第50話 昼酒とロックTシャツ、それから危険すぎる夫婦
昼間。
駅前の古びた居酒屋。
赤提灯。
競馬中継。
焼き魚の匂い。
昼から酒を飲んでいるおっさん達。
そんな昭和の生き残りみたいな店の一角で――
「えええええっ!?」
正人の声が響いた。
「お二人、夫婦なんですか!?」
向かい側。
褐色の長身女――ハルシャが、ジョッキ片手に眉をひそめる。
「……そんな驚くことか?」
ぐびっ、とビールを流し込む。
豪快。
酒の飲み方まで怖い。
一方、その隣。
小柄で痩せた眼鏡男――定男は、日本酒をちびちび飲みながら嬉しそうに笑っていた。
「ふふ……」
「いやだって……」
正人は思わずハルシャを見る。
黒スーツ。
長い黒髪。
褐色の肌。
首筋に覗く刺青。
どう見てもカタギじゃない。
なのに。
「すごい綺麗な人と結婚してるなって……」
一瞬。
ハルシャが固まった。
そして。
「ぶっ……!」
ビールを吹きそうになる。
「お、お前っ……昼間から恥ずかしいこと言うなよ!!」
「え、本音ですけど」
「なお悪ぃわ!!」
顔を赤くして怒鳴る。
でもちょっと嬉しそうだった。
定男がニコニコしながら、
「よく言われるんだよねぇ〜」
「定男ぉ!!」
頭を叩かれていた。
(なんか……普通に仲良いな)
正人は内心で思う。
怖そうなのに。
妙に居心地がいい。
「馴れ初めって何だったんですか?」
その瞬間。
ハルシャが露骨に視線を逸らした。
「……まあ、仕事先でな」
「うんうん!」
定男が笑顔で頷く。
「おハルちゃんから、いきなりプロポーズしてきて――」
「おい」
「えっ!? ハルシャさんから!?」
正人がまた驚く。
「……まあな」
ハルシャは気まずそうに頭を掻いた。
「逃げようとしたから、捕まえた」
「怖っ!?」
「半分冗談だ」
「半分は本当なんですね!?」
定男が笑っている。
ハルシャも、少しだけ笑った。
その笑い方が、
なんというか――人間っぽかった。
「で、お前は?」
ハルシャがジョッキを傾けながら聞く。
「結婚してんのか?」
「いや、まだですけど……彼女と同棲してて」
「へぇ」
「それで、その……服くらい買いなさいって言われて」
「あー」
ハルシャが納得した顔になる。
「で、そのダサTシャツ買ったのか」
「えっ」
正人が抱えているTシャツを見る。
アザラシみたいな顔をした怪物が描かれた海外バンドTシャツ。
「いや、俺これ好きなんですよ」
「どこがだよ」
「なんかB級感あって良くないですか?」
「わかる〜」
定男が嬉しそうに頷く。
「こういう絶妙にダサいの、逆にカッコいいんだよねぇ」
「だろ?」
「お前ら感性終わってんな……」
ハルシャは呆れながら煙草を咥えた。
そして。
ふっと目を細める。
定男を見る目が、優しい。
本当に大事なんだな、と分かる目だった。
「……なあ正人」
「はい?」
「定男と友達になってやってくれねえか」
突然の言葉に、正人が瞬く。
「こいつさ。友達いねえんだ」
「お、おハルちゃん……」
「黙ってろ」
だが声は優しかった。
「お前、変に気ぃ使わねえだろ」
「刺青見ても引かねえし」
「定男がオドオドしてても笑わねえ」
「損得じゃなく、普通に接してる」
ハルシャは煙草を灰皿に押し付ける。
「そういうやつ、珍しい」
正人は少しだけ考えて。
それから笑った。
「もう友達ですよ」
「もちろん、ハルシャさんとも」
定男の顔が、一気に明るくなる。
「へへへ……」
その顔を見て。
ハルシャも、小さく笑った。
「……そっか」
その時だった。
店の奥。
酔っ払い同士が揉め始める。
「んだコラァ!!」
「やんのか!?」
怒鳴り声。
ガタン、と椅子が倒れる。
周囲がざわつく。
すると。
ハルシャが、ちらりとそっちを見た。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
空気が凍った。
目。
それだけだった。
なのに。
揉めていた男達が、
まるで猛獣に睨まれたみたいに固まる。
「……あ?」
低い声。
ただそれだけ。
「ひっ……」
男達が青ざめる。
そのまま、何事もなかったように席へ戻っていく。
店内も静かになった。
「……」
正人は少しだけ違和感を覚えた。
今の、一瞬。
空気がおかしかった。
でも。
「よし!!」
ハルシャが急に明るい声を出す。
「二軒目行くぞ!!」
「えっ、まだ飲むんですか!?」
「昼酒はここからだろうが!!」
「お、おハルちゃん元気だねぇ……」
「お前が弱すぎんだよ」
気づけば。
正人も笑っていた。
楽しかった。
こんな風に、
趣味の話で盛り上がったのは久しぶりだったから。
だから。
スマホが震えていることにも気づかなかった。
刹那からの着信。
メッセージ。
不在通知。
それらが、
どんどん積み上がっていたことに。
◇
深夜。
帰宅。
玄関を開けた瞬間。
正人は固まった。
リビング。
薄暗い部屋。
椅子に座る刹那。
無表情。
目に光がない。
怖い。
静かなのに怖い。
「……で?」
腹の底が冷える声。
「意気投合して、怪しい夫婦と飲み歩いてたってわけ?」
「う、うん……」
「ふーん」
圧。
めちゃくちゃ圧。
「信じてよ!! 本当にいい人達で――」
「いや」
刹那が遮る。
「怖いのは、その危機感の無さなんだけど」
「えっ」
「服買いに行っただけなのに」
「なんで刺青だらけの褐色女と昼酒してるの?」
「意味わかんない」
「いやでも――」
「しかも」
刹那がTシャツを見る。
数秒沈黙。
「……なにそのセンス」
「えっ」
「ダサい」
「そんなぁ!?」
「その怪獣みたいな顔なんなのよ」
「いいだろこれ!!」
「良くない」
「バッサリ!?」
結局。
正人はそこから二時間。
延々と説教されることになった。
なお。
刹那が本気で怒っていた理由は。
“正人が危険人物に近づいたこと”と。
“知らない女と楽しそうに飲んでいたこと”。
その両方だった。
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