶叫。
「撃て!!」
護衛たちが銃を向ける。
だが遅い。
パン。
パン。
パン。
冷静。
正確。
躊躇ゼロ。
額。
喉。
眼球。
護衛たちが次々と崩れ落ちる。
一人が泣きながら命乞いした。
「ま、待ってくれ……」
パン。
終わりだった。
静寂。
血溜まり。
硝煙。
バンカーは、
まだ息をしていた。
「が……ぁ……」
肺が潰れている。
血泡が漏れる。
その頭へ。
ゆっくり。
ショットガンの銃口が向けられた。
カレイドスコープは、
無表情のまま見下ろす。
「お前はもう決まっていた」
一拍。
「今日、ここで死ぬ」
バンカーが震える。
「待て……金なら……」
「海外ルートも……」
「お前にも分け前を――」
「違う」
即答。
「俺が決めたんじゃない」
静かな声。
「そういう流れだった」
バンッ――!!
轟音。
頭部が消える。
赤黒い血飛沫が、
壁の絵画を染めた。
静寂。
カレイドスコープは、
返り血を浴びたまま立っている。
無表情。
死体を見下ろす。
数秒。
「……ふっ」
小さく笑った。
笑った理由は、
誰にもわからなかった。
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