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第60話 オスの三毛猫とミッドナイト・ラン

 昼下がりのマンション。


 窓から差し込む西日が、リビングを橙色に染めていた。


 ローテーブルの上には、開けっぱなしの煎餅袋、灰皿、焼酎の瓶。


 煙草の煙が、だらしなく天井へ流れていく。


 場末の飲み屋みたいな空気だった。


 ただし話している内容だけは、最悪だった。


「バンカーか〜……」


 刹那が腕を組み、ソファに深く腰掛けながら呟く。


「あいつは文字通り“金庫番”だから」


「戦闘自体はそこまで強くない」


 一拍。


「でも厄介」


 黒曜石みたいな瞳が細くなる。


「異常なくらい慎重なのよ」


「めったに外を出歩かないし、拠点も複数持ってる」


「たぶん今頃、警備は最大レベル」


 戮子が煙草をふかしながら鼻で笑った。


「しかも盲のやつ、絶対アルケミストに流してるね」


 グビリ。


 コップ酒を煽る。


「あいつはそういう女さ」


「善悪じゃない」


「面白いかどうか」


「それだけ」


「最悪……」


 刹那が露骨に嫌そうな顔をする。


 だが戮子は、どこか楽しそうですらあった。


 修羅場を生きすぎた人間の顔。


 正人は頭を掻いた。


「で、こっちの戦力は?」


 現実的な話だった。


 刹那は静かに答える。


「私は、正人がいないと中に入れない」


「それに全力で動けるのは三十分」


「できればギリギリまで温存したい」


「バンカーの顔知ってるの、私だけだから」


「つまり」


 正人が言葉を継ぐ。


「それまで前衛張れるやつが必要ってことか」


「そういうこと」


「私は、行かない。あんたたちは、もう夫婦だ」


 煙草をふかしながら戮子が言う。


「これ以上のお節介はしないよ」


「自分たちでなんとかしな」


「っ……」


 刹那の肩がビクリと揺れる。


 耳まで真っ赤になる。


 視線が泳ぐ。


 膝の上で指がもじもじ動く。


 そして――


 俯いたまま、口元だけが緩む。


 完全に隠しきれていなかった。


「おい、刹那……?」


「う、うるさい……」


 震える声。


 だが嬉しさは隠せていない。


 戮子は呆れたように酒を煽る。


「あの啖呵、今さら撤回するようなヘタレなら死にな」


 重たい沈黙。


 その時だった。


 そ〜〜〜っ……


 ものすごく静かに。


 エリュアールが玄関へ向かっていた。


 完全に逃亡する人間の動きだった。


 ピタリ。


 全員の視線が突き刺さる。


「…………」


 固まるエリュアール。


 ぎこちなく振り返る。


「……はっ」


「私?」


 引きつった笑顔。


「いやいやいやいや」


「ムリムリムリ」


「絶対行かないからね!?」


「だいたい関係ないし!」


「待ち構えてる敵地とか頭おかしいから!」


「私、平和主義なの!」


 早口だった。


 完全に命の危険を察知した小動物だった。


 戮子が煙を吐く。


「そうかい」


「残念だねぇ」


「じゃ、生きてたらまた会いましょう」


「怖っ!?」


 エリュアールは半泣きで飛び出した。


 バタン!!


 勢いよく閉まるドア。


 静寂。


 正人がぽつり。


「……薄情じゃない?」


「賢いとも言う」


 刹那が真顔で返した。


 すると戮子が、ふと思い出したように言う。


「そういや、ここペット飼えるだろ」


「……え?」


 唐突すぎた。


「う、うん」


「まあ……」


「そうかい」


 戮子は立ち上がる。


 そのまま奥へ消え――


 数十秒後。


 ガラガラと音を立てながら、ケージを持って戻ってきた。


「はい?」


 正人が目を丸くする。


 ケージの中。


 そこには一匹の三毛猫がいた。


 オス。


 異常な希少種。


 毛並みは綺麗だった。


 だが目つきが悪い。


 異様に悪い。


 “飲み屋で政治語ってる中年”みたいな目だった。


「あっ、ジャック」


 正人が声を上げる。


 ニャァ〜〜ン。


 甘えた鳴き声。


 しかし。


 その目だけは違った。


 真っ直ぐ、正人と刹那を見る。


 まるで、


『任せろ』


 そう言いたげな、不敵な目。


 それを見た正人は。


「……なんとかなるかも」


「何が?」


 刹那が眉をひそめた。


 その瞬間。


 ガチャリ。


 ケージが、内側から開いた。


「えっ?」


 次の瞬間。


 三毛猫が飛び出した。


 宙で身体が膨張する。


 骨が鳴る。


 筋肉が盛り上がる。


 そして。


 現れたのは――


 猫の顔。


 だが身体は、大柄な獣人。


 全身もふもふ。


 アロハシャツに半ズボン。


 どう見ても南国帰りのチンピラ中年だった。


「くそっ……」


「扱い、マルスのやつとだいぶ違くねぇか」


 低い声。


 疲れたベテラン刑事みたいな声だった。


 ジャックは大きく手を広げる。


「婆さん、タバコ」


「人に借りる態度じゃないね」


 言いながら、戮子が一本投げる。


 ジャックは慣れた手つきで咥え、火をつけた。


 スゥゥゥ……


 深く吸い込み。


「……っはぁ」


 紫煙を吐く。


 妙に絵になる。


 刹那が、ドン引きした顔で正人を見る。


「……なにこれ」


「久しぶり、ジャック」


 ジャックはソファにドカッと座る。


 そして正人を指差した。


「正人」


「俺が来たからには大丈夫だ」


「うん。期待してる」


「あと待遇改善しろ」


「え?」


「高級フード」


「危険手当」


「寝床は窓際」


「あと風呂は入らねぇ」


「ギリ、シャワー」


「そこは譲れねぇ」


「知らないよ!?」


 ジャックは煙草を咥えたまま、刹那を見る。


「あんた、ほんとにやれんの?」


 刹那の疑いの視線。


 するとジャックは、本気で驚いた顔をした。


「おいおい」


「お前、分かってねぇな」


 人差し指を立てる。


「俺はオスの三毛猫だぞ?」


 一拍。


「宝くじレベルだ」


「そこ!?」


「遺伝子的に奇跡なんだよ」


「人生だいたい勝ってる」


「意味わかんないんだけど……」


 ジャックは肩をすくめる。


「だいたいな」


「危険な仕事ってのは、断った時点でもっと危険になるんだよ」


「……経験談?」


「経験談だ」


 即答だった。


 そしてジャックは、勝手に戮子のグラスを取った。


 グビリ。


 焼酎を飲む。


「……ん」


 眉をひそめる。


「少し薄いな」


 カラン。


 グラスを揺らした。


 完全に飲み屋の面倒くさい常連だった。


 刹那が深いため息を吐く。


「……ほんとに大丈夫なの?」


 するとジャックは。


 煙草を咥えたまま。


 ニヤリと笑った。


「安心しな、お嬢ちゃん」


「修羅場ってのはな」


 一拍。


「だいたい勢いでなんとかなる」



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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