第22話 投げられた選択肢
泉を立ち上がらせたワーズは、手を離すと歩けるかどうかを問う。
頷いたなら、へらり笑い、銃を持ち替えた。
不思議な顔で見ていると、ふらふらした足取りでシウォンへ近づき襟首を掴む。
「ぐっ」
途端上がる声に気がついたのではと身構える泉。だが、気にせずズルズル引きずり始めたワーズと、為すがままのシウォンの姿に、拍子で息が漏れただけと察しては緊張を緩め、次いであることに気づいたなら目を丸くした。
人間好きを豪語し、それ以外を蔑ろにする店主の、まるで助けるかのような行動。
いつもならば、間違いなく置き去りにしていくはずなのに。
呆然とただ見ていれば、黒い背が止まり、混沌の瞳がこちらへ向けられる。
待つ素振りに、泉は慌てて開いた距離を詰めた。
「ワ、ワーズさん……シウォンさん、どうするつもりですか?」
「んー……どうしよっかなー?」
近づき尋ねる泉へ、赤い口が妖しく笑いかけ、黒一色の歩みが再開される。
光差す出口に象られた黒い影は、楽しそうにふらふら揺れるだけで、肝心の答えをいつまで経っても語らない。食材店・芥屋の店主が無抵抗の人狼を引きずる様は、はっきり言って怖かった。
首元に妙な感触を残されはしたが、泉はシウォンのことをそこまで嫌悪していない。
それなのに、もしも彼が芥屋まで連れていかれたなら……。
従業員という立場の泉、想像すらしたくなかった。
かといって、店主へ意見する気力もない。
泉は人を、人間ではなくとも、殺めてしまったから。
黙々と歩く黒い背。
時折、混沌の瞳が見えたなら、混じる赤に連想した。
(ワーズさんは……どう思うかしら)
喜ぶだろうか?
褒めるだろうか?
彼は、人間以外の者に対して、容赦ない言葉を吐くから……。
唇をきゅっと結ぶ。
肯定を想定しては、凍る心と安堵する心があった。
否定を想定しても、凍る心と安堵する心があって。
聞けない――しかし。
奇人街では殺めた相手に、放置された骸が渡されるという。
ならば、いつかは芥屋に来てしまうはずだ。
彼の、焼け爛れた遺骸が。
思ったなら、弾かれたように口にした。
「ワーズさん、私……人を…………人を、殺しました」
言い切れば、背中の血が引いた。
それまでは、己のやったことと理解していても、珠玉という不可思議な力に由る所業ゆえ、実感はほとんどなかったのに。
頭が締めつけられて、手が震え出す。
空回る舌を納め、乾いた喉が鳴る。
胸が苦しくなり、痛む右手をその前で強く握った。
痛みで霞む視界には、ただ、黒い背中だけが在り――
「そう」
相槌。
続く言葉は――――何もない。
「…………」
乱雑な思いが巡る中、しばらく沈黙を保ってみるが、ワーズの足取りに変化は現れなかった。
急に不安に襲われる。
告げた言葉は覚悟を決めて口にしたのに。
素気無く扱われた気がした。
ぴたり、足が止まる。
すると店主がこちらを振り返り、首を傾げた。
「泉嬢?」
「……ワーズさんは」
どう、思いましたか?
