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第47話 血の鍵と、山の家

昭和の匂いが染みついた台所だった。


 黄ばんだ天井。


 木目の食器棚。


 古びたシンク。


 換気扇はガラガラと音を立てているが、タバコの煙を吸い切れていない。


 ビーズ暖簾が、シャラシャラと小さく揺れた。


 その台所の中央。


 ダイニングテーブルを挟み、刹那は成川戮子と向かい合っていた。


 重い。


 空気が重い。


 まるで巨大な獣の縄張りへ、一歩踏み込んでしまったような感覚。


 戮子はそんな空気など気にもせず、椅子へ深く腰掛けたままタバコをくゆらせている。


 紫煙がゆっくりと天井へ昇った。


「……で」


 ふいに。


 戮子が宙へ手を伸ばした。


 次の瞬間。


 空間が、ぐにゃりと歪む。


 まるで水面へ腕を突っ込むように、戮子の手が沈み込んでいった。


 ズブ……ズブ……。


 湿った音。


 刹那の背筋を、嫌な汗が流れる。


 そして。


 ゆっくりと一本の刀が引き抜かれた。


「――っ」


 刹那の呼吸が止まる。


 黒い鞘。


 闇を閉じ込めたような刀身。


 篝月の呪刀――《宵闇》。


 戮子は静かに刀を抜いた。


 シャァァ……と、鈍い音。


 その刀身を、まるで骨董品でも眺めるように見つめる。


「……いいね」


 ぽつり。


「業物だ」


 その一言だけで、刹那は理解した。


 この女は、“使う側”だ。


 人を斬った刀の匂いを知っている。


 怨念の重さを知っている。


 そして。


 それを恐れていない。


 戮子は、すっと刀を差し出した。


「返す」


 それだけだった。


 刹那は無言で受け取る。


 掌がじっとりと湿っている。


 すると戮子は、タバコを灰皿へ押し付けながら言った。



「東京オリンピックの年」


 沈黙。


「四国の山ん中で、それに似た刀を見たよ」


 刹那の肩がわずかに揺れる。


「……あと少しだったんだけどね」


 ニヤリ、と。


 戮子が笑った。


 その瞬間。


 刹那の脳裏に、あの夢が蘇る。


 山。


 月光。


 白銀の髪。


 双剣。


 冷たい目。


 ――同じ。


 目の前の“おばちゃん”と。


「鍵はどこだい?」


 唐突に。


 刹那へ向けられる視線。


 呼吸が浅くなる。


 逃げられない。


「…………」


 誤魔化せない。


 そう、本能が告げていた。


 刹那はゆっくりと手を差し出す。


 次の瞬間。


 掌から血が滲み出した。


 赤黒い液体が蠢き――。


 鍵の形を作る。


 ドロリ、と。


 生き物のように脈打つ血の鍵。


 敦子の笑みが消えた。


 戮子はそれを見つめ――。


「ふーん……」


 低く呟く。


「同化してるのかい」


 少しの沈黙。


「……よく生きてたね」


 その声音には、ほんの少しだけ感心が混じっていた。


「で」


 戮子が視線を戻す。


「肉の方は?」


 刹那の喉が鳴る。


「……知りません」


「男の方が持ってんのかい?」


「……知りません」


 沈黙。


 その時だった。


 シャラ……。


 ビーズ暖簾が揺れる。


「戮子さん、ポチはどこかのう」


 現れたのは、小柄な老人だった。


 禿げ上がった頭。


 ヨレヨレのラインジャージ。


 しかし腰だけは妙に真っ直ぐ。


 真顔でポットに話しかけている。


「……じいちゃん。それ、お母さんじゃないよ」


 敦子が呆れた顔をする。


「ポチは五年前に死んだでしょ」


「ふん。最近また酷いね」


 戮子が吐き捨てる。


 だが。


 老人――米蔵は、ふいに刹那を見た。


「おおっ!! キヨちゃん!!」


「わしに会いに来てくれたんじゃな!!」


「えっ」


 突然、手を握られる刹那。


「わ、私は刹那です……」


「すまんすまん! 隣村のせっちゃんか!」


 ガハハ、と笑う。


「懐かしいのう!」


「儂とせっちゃんと千代ちゃんで、よう仕事したもんじゃ!」


 本当に楽しそうだった。


 昔を懐かしむ老人そのもの。


 ――だが。


 ふいに。


 米蔵の視線が、刹那の掌へ落ちる。


 血の鍵。


 その瞬間。


 空気が変わった。


「……血の鍵か」


 低い声。


 刹那の背筋に鳥肌が走る。


「久しぶりじゃの」


 さっきまでの“ボケ老人”ではない。


 もっと別の何か。


 古い獣のような気配。


 だが次の瞬間には。


「ご飯、食べて帰んなさい」


 そう言って、奥へ消えていった。


「……何なの、この家」


 刹那は心の中で呟く。


 すると入れ替わるように、小さなチワワが入ってきた。


「マルス〜!」


 敦子が抱き上げようとする。


 だがチワワは刹那の足元へ寄り、クンクンと匂いを嗅ぎ始めた。


「ふーん……」


 戮子が意味深に笑う。


「……じゃ、ご飯だね」


     ◆


 夕食。


 炊き立ての白米。


 味噌汁。


 煮魚。


 タケノコの煮物。


 漬物。


 どこにでもある田舎の食卓。


 なのに。


 刹那には、処刑台のように感じられた。


 敦子はスマホを耳へ当てる。


「あっ、兄さん?」


「刹那ちゃんと意気投合しちゃってさ〜。今、外でご飯食べてるから」


「そっちもどっかで済ませてよ」


『うん。今さ、エリュアールがパチンコで大負けしたみたいで、やけ酒してる』


「ぶっ」


 刹那は思わず吹きそうになった。


「はーい、よろしく〜」


 通話が切れる。


「父さんは?」


 敦子が聞く。


「残業だろ」


 戮子は興味なさそうに答える。


 米蔵はタケノコを頬張りながら、刹那を見る。


「トメ。今年のタケノコはいい出来じゃのう」


「いや、私……」


 言いかけて。


 刹那は止まった。


 ――否定しない方がいい。


 本能がそう告げる。


「……そうですね」


 微笑む。


 すると米蔵は満足そうに頷いた。


 少しの沈黙。


 やがて。


 戮子がぽつりと言う。


「……まあ、悪くない」


「私は認めてないよ」


 即答する敦子。


 だが、その声音には、最初ほどの剣呑さは無かった。




☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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