第61話 ミッドナイト・ラン ――一晩で終わる“簡単な仕事”―
次の日の夜――。
マンション地下駐車場。
蛍光灯の白い光が、コンクリートの床を冷たく照らしていた。
静かだ。
車の音もない。
人影もない。
ただ、遠くで換気扇の低い唸りだけが響いている。
その地下空間へ――。
黒いセダンが滑り込んできた。
古い。
角張っている。
今どき珍しい七人乗り。
どこか昭和の刑事ドラマじみた無骨な車体だった。
タイヤが止まる。
運転席の窓は全開。
そこから、ぬっと毛むくじゃらの顔が出てきた。
「よう」
猫だった。
正確には、猫獣人。
しかもアロハシャツ。
半ズボン。
サンダル。
煙草。
治安が終わっていた。
「……よくその姿で運転できたね」
正人が素直に感心すると、ジャックは鼻で笑った。
「まあな。道中、みんな二度見してたぜ」
「でしょうね……」
「このファッションだからな」
アロハをつまむ。
「まだ肌寒いみたいでよ」
「俺は暑いけどな」
ガハハ、と笑うジャック。
正人も刹那も、
“猫が車を運転している”
という根本的な異常については、もう触れなかった。
この世界でそこを気にしたら負けだ。
「……この車、どうしたの?」
刹那がジト目で聞く。
「借りた」
「誰に?」
「ダチ」
即答。
胡散臭い。
正人と刹那の目が完全に冷える。
ジャックは大きく息を吐いた。
「大丈夫だって」
「足はつかねぇ」
「蛇の道はスネークってな」
そう言って、指でへにゃへにゃ蛇の真似をする。
全然うまくない。
「そういうマーケットがあんだよ」
「……じゃあ、お金は?」
刹那の追及。
「うん?」
沈黙。
「細けぇことはいいんだよ」
「盗難届も出ねぇから安心しろ」
「そこが一番怖いんだけど」
絶対まともな方法で入手していない。
だが。
今さらだった。
ここにいる時点で、全員まともじゃない。
地下駐車場。
シャツにジーンズの正人。
セーラー服の刹那。
アロハ姿の猫獣人。
地獄みたいな組み合わせだった。
するとジャックが、車の後ろへ回る。
「おい。来てみろ」
嫌な予感しかしない。
正人と刹那が近づく。
ジャックはもったいぶるようにトランクへ手をかけた。
ガコン。
「んーーーーーーーーーーッ!!」
中から全力の悲鳴。
「「あー……」」
二人の声が綺麗に重なった。
そこにいたのは――。
猿轡。
結束バンド。
後ろ手拘束。
足まで縛られたエリュアールだった。
涙目で暴れている。
「んーーーーーーー!!」
「お前……何してんの……?」
正人がドン引きする。
ジャックは煙草をくわえたまま肩をすくめた。
「こいつバカなんだよ」
「今さら無関係で通るわけねぇだろ」
その声だけ、妙に冷たい。
「殺害命令が出てる」
エリュアールの動きが止まる。
「アルケミストが、お前を生かしておくわけねぇ」
「盲みてぇな連中と裏取引するやつだぞ」
「知りすぎた駒なんざ、最後は消す」
静かな口調。
だが現実味があった。
「逃げ切れるわけねぇんだよ」
「だったら」
ジャックは煙草を吐き出す。
「こっちから打って出るしかねぇ」
その瞬間だけ。
ふざけた猫ではなく、
裏社会を生き残ってきた男の顔になった。
エリュアールが震える。
「ん……っ」
「そこでしばらく反省してろ」
バタン。
トランクが閉まる。
「んーーーーーーーーーーー!!」
車内へ響く悲鳴。
しかし。
次の瞬間。
またトランクが開く。
「んっ!?」
少し期待したような声。
ジャックは無言で大きなバッグを放り込んだ。
重い金属音。
ジッパーを開く。
中には――銃器。
「……お前、使えるだろ」
刹那へオートマチック拳銃を一丁放る。
刹那は慣れた手つきで受け取った。
確認。
安全装置。
マガジン。
薬室。
流れるような動き。
正人は思わず引く。
ジャックはさらに一丁、自分の腹へ差し込む。
そして正人を見る。
「お前は?」
「……使ったことない」
「いいさ」
ジャックは拳銃を放った。
反射的に受け取る正人。
重い。
想像以上に。
「持っとけ」
「何事も経験だ」
「そんな経験いらないんだけど……」
「人生、突然必要になる」
ジャックは真顔だった。
そのままエリュアールの叫びを無視して、再びトランクを閉める。
車へ乗り込む。
運転席――正人。
助手席――刹那。
後部座席――ジャック。
ジャックはどかっと腰を下ろした。
刹那が護符を取り出す。
ぺたり。
ダッシュボードへ貼る。
淡い光。
「傀儡化緩和の護符」
「便利だな……」
「便利じゃないと死ぬの」
刹那は静かに言った。
その間にジャックが、何かを投げてよこす。
「ほら」
「……ETCカード?」
「使え」
一瞬。
正人の脳裏に、
“偽造”
の文字が浮かぶ。
だがもう聞かない。
聞けない。
知れば終わる気がした。
「……ありがとう」
「おう」
ジャックは煙草へ火をつける。
窓の外を眺めながら、ふと思い出したように言った。
「そういやお前ら」
「なに?」
「新婚旅行じゃねぇか」
「ぶっ!?」
刹那が吹き出した。
顔が真っ赤になる。
「ち、違っ……!」
「あー、いや」
ジャックが顎を撫でる。
「婚前旅行か」
「変わってない!!」
刹那が叫ぶ。
ジャックはニヤリと笑った。
「いいじゃねぇか」
「会って、話聞き出すだけだろ?」
そして低い声で続けた。
「――ちょっとしたミッドナイト・ランさ」
一晩で終わる。
簡単な仕事。
そういう意味だった。
正人はハンドルを握る。
夜の高速道路。
隣には刹那。
後ろには煙草臭い猫獣人。
トランクには縛られた女。
「……なんだこれ」
数日前まで。
ただの会社員だった。
だが。
不思議と後悔はなかった。
「じゃあ、行くぜ」
ジャックが笑う。
エンジンが唸る。
黒いセダンが、ゆっくり地下駐車場を抜ける。
西へ。
夜の高速道路へ。
化け物と。
復讐者と。
猫と。
縛られた女を乗せて。
車は、闇の中を走り出した。
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