第16話 嫉妬する彼女は、今日も優しく胃袋を壊しにくる。
マンションのドアを、そっと開ける。
ガチャリ。
「……ただいま~」
できるだけ自然に。
何もなかった顔で。
喫茶店で金髪美女と食事してました、なんて事実は微塵も感じさせずに。
――だが、甘かった。
玄関には、いた。
黒髪ロング。
端正な顔立ち。
セーラー服姿の絶世の美少女。
篝月刹那。
その瞳は――笑っていなかった。
いや、正確には。
目が暗転していた。
そしてその手には、包丁。
「……」
「……」
帰ってきた恋人を迎えるには、あまりにも物騒な装備だった。
「こ、これには……理由が……」
俺が乾いた声で言うと、刹那はにこりともせず、低く沈んだ声で言った。
「おかえりなさい……」
「も、もしかして……怒ってる?」
「怒るわけないじゃない」
即答だった。
「私を怒らせるなら、あなた大したものよ」
怒ってる。
誰がどう見ても怒ってる。
不機嫌。嫉妬。殺気。
それら全部を丁寧に煮詰めて、和風美少女の皮を被せたみたいな顔をしていた。
刹那は無言で近づいてくる。
一歩。
また一歩。
逃げたい。
でも玄関は背後。
もう詰みだ。
吐息がかかるほどの距離で、彼女は俺の肩口に顔を寄せた。
すん……と匂いを嗅ぐ。
「……臭いわね」
「えっ」
「ああ……臭い」
耳元で囁く声が冷たい。
「卑しい耳長の雌の匂い……」
「ち、違っ――」
「先にお風呂に入って」
反論を切り捨てるように言われた。
「ご飯は、それから……」
包丁の刃先が、きらりと光った。
「はい」
即答だった。
風呂場で俺は天井を見上げていた。
終わったかもしれない。
人生か。
男としての自由か。
あるいはその両方か。
とにかく、何かが終わった気がする。
風呂を出ると、食卓には夕飯が並んでいた。
湯気の立つ白米。
肉汁あふれるハンバーグ。
彩り豊かなサラダ。
香りのいいスープ。
見た目だけなら理想的な家庭の食卓だ。
だが、問題は量だった。
「……こ、これは!!」
ご飯は丼で山盛り。
いや、山盛りではない。
山そのものだった。
ハンバーグは拳大の塊が五つ。
サラダはボウル一杯。
スープは鍋ごと置かれていた。
どう見ても二人分じゃない。
いや、四人家族でも苦戦する量だ。
刹那は淡々と告げる。
「ご飯も、スープも、おかわりあるから……」
「いや、これ一杯目の時点でおかわり概念いらな――」
「食べて」
笑顔だった。
目だけ暗い。
「……はい」
箸を持つ俺の手が震える。
刹那は向かい側に座り、上品にお茶を飲んでいた。
「今まで……ごめんなさい……」
「えっ?」
予想外の謝罪に顔を上げる。
「知らなかったんだもの」
少し間を置いて、彼女はため息をついた。
「あなたが、食事前に喫茶店へ行くほど……」
「私のご飯が足りてなかったなんて」
「恋人として失格ね」
「いや違う! 違う違う違う!!」
全力で否定した。
「足りてた! 量も愛情も十分すぎるほど足りてた!」
「じゃあ、なぜ喫茶店へ?」
「事故みたいなもので……」
「女と二人で?」
「ぐっ……」
痛いところを刺された。
刹那は静かに立ち上がると、俺の茶碗にさらに白米を盛った。
「今日は大丈夫よ」
「おかわり、いくらでも出来るのだから」
「いや、まだ一口しか――」
「残さず食べるわよね?」
にこり。
圧が強い。
背後に般若が見えた気がした。
「……はい」
それから一時間後。
俺は限界まで膨れた腹を抱え、食卓に突っ伏していた。
「もう……無理……」
「まだハンバーグ三つ残ってるわ」
「人は……五個も連続で食べる生き物じゃ……」
刹那は頬杖をつき、満足そうに微笑んだ。
「安心して、正人」
「明日から、お弁当も増やすから」
「なんで!?」
「外で変なもの食べないように」
「恋人の愛情よ」
そう言って、彼女は楽しそうに笑った。
その笑顔は綺麗で、可愛くて――
そして、誰よりも怖かった。
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