第21話 何より優先されるモノ
瞬間、泉の視界からシウォンが掻き消えた。
次いで上がる鈍い音。響くそちらを追ったなら、少し離れた右隣、こちらへ背を向け倒れる白い衣がある。
またしても状況が掴めず、ぽかんとする泉。
――程なく。
「全く。シウォンってば切断面蹴ったってのに、意地張っちゃって。さっさとダウンしときゃいいのに」
聞き慣れた声が、天井から降ってきた。
目の端に捉える黒い革靴の動きに視線をそちらへ向ける。
蹴るという不穏な音と引っ込む革靴から、シウォンは二度蹴られたと知った。
最初は、くぐもった声を上げた時に、左腕を。
次は、視界から掻き消えた時に、右の即頭部を。
(なんて……容赦のない人だろう。相手は怪我人なのに…………いつものこと、だけど)
惚ける泉は起き上がるでもなく、彼の名を呼ぶ。
今度は怖れずに。
「ワーズ、さん……?」
するとひょっこり、逆さまの白い面が泉の視界に現れた。
へらり、血の色をした不気味な笑みが言う。
「やあ、泉嬢。すっごい襲われっぷりだね? 首、赤くなってるよ? 痛くない?」
至極楽しそうに指摘され、丸くなる目。
次いで、自身の身を顧み、
「っ!?」
飛び起きるなり、慌てて襟を掻き合わせた。
それでも隠した首元から、点々と痺れる痛みが伝わってくる。
何が行われていたのか、嫌でも現実として示されるソレに、身体が竦んで縮まり、涙が浮かんできた。
しかも、最初に見られた相手はワーズ。
勘違いされていたら――シウォンの妻となることを了承したと思われていたら。
そう考えると、背にした店主を振り返って見ることすらできない。
だって彼は言ったのだ。
勧めたのだ。
シウォンの妻になることを。
どう?――と。
視界の端で黒いコートが通るのを知り、身体がビクッと怯えた。
目を瞑り、しばらくじっとする。
やがて、ゆるゆると目を開けたなら、白い手の平が伸べられていた。
束の間、抱く違和感。
黒い袖を追い、肩を抜けて、白い面を見上げる。
変わらぬ、へらりとした赤い笑みに迎えられた。
「泉嬢、帰らないのかい?」
「…………帰って、良いんですか? 私……芥屋に?」
揺れる瞳で伺うように尋ねればワーズの眉が上がった。
「もちろん。人間が望むなら、ワーズ・メイク・ワーズは拒まない――」
ワーズの言葉を受け、拒まれないことに安堵すると同時に、泉の気は重くなってしまう。拒まないだけで、本当はシウォンの妻になることを望んでいるのかもしれないと、芥屋に泉の居場所はないと言われたようで。
しかし、店主は言葉を継ぐ。
「って、本当は言いたいところなんだけどねぇ。芥屋に帰るよ、泉嬢」
強い口調に驚き見開けば、ワーズが自身のこめかみを銃で小突き出した。
「実はこう見えてもギリギリなんだよねぇ、ボク。悪いんだけど、君のことなんか考えてらんないんだ。今回ばかりは君を優先できない。ボクに従って貰うから」
「優先……されていたんですか、私?」
初耳である。
茫然とする泉に対し、ワーズは眉毛をハの字に歪めた。
「そだよ? 優先してなくちゃ、シウォンの下へなんかやらない。アレの住処は奇人街の中で一番安全だからさ。でなけりゃ、どうしてボクのモノを、わざわざ人狼に渡さなきゃならないんだい?」
心底、不思議だと言わんばかりの問いかけに、泉の胸は妙な高鳴りを覚えた。
これを払うべく、伸べられた手へ手を重ね――
はっとする。
気づいた、違和感の正体。
伸べられたワーズの右手には、いつだって銃が携えられていたのに。
今は左手が所持している事実。
「ワーズさん……左手に、銃?」
脳裏に浮かぶ、手放せないと言いつつ銃を手放したあの時。
あれは、中身はともかく、栄養価の高い料理を泉に食べさせるためだった。
そうして今、持ち手を変えている、その理由は。
「だって泉嬢、右手、怪我してるでしょ?」
「……ワーズさん」
分かりにくい優先のされ方に、泉は沈んでいた先ほどまでの自分を笑い……。
白い手を握り締める。




