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第46話 あんたの呪いを、解いてやると言ったら?

昭和の匂いが染みついた台所だった。


 黄ばんだ換気扇。


 木目の食器棚。


 古いシンク。


 ビーズ暖簾が、煙草の煙に揺れている。


 その中心。


 ダイニングテーブルを囲むのは三人。


 刹那。


 敦子。


 そして――成川戮子。


 重い空気だった。


 煙草の煙が、まるで霧のように部屋へ滞留している。


 ジジッ……と煙草の先が赤く灯る。


 戮子は紫煙を吐きながら、刹那を見た。


「……あんた、名前は?」


 わかっていて聞いている。


 試している。


 値踏みしている。


 刹那には、それがわかった。


 だからこそ喉が乾く。


篝月刹那かがりつき・せつなです」


 言葉を発した瞬間。


 空気が止まった。


 敦子が視線を伏せる。


 戮子だけが煙草を咥えたまま、額へ手を当てた。


「篝月、ねぇ……」


 ぽつり。


 まるで厄介事でも見つけたように。


「うーん……どうしたもんさね……」


 深いため息。


 その声音に、刹那の背筋が強張る。


 戮子は、ゆっくり刹那を見た。


 その目は、おばちゃんの目じゃない。


 獣。


 もっと古い何か。


 山に棲む“神隠し”の類を思わせる目。


「どうしたら」


 煙草を灰皿へ押し付ける。


「正人のこと、諦めてくれるんだい?」


 刹那の肩が揺れる。


 胸が締め付けられる。


 それでも。


「……すみません」


 震える声。


「出来ません……」


 即答だった。


 だが。


 次の言葉が、刹那の心を大きく揺らした。


「あんたの呪いを解いてやるって言ってもかい?」


 ――っ。


 息が止まる。


 目が見開かれる。


 傀儡化の呪い。


 あの地獄。


 自我が沈み。


 身体が自分のものじゃなくなり。


 心だけが閉じ込められていく感覚。


 あの絶望。


 あの恐怖。


 もう二度と味わいたくない。


 そして。


 その呪いを解ける、と。


 今。


 この女は言った。


「……」


 喉が震える。


 心が揺れる。


 欲しかった。


 誰よりも。


 何よりも。


 それを。


 普通になりたかった。


 日の下を歩きたかった。


 正人と。


 何も気にせず。


 笑って。


 買い物して。


 手を繋いで。


 未来を語って。


 普通に。


 普通に生きたかった。


「出来るよ」


 戮子が淡々と言う。


「住む場所は限定されるけどね」


 刹那の膝の上。


 拳がギリ、と音を立てる。


 脳裏に蘇る。


 正人との日々。


 木陰の公園。


 ぎこちないキャッチボール。


 不器用な優しさ。


『君は俺の全てなんだ』


 あの声。


 胸が熱くなる。


 苦しくなる。


 目を閉じる。


 ――どうしたい。


 本当は。


 問いかけるまでもなかった。


 刹那は、ゆっくり顔を上げた。


「……すみません」


 声が震える。


 それでも。


「申し出は……ありがたいのですけど……」


 首を振る。


「出来ません」


 静かな拒絶。


 戮子はしばらく刹那を見ていた。


 やがて。


「……全く」


 頭を掻く。


「あいつのどこがそんなにいいのさ」


 刹那の唇が、少しだけ緩む。


「……優しいところ、です」


 ぽつり。


「……こんな怪しい女を、受け入れてくれたから……」


 涙が滲む。


「人形みたいな私を……」


「愛してくれたから……」


 ぽたり。


 雫が落ちた。


 戮子は煙草を一服する。


「ふーん……」


 その声は、どこか柔らかかった。


「正人が、普通の家の出じゃないことは承知してるね?」


 刹那は小さく頷く。


「……はい」


「篝月の家のもんを嫁に、ねぇ……」


 沈黙。


 敦子が腕を組む。


「あんた、うちと敵対してる家の娘だからね」


「しかも最後の生き残り」


 空気がまた冷える。


 だが戮子は、ふん、と鼻を鳴らした。


「まあ、うちと敵対してるのは篝月だけじゃないけどね」


「うちのこと好きな家なんざ、ありゃしないよ」


 自嘲気味に笑う。


 その笑いに、刹那は違和感を覚える。


 まるで。


 長い長い時間を生きてきた者の声音。


「うちはね」


 戮子が続ける。


「跡取りは異種婚するのが習わしなのさ」


 刹那が目を瞬かせる。


「強い個体を残すためにね」


 煙草の火が赤く灯る。


「あんた、人間だろ?」


「……いろいろ混ざっちゃいるみたいだけど」


 刹那はゆっくり頷いた。


「……はい」


「まあ、正人は跡取りには向かないさね」


「記憶を封じてるし」


 刹那の瞳が揺れる。


「記憶……?」


 しまった、という顔を敦子がする。


 だが戮子は気にしない。


「まあ、その辺はいずれ話す」


 そして。


 じっと刹那を見た。


「でもねぇ」


「結婚するなら、ここで暮らしてもらう」


「この土地で」


 刹那が眉を寄せる。


「……なぜですか?」


 戮子は不敵に笑った。


 まるで。


 巨大な秘密を抱え込んだ化け物の笑み。


「――あんたが、うちの嫁になるなら教えてやるよ」



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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