詮無いことを尋ねようとした口を噤む。
未だ自分が何を得たいのか分からない泉は、下唇を噛んで、首を振る。そうして、「すみません」と小さく謝っては、何事もなかったかのように歩こうとし、
「君は……喜んで欲しかったのかな?」
「っ!?」
突然の問いに息が詰まった。
「ち、違います! 私は、そんなっ」
「じゃあ、怒って欲しいの?」
「そうじゃ!……そうじゃない、です」
「哀しめって?」
「…………」
「奇人街なら当たり前、悔やんだってしょうがない、とでも?」
「…………」
問いかけに答えられる思いはなく、ただ首をがむしゃらに振り続ければ、ため息が聞こえて来た。一度震え、恐る恐る顔を上げれば、緩く首を傾げて苦笑する美貌がある。
「あのね、泉嬢?」
「…………はい」
「君は、どう思うの?」
「私は…………」
巡るのは様々な感情。
内から示される返答は。
「分かりません……どう、思えば良いのか」
持て余す感傷は、泉にこれといった特別強い思いを抱かせなかった。
ただ酷い虚脱感だけがあり……。
だから、尋ねたのかもしれない。
ワーズならば、何か、明確な結論を出してくれると考えて。
沈む気持ちに合わせて徐々に俯く視界。
端でワーズがまた先を行くのを捉えては、慌てて顔を上げた。
シウォンを引きずりつつ、ふらふら歩く背を追う。
「……どうも、勘違いしているようだけど」
ぽつりとワーズが言う。
「ワーズ・メイク・ワーズはねぇ? 好きと嫌いの二択しかない場合は、人間だけを好きと取るんだよ。それ以外は全部嫌い。全部、いらない。……でも、ね?」
へらりと笑う口から細い息が吐かれた。
至極、面倒臭そうに。
「二択じゃなかった場合は……どうでもいいんだよ、人間以外の存在なんて。居ても居なくても。それに、死んだ者には興味ないし。だから、泉嬢が誰かを傷つけても、たとえそれが人間だったとしても、ボクはどうとも思わない。ただ、事実として受け止めるだけ」
斜め前を行く表情を覗き見る。
そこにあったのは、とても穏やかな笑み。
不意に視線が交わされて、泉の鼓動がとくりと跳ねた。
不鮮明なのに、全てを見透かすような混沌は、柔らかく紡ぐ。
「泉嬢ってさ、よく表情変わるよね? 辛くても、変わらずに、普段通り」
「…………」
「分かり易いけど、分かりにくい。自分すら誤魔化してしまうほど、完璧に」
「…………」
謳う様に響く言葉へ返す思いは在らず。
こちらを見つめながらも歩みを止めないワーズを、泉は黙って見つめ続ける。
「……泣いても、良いんだよ?」
「っ……」
赤い口にへらりと嗤われて、歪む視界があった。
立ち止まれば、黒い背が向けられる。
引きずられる白い衣はコートの影に隠された。
陽を遮る闇を与えられ、自分の身体を抱き締める。
大声を上げたいのに、喉がつかえて声が出ない。
「君は……殺したくなかった。でも……赦されたくもなくて。……泣けない」
「…………!」
「泣いてしまうのは……赦しを請うているみたいだから。憐れんで欲しいと、こんな自分を赦して欲しいと……相手なのかも自分なのかも分からない誰かに、そう訴えているようで。そう思う自分が嫌で」
とつとつと語られる言葉は、喉が音を拒んでいても、否定できない泉。
まるで自分の心を代弁するようなワーズの語り。
その一つひとつが、嫌悪する涙を呼び、内に謝罪の言を述べさせる。
「本当は、さぁ? 泉嬢のことなんて、泉嬢にしか分かんないんだよ? 他人ができるのは憶測だけ。それを合っていると君が思うなら、君は元々そう思っていたって話でさ」
いきなり突き放すようなことを言われ、顔を上げれば、白い面がこちらを向いてへらりと笑う。
「だから、泣いて良いとボクが言って、君が実行するなら、それは最初から君がしたかったことなんだ。もし、そんな自分を卑怯と思うんだったら、やっぱりそれだって、君の思いでしかない。……泉嬢?」
傾く首。
にたり笑う顔が、焼け焦げた鬼火と重なり、喉がひくりと鳴った。
「泣き続けても良いよ? ずっとここで。謝罪し続けても良い。そんなことをすれば、君はいずれ死んでしまうけど、今回に限り、ボクは止めない」
「……ぁず……さ、ん?」
