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第57話 ヤク中ダークエルフは、俺を亭主にしたいらしい。

 教室の隅。


 窓際の一番後ろ――そこだけ、まるで別世界みたいだった。


 春の陽射し。


 揺れる白いカーテン。


 そこに、一人の少女が座っている。


 ベージュのブレザー。


 チェックのスカート。


 腰まで届く、艶やかな黒髪。


 雪みたいに白い肌。


 吸い込まれそうな黒曜石の瞳。


 整いすぎた顔立ちは、日本人形じみていて。


 なのに。


 どこか、人間離れした冷たさもあった。


 ――鵺野ぬえの 常夜とこよ


 学校中で知らないやつはいない。


 男子は憧れ。


 女子は羨望。


 教師すら、どこか彼女には気を遣っていた。


 対して、俺は。


 クラスの隅にいるだけのモブ。


 友達は少ない。


 目立たない。


 そんな俺が、ただ遠くから彼女を見ている。


 それだけのはずだった。


 ふと。


 彼女が顔を上げる。


 黒曜石みたいな瞳が、真っ直ぐこちらを見る。


 どくり、と胸が鳴った。


 そして。


 彼女は、にこりと微笑んだ。


 まるで。


 最初から俺を知っていたみたいに。


 ――それが、彼女との出会いだった。


 次の瞬間。


 視界が揺れる。


 夢が、崩れる。


「……っ」


 ゆっくり目を開ける。


 見慣れた天井。


 そして。


 すぐ目の前に――セーラー服の少女。


「おはよう」


 一瞬。


 心臓が跳ねた。


 夢の中の常夜と、重なる。


 黒髪。


 白い肌。


 整った顔立ち。


 けれど。


 違う。


「……刹那」


「なによ。寝ぼけてるの?」


 呆れたように肩をすくめる。


「ご飯できてるから」


「早く着替えて」


 その声で、ようやく現実へ引き戻される。


「……おはよう」


 刹那は、小さく笑った。


 リビングへ行くと。


 朝の匂いが広がっていた。


 炊き立てのご飯。


 味噌汁。


 焼き鮭。


 納豆。


 どこか懐かしい、日本の朝食。


 そして。


 テーブルには。


 戮子。


 刹那。


 ハルシャ。


 定男。


 ……なんだこの面子。


「正人くん!!」


 定男が勢いよく立ち上がる。


 そのまま両手で、正人の手を握った。


「もう大丈夫なの!?」


「えっ、あ、うん」


「なんともないけど……」


 すると。


 定男の目に、じわっと涙が浮かぶ。


「ありがとう……」


「僕……ハルちゃん以外に、こんなによくしてもらったことなくて……」


「お、おおげさだよ」


「大げさじゃないよ!!」


 ぶんぶん首を振る定男。


 ハルシャが横で、やれやれと煙草を咥える。


「こいつ、人に助けられる経験ほとんどねえからな」


「すぐ重くなるんだよ」


「おハルちゃんひどい」


「事実だろ」


 そんなやり取りに、少しだけ空気が和らぐ。


 けれど。


 正人の頭の奥には、まだ違和感が残っていた。


 常夜。


 その名前が、頭から離れない。


 思い出しそうで。


 でも、思い出してはいけない気もする。


「あんた、ほんとに大丈夫かい?」


 戮子が煙を吐きながら聞く。


「うん……多分」


「今日は会社休みなさい」


 ぴしゃり、と刹那が言った。


 完全に母親の声だった。


「え、でも――」


「でもじゃない」


 人差し指を立てる。


「休むの。いい?」


「……はい」


「やれやれ」


 戮子が肩をすくめる。


「もう尻に敷かれてるね」


「誰のせいだと思ってるんですか」


「さあねえ」


 朝の食卓。


 味噌汁の湯気。


 誰かの笑い声。


 平和な光景。


 なのに。


 どこか不穏だった。


 まるで、嵐の前みたいに。


 食事を終え。


 昼前。


 ハルシャと定男は帰る準備をしていた。


「もう、私達は帰るよ。世話になった」


 玄関先。


 朝から騒がしかった空気が、ようやく落ち着き始めていた。


 淀川ハルシャは、いつものように中折れ帽を軽く押し上げた。


 隣には定男。


 相変わらず、おどおどしている。


「定男くん、本当にもう平気なの?」


 正人が心配そうに見る。


「う、うん……もう大丈夫……」


 定男は困ったように笑った。


「ほんと、ありがとう……正人くん……」


「僕……ハルちゃん以外に、こんなに人に良くしてもらったこと……あんまりないから……」


 その声は、少し震えていた。


 正人は、照れ臭そうに頭を掻く。


「いや、そんな大げさな……」


「大げさじゃねえよ」


 ハルシャが低く言った。


 その声で、空気が少し変わる。


 褐色の長身女は、色付き眼鏡の奥から、真っ直ぐ正人を見た。


「お前さ」


「自分じゃ気づいてねえだろうけど」


「普通、あんな状況で他人助けねえんだよ」


 少しだけ間。


「しかも、私らみたいな“堅気じゃねえ連中”をな」


 正人は言葉に詰まる。


 ハルシャは鼻で笑った。


「大きな借りができちまった」


「いつか必ず返す」


 そう言って、拳を突き出す。


 一瞬だけ迷った後――


 正人も拳を合わせた。


 コツン。


 軽い音。


 だが、それは妙に重かった。


「もうマブダチだ」


 ニヤリと笑うハルシャ。


 その横で、定男も嬉しそうに頷いている。


「う、うん……友達……」


 するとハルシャは、ふと思い出したように、


「あゝ、そうそう」


 と振り返った。


「刹那と別れたら教えろ」


「えっ?」


 間抜けな声を出す正人。


 ハルシャは構わず続ける。


「迎えに来る」


「お前も亭主にする」


「定男と3人で暮らそうぜ」


 にやり。


 完全に悪い顔だった。


 定男も、


「に、賑やかになりそうだねぇ……」


 などと、ほんわか笑っている。


「は?」


 刹那の額に、ぴきりと血管が浮いた。


「いいからもう帰れ!!」


 怒声。


 空気が震える。


 だが――


 ハルシャは笑っていた。


 そして。


 その笑みが、不意に消える。


 色付き眼鏡の奥。


 獣みたいな目だけが、真っ直ぐ正人を見ていた。


「……割と本気だからな、私」


 一瞬。


 空気が凍る。


「えっ」


 正人が固まる。


「ハ、ハルちゃん!?」


 定男まで慌て始める。


 しかしハルシャは、もういつもの調子に戻っていた。


「じゃあな、正人」


 くるりと背を向ける。


 長い黒髪が揺れる。


 そのまま、定男を連れて歩き出す。


 陽に照らされながら。


 まるで映画のワンシーンみたいに。


 そして。


 数メートル歩いたところで――


 ハルシャが、ぽつりと呟いた。


「さて……」


 懐から煙草を取り出す。


 火をつける。


 紫煙が、空気に溶ける。


「定男を撃った落とし前……」


 口角が吊り上がる。


 その笑みは、さっきまでの軽薄なものじゃない。


 人を殺す側の顔だった。


「きっちりつけねえとな」


 隣で定男が、小さく肩を震わせる。


 だが止めない。


 止められない。


 それを見送りながら――


 正人は、なぜか背筋に寒気を覚えていた。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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