第67話 ミッドナイト・ラン・オブ・ザ・デッド 〜猫は笑い、地獄の犬はまだ眠る〜
夜。
屋敷の庭園。
砕けた石像。
弾痕だらけの壁。
火薬と血の臭いが混ざり合い、冷えた山の空気に漂っていた。
ジャックは、ゆっくりと呼吸を整える。
腹が痛ぇ。
だが、顔には出さない。
アロハシャツの胸元を軽く引っ張り、風を通す。
「……湿気ひでぇな」
対する女は、楽しそうに笑った。
巨大なアフロ。
褐色の肌。
鋼鉄みたいな鉤爪。
バグ・ナグ。
彼女は、砕けた車の上にしゃがみ込みながら、獣みたいな目でジャックを見下ろしていた。
その爪には、
さっき裂いた警備車両の鉄板が引っ掛かっている。
ギギギ――
鉤爪が車体を削る。
火花。
金属音。
わざとだ。
威嚇。
「しぶといわねぇ、猫ちゃん」
「褒め言葉として受け取っとく」
ジャックは二丁のオートマチックを構えた。
だが撃たない。
タイミングを測っている。
(……少しでも時間を稼ぎてえ)
刹那と正人は先へ行った。
なら、自分の役目は一つ。
ここで止める。
死んでも。
「あのよ」
ジャックが口を開く。
「何よ」
「タバコ吸っていいか?」
一瞬。
バグ・ナグが吹き出した。
「は?」
「最後の一本ってやつ」
「死ぬ気満々じゃない」
「人生、諦めが肝心なのさ」
「ふふっ……好きよ、そういう男」
ジャックは半ズボンのポケットから煙草を取り出した。
咥える。
火を点ける。
紫煙が夜へ溶ける。
深く吸う。
肺が焼ける。
だが、その感覚が妙に落ち着いた。
「……お前、吸わないのか?」
吸いかけを差し出す。
「人の吸いかけ渡す? 普通」
「仲良くなれるかなって」
「絶対なれないわ」
だが、バグ・ナグは少し笑っていた。
その間も。
爪先は地面を掴んでいる。
いつでも飛び込める姿勢。
「時間稼ぎは終わり?」
アフロが揺れる。
「今頃、あんたの仲間――死んでる頃じゃない?」
ジャックは煙を吐いた。
「……まあ、そういうこともあるかな」
自嘲気味に笑う。
だが。
その目だけは死んでいなかった。
バグ・ナグが眉をひそめる。
「何よ、その余裕」
「一応、聞いとくが」
「ほんとに殺るのか?」
「当たり前よ」
「やめといた方がいいと思うぜ」
「死ぬのは、あんた」
鉤爪がジャックを指す。
すると。
ジャックは肩をすくめた。
「いや」
「お前だ」
沈黙。
風が吹く。
山の木々がざわめく。
「お前さ」
ジャックの猫目が細くなる。
「――“うちの犬”見たことねぇだろ」
その瞬間。
バグ・ナグの笑みが、少しだけ消えた。
「……は?」
「やめとけ」
「今ならまだ、間に合う」
次の瞬間。
地面が爆ぜた。
バグ・ナグが突っ込む。
速い。
車より速い。
人間の反応速度じゃ捉えられない。
だが。
同時に。
ジャックの二丁拳銃が火を吹いた。
バン! バン! バン!!
閃光。
硝煙。
だがバグ・ナグは笑う。
鉤爪が弾丸を弾いた。
火花。
金属音。
「ッハ!!」
そのまま踏み込む。
爪撃。
ジャックの首を狙う。
だが。
猫獣人の身体が異様な軌道で跳ねた。
壁を蹴る。
柱を蹴る。
天井すれすれを滑る。
さらに発砲。
「でたらめな身体能力ね!!」
「猫だからな」
ニヤリと笑う。
そのまま。
パン! パン! パン!
周囲の照明を撃ち抜く。
闇。
一瞬で視界が死ぬ。
「……っ」
バグ・ナグが舌打ちした。
猫は夜に強い。
知っている。
だが。
ここまでとは思わなかった。
音が消える。
気配が消える。
闇そのものが、牙を剥いてくる。
「――無駄だ」
前方から声。
振り向く。
いない。
「お前は、俺を察知できない」
今度は右。
「どこ――」
背後。
殺気。
振り返る。
だが遅い。
ズブリ――
ジャックの爪が、
バグ・ナグの腹へ深々と突き刺さった。
「――ッ!!」
血。
熱。
内臓。
だが。
バグ・ナグは笑った。
苦悶の中で。
口角を吊り上げる。
「待ってた」
「っ!?」
鉤爪が振り上がる。
至近距離。
回避不能。
ザグッ――!!
ジャックの腹へ、
深々と突き刺さった。
「ぐっ……!!」
血が噴き出す。
だがジャックは止まらない。
至近距離。
ゼロ距離発砲。
バン!! バン!! バン!!
銃弾が肉を砕く。
骨を裂く。
最後の一発で、
バグ・ナグの身体が大きく吹き飛んだ。
静寂。
硝煙。
そして。
血まみれのジャックだけが立っていた。
「……くそっ」
腹を押さえる。
血が止まらない。
「しくじったな……」
壁へ背中を預ける。
ずるり、と座り込む。
視界が霞む。
寒い。
指先の感覚が消えていく。
「トメさん……」
掠れた声。
「あんたの恩……まだ返してねぇのによ……」
一拍。
「ポチ……」
遠い記憶を見る目。
「まあ……いいか……」
煙草を咥える。
火を点ける。
紫煙が夜空へ昇る。
その時。
ハッ……
ハッ……
小さな息遣い。
小さな影。
白い綿毛みたいなチワワ。
ジャックは薄く笑った。
「……来るなっての」
チワワは答えない。
ただ。
じっと闇を見ていた。
その瞬間。
周囲の虫の声が止まる。
風も止まる。
空気が重く沈む。
ジャックの猫耳が、
ぴくりと震えた。
チワワの瞳が赤く染まる。
喉の奥から。
低い。
低すぎる唸り声。
まるで、
地獄の底で岩が擦れるような音。
ギギギギ――
地面が沈む。
白い毛並みが、
ゆっくり逆立っていく。
ジャックは目を細めた。
「……だから、やめろって」
その声を最後に。
意識が闇へ沈んだ。
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