第20話 恋愛成就
「ココに来た時……クァンに会ってからも……かのえはずっと、自分はシンが好きなんだって思ってた。ううん、確かに好きだったの。だけど……」
視線は眩い陽に向けたまま、かのえの輪郭を持つ人魚がゆっくりと立ち上がった。
端にこれを捉えるクァンも陽を見つめ続け、煙を燻らせる。
「シンがね、分かっちゃったの。かのえの中に私がいるって。それくらい、かのえのことを想っていたの。ちゃんと、異性として。だから、かのえも分かっちゃったの。自分が持つシンへの想いは、親とか、そういう目線だったんだって」
「そいつは、可哀想な話しだねぇ? あんだけ一生懸命だったてぇのに」
「うん。かのえも悔やんでた。それでね、シンに嘘をついたの。貴方の私への想いは母親に対するものだったのよ、って」
「……酷なことを。それであの坊主は納得したのかい?」
確認のような問いに、人魚はひび割れた声で頷いた。
「うん。不承不承、だけど。本当、すごい話よ。思い込んで、道連れにまでしようとしてさ? 勘違いでしたーって。……でも、それくらい、かのえは自分を殺してきたから。自分の本当の気持ちも分からなくなるくらい」
黒曜石の輝きを失った青は、静かに目を閉じる。
「……ニンギョ姫って知ってる?」
「いんや」
嘆息混じりに否定する。
クァンの返事に人魚は薄く笑った。
「かのえの居た場所に在った童話なんだけどさ。嵐の日、沈没する船から、海に住むニンギョ姫は王子様を助けるの。砂浜まで引き上げて。でも、人間じゃないから陸に上がれない。それで、近くに住む領主の娘だかが、倒れた王子様を見つけるのね。その時になってようやく王子様は目を覚ますんだけど、当然、ニンギョ姫のことなんか知らない。そんな王子様が忘れられないニンギョ姫は、魔女に頼んで人間にして貰うの。だけど、副作用っていうのかしら? ニンギョ姫は声を失って、足も歩く度激痛が走るようになってしまう。泡になるから海にも帰れない。そんな苦労までして、再び王子様と会えたニンギョ姫だけど……彼が領主の娘と結婚するって知るの。助けてくれた人だからって。本当は助けたのは自分なのに、声が出ないから言えないし。彼らのためにニンギョ姫は痛む足で祝いの踊りまで踊ったりして」
「ふーん」
気のない相槌を寄せれば、人魚の笑みが深まる。
「そんな報われないニンギョ姫の下にね、彼女のお姉さんたちが来るんだ。綺麗な髪を代償に、魔女から得た短剣で、王子を殺せって。そうすれば、ニンギョ姫は元の姿に戻れるって。一度は短剣を受け取って、眠っている王子様の下まで行くんだけど、ニンギョ姫は殺せず、身投げして――めでたしめでたし」
「……大層な失恋っぷりだねぇ。周りは巻き込まれっ放し」
「厳しい評価ね。純愛なのよ、これでも」
茶化すように人魚が振り返った。
その視線を投げやりに受け止め、クァンは煙を思いっきり吐き出す。
「……王子ってのに会いに行くまではいいさ。その覚悟は好きだ。だけど、それ以降は散々だよ。声が出ないってなら、文字でも覚えりゃ良かったし、王子じゃなくて娘の方を殺せばいいんだ。んなもん、短剣じゃなくたってできるはずだからね」
「あはははははは……キレーなお話しが台無しだわ」
「身投げって時点で、ソイツはもう、キレーでもなんでもない。ただの話さ」
(ぶっちゃけ、アンタら人魚の行動の方が数倍マシだよ)
口が裂けても言う気のない言葉をうっかり思ったなら、視線を合わせていた人魚が驚きを浮べた。
「……なんだい?」
「……何でもないわ」
言いつつ、照れたように頬を掻く様が気に喰わない。
やっぱり嫌いだと思ったなら、視線を交わすだけで人の記憶、想いを漁れる人魚が笑った。
「ふふ……ニンギョ姫、クァンはそう思うのね。かのえはね、ただ素敵と思ってた。でも……彼は違ったみたい。かのえの初恋の人はニンギョ姫が嫌いだったの。ひたむきだけど、ニンギョ姫は自分しか見えてなかったんじゃないかって。沈没した船には大勢の人が乗っていたのに一人だけ生き延びた王子様。領主の娘だって、想い人がいたかもしれないのに、助けた相手が王子様なら望まれたら諦めるしかない。お姉さんたちは大切なモノを失ってまで彼女を必要としたのに……」
「当に、恋は盲目ってヤツだねぇ」
しみじみ呟くクァンに対し、人魚がからかう。
「実感、籠もってるのね?」
「……やかましい」
「でも、そうね。周りなんか見えないから、そういう選択をしてしまう。自分を殺して……相手のためって、本当になるかどうかも分からないのに。そしてかのえはそれに気づいてしまった。彼が、好きで、だから離れて、だけど間違っていたかもしれないって。ううん、本当は最初から気づいていたけど、気づかないフリをしていたの。……きっと、怖かったんだわ。過去の選択を違えたと思うのが。もう、戻れないって知っているから、尚更」
