第37話 復讐は、もう終わっていた。
総合病院の白い外壁を、正人は見上げていた。
やけに、冷たい。
曇天のせいか、それとも――
「ここね」
隣でエリュアールが呟く。
「ああ。ここに入院してる……らしい」
正人は、喉の奥に引っかかる言葉を吐き出した。
「クロコダイルマン」
自動ドアが開く。
消毒液の匂いが、鼻を刺す。
現実の匂いだ。
受付に向かう。
「すみません。鰐口……鰐口正男さんの病室は」
一瞬、言い淀む。
その名前が、やけに重い。
「ああ……鰐口さんですね。五階になります」
事務的な声。
何も知らない声。
エレベーターの中。
無言。
上昇音だけが、やけに大きく響く。
五階。
ナースステーションは、妙に慌ただしかった。
誰かが走る。
誰かが小声で何かを話す。
空気が、ざわついている。
「すみません。鰐口さんは――」
声をかけた瞬間。
看護師の表情が、凍りついた。
「……ご親族、ですか?」
その一言で、すべてを悟る。
地下へ案内される。
無機質な通路。
温度が、少し低い。
――死体安置室。
白い布。
その下に、“それ”はあった。
布がめくられる。
クロコダイルマン――鰐口正男。
全身に刻まれた、鰐のような刺青。
だが今は、ただの肉塊だ。
「昨日まで……ほんとに元気だったんですよ」
看護師が、ぽつりと呟く。
刹那は、無言で遺体を見下ろす。
「……ふん」
指先が、触れる。
そして、ゆっくりと首を振った。
「強面でしたけど……優しい方で」
「いつもお菓子を配ってて……」
刹那の目が、細くなる。
「……間違いなく、叔父です」
言い切る。
冷たく。
感情を押し殺して。
「身寄りもほとんどないので……手続き、お願いします」
そう言い残し、看護師は去っていく。
沈黙。
「……親切にして」
刹那が、低く呟く。
「その後に踏みにじるのが好きなサディスト」
吐き捨てるように。
「……あいつらしいわ」
拳が震える。
「こいつに――絶望を与えてやりたかった」
声が、揺れる。
「それすら……できないなんて」
喪失。
空洞。
怒りの行き場が、消えている。
「争った形跡はない……でも、この顔」
刹那が遺体の表情を覗き込む。
歪んだ恐怖。
死の直前に刻まれたもの。
「……口封じね」
唇を、強く噛む。
「盲……」
目を閉じる。
「……知ってたのよ」
そして。
崩れるように、正人へと抱きついた。
「ごめん……ごめん……」
「……あいつら、知ってて……あんたに取引持ちかけたのよ……」
声が、壊れていく。
「私の復讐が、できないって……」
「その喪失を……裏で笑ってる……」
「なんで……なんで……」
膝から崩れ落ちる。
「もういい……」
震える声。
「正人を……失いたくない……」
その時。
正人の右目が、金色に光った。
「……いいよ」
静かな声。
「これは、俺の選択だ」
刹那を抱き上げる。
軽い。
あまりにも。
「気にしなくていい」
そして。
正人は、遺体へと手を伸ばす。
「……少し、見せてくれ」
触れた瞬間。
世界が、裏返る。
◆記憶
暗闇。
四つの影。
その中心に――大きな男。
周囲に、三つの小さな影。
「やめろ……俺は裏切らねえ……!」
「だろうな」
低い声。
「でもな……知りすぎた」
魔法陣が、展開される。
「しかも――盲に話したろ」
影たちが、笑う。
赤い光。
回転。
加速。
「ぎゃああああああああああああああ!!」
絶叫。
魂が――削り取られる。
◆現実
正人が、目を開く。
「……昨日」
息が荒い。
「病室で、殺された」
「魔眼……」
エリュアールが、息を呑む。
「死ぬ直前の記憶だ」
正人が続ける。
「魂を……吸われた」
「……まだ、続きがある」
「やめて……!」
刹那が、縋る。
「その力……使わないで……」
「お願い……」
その時。
「……ちっ」
舌打ち。
「だから言ったんだよ。死体は残すなって」
空間が、歪む。
現れる影。
三人のメイド。
そして――
一際大きな男。
禿げ上がった頭。
顔には、ピエロのようなメイク。
ボーダーのシャツに、半ズボン。
「よう、刹那」
にやりと笑う。
「久しいな」
刹那が、凍りつく。
「……クリィーピーガイ」
「……プリティメイズ」
「なんで……あんたたちが……」
男は、肩をすくめる。
「そりゃあ――言えねえな」
その瞬間。
遺体が――燃え上がる。
青白い炎。
一瞬で、包み込む。
「っ――!!」
何も残らない。
証拠も、痕跡も。
「じゃあな」
四つの影は、消えた。
静寂。
残されたのは。
何もできなかった現実と。
取り返しのつかない選択だけだった。
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