ぼたぼたと流れる涙の下、回らない舌で名を呼べば、ワーズの笑みがにっこりと明るさを持つ。
人間の死を、自分では易々語るくせに、人に語らせては動揺する店主。
その彼が、泉に死を提示した。
「っ……うぅ…………」
胸が引き裂かれるような痛みに襲われる。
ワーズにそう言わせてしまったのだと理解して。
ここまで迎えに来てくれた彼に、そんな選択肢を用意させてしまったと。
反面、ワーズに赦されたのならば、提示された死を選ぼうとする思いがあった。
人間から死を遠ざけようとする彼が言うのなら、それも良いと……。
迷いに泳ぐ目。
最中。
白い微笑みは背を向けてまた歩き出し、遅れて白い衣が引きずられる。
追うかどうかの判断もつかず、遠ざかる光の中の影を見つめ続けたなら、
「んー……でも、泉嬢がここで終わったら、とりあえずシン殿とシウォンは死ぬよね?」
「…………ぁ?」
掠れた驚きは小さく、しかし捉えたかのようにワーズがゆらゆら揺れた。
「だってさー? 泉嬢、猫のお気に入りだしさ。直接の原因じゃなくたって、要因の一つである相手、ああ見えて情の深い猫が生かしておくはずないでしょ?」
「ぃ? ぁ、っ、ま、待って……わぁず、さん、待って……!」
不吉な予想を立てられ、涙が止まった。
変わりに青ざめたなら、ふらりと大きく黒コートの背が傾ぐ。
「いやいや、きっと、ランもクァンも史歩嬢も緋鳥も、全部、殺されちゃうだろうねぇ。ワーズ・メイク・ワーズだって無事じゃ済まない。丈夫だから、丈夫な分、ずっと痛い目見る羽目になるかも」
ぼやき、大きなため息を一つ。
「あーあ、なんで泉嬢、死んじゃったんだろう?」
「っ!?」
加えられる人数ととんでもない告白を受け、身体が宙を掻いて動いた。
右手も一緒に振り回したため痛みを覚えるが、構っていられない。
ただ今は、泉の死を仮定ではなく決定した、男の背を目指す。
冗談では、ない!
「わ、たしっ! 生きてます! 死んでません! 勝手に殺さないでください! いないみたいにっ、扱わないで!」
叫び突っ込んだ頭がワーズの背にぶち当たった。
固さに星が舞い、大きく仰け反る泉。
それでも堪え、両手を伸ばし、黒一色の身体にしがみつく。
挑むような面持ちで顔を上げたなら、何故か迎えた顔は至近。
背ではなく胸に受け止められたと知っては、顔が熱くなった。
そんな泉をへらりと笑い、ワーズはこめかみに銃を当てて目を細める。
「んじゃ、けってー。泉嬢は芥屋に帰るってことで」
「……へ?」
「良かったねぇ。これで誰も、猫には殺されないよ。痛い目見る必要もないし、ああ、良かった良かった」
「ちょ……わ、ワーズさん?」
やんわり泉を引き剥がしたワーズは、また先を行く。
茫然とその背を見送る泉。
はっと我を取り戻しては足早に追いかけた。
「も、もしかして……騙されたんですか、私?」
いぶかしむ問い。
対するワーズの返答は。
「おや、人聞きの悪い。ボクは言ったはずだよ? ボクが言ったことに対して君が反応したことは、元々君が思っていたことだって。せっかくボクが、今回は死を選んでも止めないって言ったのに、生きてるって訴えたのは君でしょ?」
「で、でも、猫がどうこうって」
「ああ、あれ? あれはただの予想だよ? 実際、君が死んだところで、猫が動くかどうかなんて分かんないし。でも君が生きるっていうなら、予想も無意味だったねー?」
飄々とした風体のワーズに泉は二の句を継げられない。
ちらり、混沌の瞳がこちらをにんまり笑った。
「残念、だったねぇ、泉嬢? 今回限りだったのに、死ねなくて。これで次は選べない。たとえ君がボクの目の届かぬ場所へ行ったとしても、君からは絶対に選ばせないから」
楽しそうな宣言を受けて、泉の唇がため息に震えた。
そういえばこの人、言ってたっけ。
君のことなんか考えてらんない、って。
てい良く遊ばれた気がして、張りつめていた疲労感がどっと押し寄せてきた。
泣いたせいで軋む痛みと熱を持つ頭。
声を上げられなかった喉もヒリリと痛む。
――ツェンを思えば、心はまだぐらつくけれど。
「あー腹減った。猫のフルコースが食べたいな、ボク」
「フルコースって……」
前を進む分だけの気力を新たに得、泉はクツクツ笑い出した背に続く。




