第14話 贈り物
これで捨て置かれたなら良かったのに、泉は今も、シウォンの右腕を背負っては歩みを止めない。木目肌の腕がもたらした怖気は、未だその身を苛んでいるだろうに、一度は同じ行為に走ろうとしていた男を支えている。
シウォンには、泉の考えが全く分からなかった。
情けでも、掛けられているのだろうか?
満身創痍だから、と。
確かに腕を一本失った事実は痛い。他種の中には失った部分が新たに生えてくる者も在るが、人狼の回復力は現存する身に限られる。
しかし、人間と比しては、その欠点もないに等しい。
奇人街の中で人間は、それだけで絶対的な弱者に位置する。
どれだけ鍛えようとも、見た目がどれだけ優れようとも、一部の例外を除き、最弱であることに変わりはない。触れて壊れる脆さはないにせよ、現在のシウォン相手、奇人街の住人と同じ数の人間を集めても、できて掠り傷を付ける程度だろう。
弱点となりえるはずの切断面ですら、彼らにとっては凶器でしかない。
そんな人狼へ、ただでさえ傷ついたままの人間が掛ける情けなど……。
「シウォンさん、もう少しちゃんと乗っけてください。ずり落ちちゃいます」
「ああ……いや、重いだろう? もういい。一人で歩ける」
「そりゃ重いですけど……重症なんですよ? 自覚してください。熱だって、さっきの腕とか炎のせいで、だいぶ上がってるじゃないですか」
じろりと睨まれて、なんだか酷い気疲れが起こる。
元々、シウォンは誰かの身になって考える輩ではない。
それなのに、泉を慮って。
それなのに、当の彼女からは拒まれるばかりか、逆に慮られて。
しかも、こっそり離れようと動けば、
「シウォンさんっ、いい加減にしてください! 負担を軽減しようと思ってくださるのはありがたいですけど、そう思うんでしたら余計な動きしないで! 叫ぶのだって、結構体力消耗するんですからっ!」
(……だったら、離せば良いだろうが)
仕方ない、とため息を吐き出せば、泉の睨みに拍車が掛かる。
どうも先ほどから、彼女の機嫌が悪い。
何を怒っているのか、さっぱり分からないため、対処のしようもなかった。
(大体、お前は俺を嫌っているはずだろう?)
嫌っている相手に密着するこの状態、普通ならば嫌悪すべき、ありえない状況だ。
彼女を好いている自分にとっては好ましくとも、想われないと知っていては苦痛。
どちらにも、得はない。
――のに。
「あ、ほら、シウォンさん、あの曲がり角、なんだか明るいです。出口が近いのかも」
投げやりに明るい声は、決してシウォンを諦めない。
この事実へ、シウォンが抱く思いは、不快なほど生温く、甘い。
甘味を好む小洒落た舌なぞ持ち合わせていないが、奇妙な高揚感をもたらすそれは、どこまでも心地良く響く。
だがしかし、彼女は言う。
「あ、そうだ。芥屋に帰る前に、お願いがあるんです」
分かっていても、突きつけられる自分ではないゴール。
いつだって泉が真実呼ぶのは、彼の男。
好意の否定は為されたが、彼女が求める先に相違はない。
「……こういうこと、言うのは気が引けるんですけど。ええと、人狼のクイさんとレンさん、赦して上げて欲しいんです……っていうのも、狙われていたらしい私が言うのも、本当になんなんですが、一応、助けて貰ったっぽい感じだったりするもので」
「クイとレン?……誰だ?」
知らぬ名に眉を寄せれば、泉の目がぎこちなく泳いだ。
あるいは、呆れている節の動揺。
「え……と……その、女の人で、クイさんが親でレンさんが子どもで……あ、あと、両手にすごく痛そうな傷があって……それでその、私を殺そうとして人使ったって」
向けられたのは、別の相手がいるだろうと言わんばかりの言葉。
細かく提示されて薄っすら思い至った二人の女さえ、泉が関わるからこそ浮べられたというのに。
「……お前がそう言うのなら、構わん」
それでも初めての頼み、引き受けるのは偏に泉への想いでしかないと、彼女は知っているだろうか?
知られようとも、嫌われている時点で全て無駄なのだが。
再び沈黙が訪れる。
耳につくのは、だるさを押し出すように吐かれる己の呼気ではなく、見出した明かりにやる気を取り戻しながらも、堪る一方の疲労から彼女が震わせる吐息。
引き摺る足取りで角を曲がった。
泉の言う通り、坂道となっている上方から、光が差し込んでいる。
己の身を顧みればありがたいのかもしれないが、あの先で手放さなければならない者を知っては、先の明るさに反して心が暗くなる。
「……かなりの急勾配ですね」
言いつつ、決して歩みを止めない彼女の姿勢に、シウォンの胸が痛んだ。
次いで浮かぶのは、昏い思い。
このまま帰してしまうくらいなら。
いっそ……この娘も俺の手で贈ってやろうか。
今までの女はどれも、自分の意思でシウォンの下へ寄り、シウォンの意思で店主の下へ贈られていった。
そう。
あれらは全て、贈り物。
シウォンからワーズへ。
動揺を欠片も見せず、月下、嘲笑しては去っていった男への。
引きずり下ろしたかった。
独り嗤うその位置から。
孤高を演ずる、ふざけた輩に、他の感情を見出したくて。
お前とて、只の一人でしかないのだと。
ワーズに対する思いは、酷く難解で、それでいて単純。
要するに、認めはしても同格でありたいと、シウォンは思っていた。
例えば猫に殺される同族を、己に重ねて怯えるような。
もしくは、宿敵と見た若造のように、親しき者を傷つけられて憤怒を抱く――
そんな、当たり前の感情を求めて。
しかしワーズはどれに際しても、嗤うのを止めない。
死んだ者に興味はないと公言して憚らないくせに、残骸を掻き集めては手厚く葬る。
泣きはせず。
変わりに嗤い。
だが、相手がこの娘ならば、どうだろう?
奴を認める娘なら、何かしらの変化をもたらしてくれるのではあるまいか?
――屍と為ったその姿で。