俯く人魚の顔は苦笑していた。
クァンが気に入っていた娘の姿で。
急に思い出されるのは、目の前の少女が歌ったステージ。
あの綺麗な歌声は、どちらのものだったのか。
人魚であった場合を思っても、凪ぐ心に少しばかりクァンは驚いた。
「私、ね。どうして、こんなにかのえの記憶を語れるか、分かる?」
唐突に尋ねられ、眉が寄った。
「そりゃあ、同化したから、だろ?」
能力自体はつい先ほど知ったばかりだが、得た知識が使えるなら、すぐさま自分のモノにすべきだとクァンは考える。
このため自信を持って返した答えは、しかし首を振られてしまった。
「あのね、私……私が好きだったの、かのえなの。シンじゃないの。シンは、かのえを想ってたから好きだった。もしも私が人間だったら、こんな風に想うんだって実感させてくれたから」
「……は? そりゃあ……じゃあなんだって、最初の時、さっさと想いを成就しなかったんだい? いや、して欲しいってわけじゃなくてさ?」
目を丸くするクァン。
顔を上げた人魚は泣くように笑う。
「うん。最初は、そうするつもりだったの。かのえの意識があればシンなんてどうとでもなるから。だけど、記憶を全部漁るまで、かのえの身体が持ちそうになかった。それで同化して……でも、陸の知識を受け入れた私は、かのえの気持ちを想ってしまったの。彼女の望むようにしてあげたいって。だから、全部協力したわ。私の存在で辛うじて生きているだけの自分は死ぬしかないから、巻き込んでしまったシンの命を助けたいって想いも……」
「……恋に生きて逝く人魚のクセに、恋愛成就の条件を自ら放棄したのかい?」
信じられない話だった。クァンが関わってきた人魚の中には、今まで一匹とて、そんな考えを持つモノはいない。
だが実際、目の前にソレはいる。
「うん……かのえは、シンを人魚から救えたって、言いたいこと全部言えたって、思い残すこと無くなったって。そうして意識が亡くなる間際、私に自分の記憶、くれたの。私がかのえのこと、よく分かるように。かのえも私がかのえを好きだったこと、知っていてくれたから」
すっきりした顔で笑う人魚は言う。
「これって失恋、かな? でも、とても満ち足りた気分。ううん、かのえと一緒にいた時から、ずっと。たぶん、当事者だったからだね。記憶を漁る傍観者じゃなくて、誰かを想う当事者だったから……でも」
一度閉じた瞳は、間を置かず開けられ、クァンを真っ直ぐ射た。
応じるクァンは身じろぐことなく受ける。
「やっぱり私は、人魚なの」
その宣言に呼応し、クァンの周りが揺らいだ。
「ああ、分かっているさ。だから、アタシはココにいる」
湯気のように立ち昇る揺らぎは空気を透明に滲ませる。
鬼火の内で浮かぶのは、願う、少女の姿。
もしも――と続く言葉。
もしも全てが上手くいったなら……”私”を消して欲しい。
全てを言わせず、断ち切ったのはクァン自身の言葉。
もしも、じゃない、絶対だ――と。
継いだのは偏に、彼女の口からその先を聞きたくなかったから。
それでも、願いは聞き入れた。
「お望み通り、一瞬で消してやるさ。痛みも感じる暇さえ与えず……それが、一時でもアタシの店で勤めてた、アンタに対するはなむけだよ」
「……ありがとう」
くすりと笑い、目を閉じる人魚。
覚悟を決めた表情を笑い、クァンは言った。
「勘違いするんじゃない。かのえじゃなくて、人魚のアンタに対する、だ」
「えっ?」
真ん丸い目。
人魚でもこういう風に驚けるのかと思えば、腹の底から笑いが込み上げてきた。
「肝心なトコで記憶を読まないヤツさね? 人魚を一匹滅ぼすのに、煙なんか必要ないだろう? いつもみたいに、じわじわ弄り殺してやればいいんだ」
ちろりと唇を舐めたなら、人魚の顔が強張る。
そんな行動の全てが面白過ぎて――クァンは柔らかく微笑んだ。
「だけどアタシャ、アンタも気に入っている。人魚だろうが、そんな声になったって、店に置き続けたいくらいだ」
「クァン……」
「でも……アンタは人魚に殉じるつもりだろう? アンタの失恋だって立派な恋愛成就さね。相手を思い合って、分かち合って。羨ましいくらい、満ち足りて……だから、そこで終わりたいと望んでいる。成就した人魚は漁った記憶共々消えるから」
「うん」
しっかりと人魚は頷いた。
見つめるクァンがにやりと笑う。
「いいねぇ。だから好きだよ、アンタのこと。煙吸って強制的に炎を呼ぶ、不健康極まりない方法使ってさ。たとえ、憎い人魚だったとしても。せめて苦しまないように葬ってやる、ってくらいには」
「……ありがとう」
微笑む人魚は瞳を閉じることなく、じっとクァンを見つめた。
もうすぐ昇りきる陽。
凍りつく空色の瞳と空を映す蒼い瞳が絡み、
「じゃ、ね」
「うん……あ、そうだクァン」
あのね。
続く言葉は――――




