第11話 面影クリニック――彼女の呪いと、俺の血筋
翌朝。
「起きなさい!!」
耳元で響いた声に、正人は飛び起きた。
「うわっ!?」
寝ぼけ眼のまま視線を向けると、そこには制服姿の刹那がいた。
黒髪を整え、セーラー服をきっちり着こなし、すでに外出準備まで済ませている。
対して正人は、布団に埋まったまま。
温度差がひどい。
「ご飯を食べたら、行くわよ」
「……行くって、どこに?」
刹那は腕を組み、わざとらしく間を置いた。
「病院」
「えっ!? どっか悪いのか!?」
すると刹那は、いたずらっぽく口角を上げる。
「もしかしたら……できたかも?」
「は!?」
正人の眠気が一瞬で吹き飛ぶ。
「そ、その……もしかして……」
「冗談よ。ふふっ」
肩を震わせて笑う刹那。
「あ、ああ……そうなんだ……」
正人は胸をなで下ろした。
すると刹那の目が細くなる。
「あら?」
「そこは喜ぶところじゃないかしら?」
「い、いや、その……」
「ご、ごめん……」
「まあいいわ」
刹那は勝ち誇ったように微笑む。
「食べましょ」
◇
朝食を済ませたあと、刹那に渡された住所を頼りに電車を乗り継ぐ。
着いた先は、古びた商店街の外れ。
その一角に、ひっそりと看板が出ていた。
面影クリニック
どこにでもありそうな町医者。
……のはずだった。
自動ドアは半分壊れ、開くたびに嫌な軋み音を立てる。
中に入ると、鼻をつくアンモニア臭。
少し埃っぽい空気。
塩ビの床。
色褪せた古いソファ。
昭和そのもののタイル張りトイレ。
待合室に、患者は一人もいない。
「なんだここ……」
そして玄関先で、小さなフィギュア姿の刹那を床へ置く。
次の瞬間。
護符の気配が揺れ、光が走る。
等身大の刹那が現れた。
見慣れたはずなのに、毎回ちょっと驚く。
◇
受付には、小太りの女性が一人。
新聞を読みながらガムを噛んでいた。
「はい、マイナカード」
「彼はあるけど、私は持ってないわ」
「初診?」
「彼はね」
「私は篝月刹那。カルテあるわよ」
「じゃあ座って待ってて」
雑すぎる。
数分後。
「はい、診察室どうぞー」
促されるまま中へ入る。
そこには、白衣姿の初老の医師が座っていた。
「今日はどうしました?」
穏やかな声。
だが刹那はその医師を完全に無視した。
「行くわよ」
「えっ?」
そのまま横を通り過ぎ、さらに奥の扉へ進んでいく。
「え、いいの!?」
「こっちが本命」
刹那は白いドアを開け放った。
◇
奥の部屋。
白衣を着た長い白髪の女性が、デスクに座ってカルテを読んでいた。
背中越しに、声だけが響く。
「今どき紙カルテとはねぇ……」
「クラウド使うべきだと思わないかい?」
そう言って振り向く。
正人は息を呑んだ。
顔に、何もない。
目も。
鼻も。
口も。
耳も。
のっぺらぼう。
「うわっ!?」
正人が半歩下がる。
だが刹那は平然としていた。
「わからないわよ。ここ、普通の病院じゃないんでしょう?」
のっぺらぼうの女医は肩をすくめる。
「たまにね。ほんとたまにだけど、人間の患者も来るんだ」
「あら、私も人間なんだけど?」
「うーん……どうかなぁ」
顔がないのに、笑った気配がした。
「で、そっちの彼は人間だね」
「あっちの先生に診てもらえば?」
さっきの初老医師の方を指す。
「事情があるの」
刹那が口を挟む。
「私と彼、両方診てくれない?」
「いいよ」
女医――面影節子は頭を掻いた。
「じゃあ君、そこ座って」
◇
診察は妙だった。
脈も取らない。
血圧も測らない。
ただ、正人をじっと観察しているだけ。
やがて節子は淡々と告げた。
「うん。専門じゃないけど……」
「アルケミストの傀儡化の呪いは解けてない」
「解呪できるのは、アルケミスト本人だけでしょうね」
刹那の目が細くなる。
「他に方法は?」
「誓約した相手が分かれば交渉は可能」
「ただし、何を要求されるかは知らない」
「それと――なぜ彼の前でだけ戻るのか」
「それは専門外」
刹那は舌打ちした。
「なら、誰なら分かるの?」
節子は指を折って数える。
「超越者たち」
「百目」
「盲」
「逆さ首」
正人は聞いただけで嫌な予感しかしなかった。
「百目はやめなさい」
「頼むなら盲ね」
「どうやったら会える?」
「こっちからは会えない」
「どうせこの会話も聞かれてるし」
「面白そうなら、向こうから来るわ」
節子は肩をすくめる。
「せいぜい派手に騒ぎを起こすことね」
◇
その後。
刹那は平然とブラウスを整えながら話を聞いていた。
すると節子が正人を見た。
「ここから先、婦人科の話だから席外して」
「え? あ、はい……」
正人は慌てて部屋を出る。
◇
しばらくして。
診察室の中。
「子供はできてないわよ」
節子の言葉に、刹那の目がわずかに見開かれる。
「そう」
「産めるの?」
「産める」
「もし孕んだら?」
「その期間だけ、傀儡化が緩む可能性はあるわね」
一拍。
刹那の口角が、ゆっくり上がった。
「……いいこと聞いたわ」
◇
だが節子は続ける。
「気になることがあるんだけど」
「ナリカワ……偶然なの?」
「かもね」
刹那は肩をすくめる。
「あの一族と同じ名よ」
「アルケミストより、たちが悪い」
空気が冷える。
「それとなく出身地や家族のこと、聞いたけど……」
「本人は何も知らなそうね」
「まあ、気をつけなさい」
「ええ」
刹那は短く答えた。
◇
こうして二人はクリニックを後にする。
午前の光は明るい。
なのに正人の胸の中には、重たい影だけが残っていた。
自分は何者なのか。
刹那の呪いは解けるのか。
そして――
あの女が最後に浮かべた、企みを秘めた笑み。
それが何より、不吉だった。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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