第18話 知人として
泉の目が思わず点になった。
どういう思考回路をしているんだろう、この人は。今の今まで、重い思いをしてまで運んだ身体なのだ。今更勝手にしろというなら最初からそうしている。
叫んだところで一過性。たとえ売り言葉に買い言葉で、そんなことを口走ったとしても、実際そうする気は更々ない。
だというのに、さも分かっているという風体の諦めの表情は、ちょっぴり腹が立つ。これが様になる整った顔立ちならば、より一層。
シウォンの考えがさっぱり分からない泉は、重ねる言葉も見当たらず、怪訝だけを顔で示した。
「……放って、さっさと行けばイイ。嫌う者の傍に居たくはないだろう?」
「…………嫌う?」
(誰のことだろう?)
誰が誰を嫌っていると……。
不意に、ピンときた。
「シウォンさん……私のこと、嫌いだったんですね?」
「…………は」
相手の目が丸く見開かれたなら、考えは正しかったと結論づけて、頬に手を当てる。
「うわー、すみません。全然気がつきませんでした。私、てっきりシウォンさんには、猫のおまけ程度で認識されていると思っていたんで。まさか嫌われていたとはこれっぽっちも」
純粋に驚く。
そんな泉へ、シウォンが右手を伸べて宙を掻いた。
「待て待て待て……どういう風に考えりゃ、そういう結論に達せる――いや、それよりお前、俺に嫌われるのが、そんなに……嬉しい、のか?」
「へ? ああ、こ、これですか? いえ、そうじゃなくて……今まで気づかなかった自分が恥ずかしいなって……」
一生懸命だったのに、助けようとしていた相手は、助けられるのが嫌なくらい自分を嫌っていた、なんて。
(どこまで間の抜けた話なのかしら?)
一杯一杯でそこまで気が回らなかった。
思い返せば、シウォンは何度も言っていたではないか。
「何故俺がこんな小娘に」、と。
大変な目にもあったが色々助けてくれた手前、そこまでの悪感情を持たれていたとは思いも寄らなかった。
両頬をむにっと抓んでは放し、苦い顔のシウォンへ照れ笑い。
「ええと、じゃ、じゃあ、私はこれで。重いだの何だの、色々すみません、ホントに」
「なっ」
「もう会うこともないと思いますけど、ええと、お、お元気で。って、嫌ってる相手から言われるのも嫌かもしれませんけど。じゃ!」
最後は爽やかに手を挙げ、シウォンを背にする泉。
今頃になってちょっぴり泣けてくるのは、やはり嫌われていたのがショックだったからだろう。色んな面でとんでもない男だったが、泉としては別に――。
「ま、待て! 珍妙な誤解をしたまま行くんじゃねぇ! 大体、お前が俺を……嫌っているはずだろう!? 何故、俺が?」
叫びを受けて振り返れば、シウォンが億劫そうに立ち上がろうとしている。
先ほどまでなら手を貸すところだが、嫌われていては近づくのも申し訳ない。
目を合わせるのも気まずく、頬を掻きつつ、シウォンの言った意を考え――思い出した。
泉が求婚を断ったのはシウォンを嫌っているから、と一人で勝手に決めて、勝手に納得した、彼のことを。
「……別に私、シウォンさんのこと、嫌いじゃないんだけど」
目を逸らしたまま、ぽつりと呟く泉。
「まあ、良い人でないのは確かだし。どっちかって言ったら、極悪人――ひっ!?」
ぼやいていたなら、左肩ががっしり掴まれた。
咄嗟に「すみません!」と口では謝り、両手は応戦するように頭上で構え、
「ぅ、いたた……」
痛みにより、右手は間を置かず下へと退場。そういえばこの傷は、シウォンに付けられたものだったと、ちょっぴり非難がましく見上げたなら。
身が竦んだ。
一歩退きたかったが、掴まれた肩の重さで動けない。
「嫌って……は、いない?……ならば」
呻く言葉も出ないこげ茶の目を凝視する、血走った緑眼。
熱病に浮かされた口調でねとりと囁かれ、泉の身体が知らず知らず震えた。
(こ、怖い)
今日だけで色んな目に合ってきたが、現在のシウォンの怖さは、ツェンと二人きりだった時に酷似している。思い起こせば、過ぎる苦味に胸が苦しくなるが。
「ならば……何故だ? 何故、俺の妻になることを拒絶する?」
「へ?」
突拍子もない問いに泉の目が真ん丸くなった。
対するシウォンは変わらぬ面持ち。逆光になっている泉の表情の変化を一つも逃さぬよう見つめる目が、なんとなくイタい。
視線をそろり逸らそうとすれば、肩が大きく揺すられた。
再度合わせたなら、逃げるなと訴える眼光。
鮮やかな緑の目玉が食い入るように近づいてくる。
蛇に睨まれた蛙状態の泉は、あくせく考えをまとめ、しどろもどろ答えた。
「ぅええと、その、あの、いや、拒絶って、だって、シウォンさん、知らない人だったじゃないですか。それに凄い強引で、私の意見なんて、全然聞いてくれないし。全部決めつけちゃうし。き、嫌いって話にしても、私、何も言ってないのに、勝手に私がシウォンさん嫌いって決めつけて」
内心で、ひえええ、と叫び続ける泉。
そのせいで口が考えに追いつかなくなり、もう少し練れば良かった言葉まで口走ってしまった。
「確かに、強引なところは嫌ですけど、断りもしましたけど……私、シウォンさんのこと、結構好きですよ」
――知人として。
続くはずの最後の言葉は、
「っだ!?」
いきなり圧しかかってきた体重によって封じられる。




