第43話 微笑みの刃
しばらくして――
「ふーん」
成川敦子は、湯のみを傾けながら、くすりと笑った。
「女性とは、まったく縁がなかった兄さんがね」
ちらり、と正人を見る。
「そりゃあ、お見合い断るはずだわ」
軽い調子。
だが、その一言は――
静かに、刹那の胸を刺した。
(知っている……)
見合い相手が“普通じゃない”ことを。
この女は、おそらく。
――なら。
ここからは。
腹の探り合い。
互いに、それを理解している。
視線が、合う。
刹那と、敦子。
笑っている。
――どちらも。
「でさ」
敦子が、何気ない調子で言った。
「さっきから気になってたんだけど」
視線が、すっと横へ滑る。
「あなたは、何なの?」
エリュアールを見る。
空気が、一瞬だけ張り詰めた。
「あっ……この人は」
正人が口を開く。
「刹那の親戚で……えっと……」
言葉が詰まる。
「せっかくだから、シェアハウスしてるんだ」
苦しい。
あまりにも苦しい。
だが。
「そうそう」
エリュアールが、にこりと笑った。
「日本生まれ日本育ちだから、日本語しか話せないけどね」
さらり、と返す。
「ふーん」
敦子は、特に突っ込まない。
ただ――
観察している。
じっと。
「じゃあ、刹那ちゃん」
自然に、話題を変える。
「正人と同棲してるんだよね?」
にこやかに。
「ご両親は、許してるの?」
刃。
柔らかい声の奥に、確かな棘。
「……その」
刹那は、一瞬だけ言葉を選び――
「私の両親は、早くに他界していて……」
視線を落とす。
「天涯孤独なんです」
静かな声。
「幸い、生活に困らないだけのお金は残してもらって……」
一拍。
「でも、不安で……寂しくて……」
顔を上げる。
まっすぐ、正人を見る。
「そんなときに、正人さんが支えてくれたんです」
柔らかく、微笑む。
「この人しかいないって……思えたんです」
視線が、刺さる。
――合わせろ。
無言の圧。
「う、うん……」
正人は、ぎこちなく頷く。
「彼女見たら……放っとけなくて」
なんとか言葉を繋ぐ。
「そうなんだ〜」
敦子は、軽く笑う。
だが。
その目は、笑っていない。
「それで」
刹那が続ける。
「お互い、将来を誓い合いました」
両手を合わせ、指を絡める。
祈るような仕草。
「ふーん……」
敦子は、ゆっくり立ち上がった。
「兄さん、ちょっといい?」
正人の前に立つ。
顔を、覗き込む。
距離が、近い。
一瞬。
その表情が――曇った。
ほんの、わずかに。
だがすぐに。
いつもの笑みに戻る。
「ちゃんとご飯食べてる?」
優しい声。
「彼女のご飯食べてるなら……少し太ったかもね」
冗談めかして言う。
だが。
その瞬間。
刹那の表情が、わずかに揺れた。
「……あ、そうだ」
敦子が、何気なく続ける。
「刹那ちゃん」
「はい?」
「うちの実家ね、九州の山の中にあるんだけど」
ゆったりとした口調。
「谷を二つ越えたところに、“篝月”って家があったの」
ぴたり。
空気が止まる。
「もしかして」
視線が、鋭くなる。
「そこの出身だったりする?」
笑っている。
――目だけが、違う。
牽制。
明確な。
刹那は、ほんの一瞬だけ間を置いた。
そして――
「いえ」
静かに、首を振る。
「私は四国の山村の出身です」
淡々と。
「今はもう……廃村になっていますが」
視線を逸らさない。
「ああ、よかった〜」
敦子は、ぱっと表情を緩めた。
「うちと、その篝月の家って仲悪くてさ〜」
軽く笑う。
「まあ、偶然だよね」
「そんなわけないじゃないですか」
刹那も、笑う。
同じように。
同じ温度で。
――嘘を抱えたまま。
沈黙。
誰も、次の一手を打たない。
いや。
打てない。
この距離。
この均衡。
どちらかが踏み込めば――
壊れる。
すべてが。
そのとき。
「……へえ」
ぽつりと。
敦子が呟いた。
意味深に。
「じゃあ――安心だね」
にこり、と笑う。
その言葉の意味を。
誰も、聞けなかった。
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