表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奇人街狂想曲  作者: かなぶん
第十節:それぞれの終焉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

202/220

第13話 彼の言い分

 最初にその姿を見た時、確かに食指は動かなかったが、娘の表情は眼に焼きついていた。

 煤けた赤いソファに身を横たえ、黒いコートを掛けられた彼女の、安心しきった穏やかな笑み。頬の色は薄暗いことを差し引いても青ざめており、ともすれば骸のように質感が乏しい。

 それでも、微笑みだけは温かく満ち足りていて――。

 初めて見る類の顔つきは、酷く羨ましいモノであった。

 己を狼首に掲げる群れに居ようとも、すんなり受け止められず、居心地の悪さを感じていたシウォンには、とても。

 だから、というべきか。

 娘が目覚めたという情報があっても、猫を操ると知らされても、再び赴く気にはならなかった。人間の小娘如きに羨望なぞ、幾度も感じたくはなかったのだ。

 しかし、猫が群れ同士の諍いに介入したとなれば話は別。

 シウォン自身は猫に歯向かっても殺されないが、群れの連中に同じ情けは在り得ない。

 聞けば、死体は全て芥屋の取り分になったという。

 せめて群れの奴らがどれくらい猫に殺られたのか、明確な数が知りたかった。

 知ったところで死んだ者に対する思いなど、一片たりとも在りはしない。

 ただ知れたなら、それを増す数で他を屠り、己の立ち位置を揺るぎないモノにしようと考える。猫が殺した数は問題にならぬと、誰よりも己へ示すために。

 そうして店主を訪ねた芥屋で、遇う、意識外にいた姿。


 正直、目を疑った。


 困惑しかない、笑みのない、店主。

 常に、嗤うだけの身を知っていた。

 出遭いより一度として変わったことのない、乾いた嗤い。

 満たされもせず、満たされたいとも感じていない、干からびたソレ。

 だというのに、初めて見る戸惑いは、歪んでいてもあまりに無防備。

 加え、これを引き起こしているのは、独りであるはずの店主へ自分から擦り寄る人間。

 今まで、誰も、これほどまで近づく者はいなかった。

 近づけた者は、誰一人――。

 だからというべきか、こちらを見た店主は、ほっとした表情を浮かべた。

 人間好きを豪語し人間以外を嫌う男の、無様な安堵が向けられて。

 絶句する。

 目を剥いている内に、店主が人間へこちらを理由に離れる仕草。

 合った、瞳。

 会釈したその娘は、初見の時より色づいた頬で。

 惚けては、会釈されて返し……

 自分に失望する。

 人狼の、それも虎狼公社という群れを率いる狼首でありながら、脆弱な人間の小娘風情に、頭を下げるなぞ。

 在ってはならぬこと。

 半ば八つ当たり気味に猫を理由とし店主を弄ったが、アレの頑健さは気を晴らすに至らない。

 しばらく、荒れた日々が続く。

 しかし消え去らない、娘の姿。

 店主を相手に激昂している内でさえ届いていた、軽やかに笑う甘い音色。

 店主へと向けられる、柔らかな微笑。

 呪われたように思い返してしまう。

 ならば。

 いっそ。

 どうせ。

 その内とは思っていたのだから。

 相手は芥屋の従業員。

 店主が庇護する人間の、たかだか一匹。

 取り込めば良いだけの話。

 ……それだけの話だった、はずなのに。

 弱気にも、誘う時では決して寄せつけない、同族の女を侍らせる。

 まるで、自分に添うことの利点を示すが如く。

 結果は拒絶。

 小娘に頬を張られ。

 それどころか、宿敵と定めた小僧に邪魔された挙句、娘が店主へ向ける信頼の厚さを知らされた。

 だが、それ以上に。

 絡めた肌の感触が身を震わせた。

 毒を舐めたように痺れを起す舌が在り。

 普段であれば、拒まれて終わるところを、無謀にも攫い。

 同じく拒絶されても、交わす瞳と声が鼓動を逸らせる。

 触れた身体が熱い。

 嗅ぎ取る匂いの柔らかな甘さは、喰らうことよりも呑むことを望む。

 信じ、られない。

 信じてはいけない。

 全ては猫がため。

 そう思うことで己を保たせる。

 なのに傷つけられたと知っては、己の傍に無い身が酷く恐ろしい。


 右手の痺れが徐々に引いていく。

 反し、胸の痛みは増していた。

 紅珠玉の行使――

 最上とされる紅皇珠の、粉とはいえ伴う反動は、自分で味わっても気が狂わんばかりだった。とするならば、珠玉のままの状態で他人の炎まで操った、人狼でもない人間の彼女が受けた反動たるや……。

 考えるだけでゾッとし、そんな彼女のお陰で炎を免れた己の不甲斐無さに苛立つ。

 アレを泉に付けさせたのは、飾りつけるためではなく、その身を守るためだった。

 あの餓鬼に襲われた時、彼女はかんざしを身に付けていなかったらしい。水路に沈んでいたかんざしは、自然に落ちたか、彼女の意思で捨てられたか知れないが、例え後者だったとしても、そんなことはどうでも良い。ただ、もっと長く付けてくれさえしていれば、餓鬼の強襲には遭わなかったはずである。

 だからこそ、泉へ渡したのだ。

 何度も。

 今度は傷なぞ付けられぬように……。

 紅皇珠を所持する者の数は少なく、そのどれもが違わぬ実力を持つ。

 なればこそ、抑止力になるはずだった。

 泉を傷つければ、珠玉の持ち主から恨みを買ってしまうと、暗に示すよう。


 それが、逆に彼女を傷つける結果をもたらすとは思いもよらず。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