第33話 その少女は、最初からそこにいた。
店内は――まるで時間が止まったかのような、昭和の空気だった。
年季の入ったプラスチックのウォーターサーバー。
壁には、水着のグラビアアイドルがビールを掲げる色褪せたポスター。
ビニールシートのかかった木のテーブルには、細かな傷がいくつも刻まれている。
会社帰りのサラリーマンが無言でビールを流し込み、
隅では大学生らしき若者が大盛り定食をかき込んでいる。
――どこにでもある、大衆食堂。
だからこそ、落ち着く。
「はい、アジフライ定食ふたつね。お待ちどうさま」
小太りで眼鏡の年配女性が、湯気の立つ皿をテーブルに置く。
「こっちは味噌カツね」
エリュアールの前にも、どっしりとした定食が置かれた。
「ありがとう、おばさん」
正人が自然に微笑む。
そのやり取りすら、この店の空気に馴染んでいた。
「なんで味噌カツなんだよ。おすすめはアジか牡蠣だって言っただろ」
「うっさいわね。今日は味噌カツの気分なの」
エリュアールはそっけなく言い、割り箸を割る。
――サクッ。
衣の軽い音。
アジフライを一口。
じわり、と旨味が広がる。
「「美味しい」」
正人と刹那の声が、ぴたりと重なった。
顔を見合わせて、少しだけ笑う。
「うん、いいじゃん」
エリュアールも頷く。
その時だった。
「はい、カキフライね」
不意に、テーブルの端にもう一つ皿が置かれる。
「「「えっ?」」」
三人の視線が、一斉にそちらへ向く。
――そこにいたのは。
ゴスロリ服に身を包んだ少女。
場違いなほど整った装い。
黒とレースの重なり。
そして――
異様なほど、静かな存在感。
「……まあ、食べましょ」
自然に席へ座る。
まるで最初からそこにいたかのように。
「話はそれから」
淡々とした声。
「おすすめがカキフライなのでしょう? 見ているだけというのも、ね」
その瞳が――わずかに金色に光る。
ほんの一瞬。
だが確かに。
エリュアールの表情が、わずかに引き締まる。
少女は、割り箸を割る。
まず味噌汁を一口。
「……うん」
小さく頷く。
「いいわね。私、東北の出身なのよ。やっぱり味噌汁は赤でなきゃ」
次に、牡蠣を口に運ぶ。
ゆっくりと噛みしめて――
「……いいわ」
柔らかく微笑む。
「本当に美味しいお店ね、ここ」
その仕草は、どこか上品で。
けれど――
空気だけが、明らかに異質だった。
「……あなた、誰?」
刹那が、静かに箸を置く。
視線は逸らさない。
空気が、ぴたりと張り詰める。
「食事中よ」
少女は、答えにならない答えを返す。
一拍。
沈黙。
やがて――
エリュアールに視線を向ける。
ほんの少しだけ、口元を歪めて。
いたずらのように。
(……来たか)
エリュアールの目が細くなる。
「……私の名前は」
少女は、箸を置いたまま言った。
「盲」
あっさりと。
まるで意味のない言葉のように。
「これでいい?」
刹那の瞳が、わずかに揺れる。
「……」
「食べましょ」
盲は、何事もなかったかのように言う。
「敵じゃないわ」
その一言。
――それが一番、信用できない。
再び、箸の音が戻る。
サクッ、という軽い衣の音。
味噌汁の湯気。
誰かの笑い声。
店内は、何も変わっていない。
なのに。
このテーブルだけが、明らかに異常だった。
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