第12話 しゃくとり腕
向けられた手の平に、真一文字の裂け目がある。
深い裂傷のような……。
不思議に思い、首を傾げた矢先、その裂け目がぱっくりと開いた。
「これ、返事をせんか。今更しらばっくれるとは、われを泣かす気か? 泣けんぞ、われに目はないでな。なーなー、おるんじゃろう? はよぉ、返事をしておくれ?」
中から覗く、木造のすきっ歯が寂しそうに語る。どうやら裂傷は口の役割を持っているらしい。
分かったところで、またしても口を塞がれた泉に応えることはできないが
と思えば、頭上から泉ではない声が発せられた。
「黙れ、ジジイ」
(うわ、シウォンさん、ズルっ!)
非難めいた視線と突き出した唇で無言の抗議をしようとも、シウォンは少し身じろいだだけで放してはくれない。尤も、泉が身体を捩れば脱出は可能だろうが、そこまでしてラオに話しかける内容など――
(……あ、お礼)
唐突に浮かんだ、暴漢を退けてくれた時の礼。だが、目の前の腕は泉の知っているラオではない、と先んじて受けた注意が発言を留めてしまう。
それでなくとも、今はシウォンを支えている身。自分からそういう格好を取っておいて、いきなり放棄するのは勝手が過ぎると思い直した。
仕方なく、じっとする。
シウォンに声を掛けられた腕は、手の平の線を笑みに変えた。
「ほっほっほ。その声はシウォンじゃな? 洟垂れ小僧が珍しい。何の用じゃ?」
「誰が洟垂れだ。俺がお前に会ったのは二、三度、それも十五は確実に過ぎてからだろうが。憶測でモノを言うな、ラオ・ヤンシー。大体、話しかけたのは俺じゃない、お前だ」
どこまでも面倒臭そうな受け答え。
シウォンを見上げれば、声そのままの顔つきをしていた。
「やれ、そうじゃったかのぉ? まあ、良い。ところで――」
まるで辺りを見渡すように、腕が周囲へ手の平を向ける。
ぐるっと円を描いたところで、手の平をシウォンに戻し、
「誰ぞ、共におるんかい? 足音がお前さんの他にもう一つあったじゃろう?」
「…………耄碌ジジイのクセに。いらんところは察しがイイな」
忌々しそうにシウォンが呟けば、背負う右腕が隠すように泉を抱き締めた。
状況はよく分からない。
だが、たかが腕一本を相手取るにしては、些か過ぎた警戒。
自然、泉の緊張も高まった。
「……喋らんな。ということは、ワーズか?」
そこで何故か出てくる店主の名。
興味を引かれるが、その前にシウォンが歩を進めた。
「……行くぞ」
だからと抵抗してバランスを崩す真似はせず、促されるまま続く。
すると届く、杭を打つ響き。
これを追うように、何かを引っかく、耳障りな音が鳴る。
目にする暗がりと音から現れる、碌でもない想像。
否定すべく、恐る恐る音のする方向、背後を見た泉。
「っ!」
悲鳴はどうにか呑み込んだ。
そこに在ったのは、金属の床を這う木目肌の腕。
天を指すように伸びては倒れ、折り曲げた指で床を穿ち、他の部分を引き寄せる。
しゃくとり虫の要領で、繰り返し、同じ動作をしつつ、
「待て。われも連れて行け。こんなところで死にとうない」
「断る。本体から分離した身、元々死んだも同然だろうが。第一、持ち寄ったところで邪魔にしかならん」
「何おうっ! 立派なオブジェとして活躍してやるぞっ!」
「どこの好き者だ、それは。俺か? 冗談じゃない。他を当たれ、自力でな」
「ぬぬぬぬぬ……無害な老体を無下に扱う気か?」
「……無害?」
ぴたり、立ち止まるシウォンに合わせ、泉も止まった。
振り向けば合わせて向き、対峙したのは気味の悪い腕。
あともう少しで、シウォンの足へ触れる距離。
天を仰いだ手の平が、倒れる瞬間。
「寝言は寝て言え、ラオ・ヤンシー」
静かな怒気が泉の身を竦ませ、手の平を迎えたシウォンの爪先が腕を遠くへ飛ばす。
だが、大人しく蹴り上げられる腕ではなかった。
「やれ、老体には親切にするものじゃて!」
くるりと回る腕から、触手のような枝が伸びる。
捕らえられたのは――
「きゃあっ!?」
「泉っ!」
支えを引き剥がされたシウォンが倒れ、蹴られた腕が地へ着地、勢い良く引き寄せられた泉の背を受ける。
「っ」
詰まる息に拘束されたまま咳き込めば、横向きに倒れた腰が掴まれた。ゾワリと這う悪寒はあっても動ける身はなく、腰を掴む手によって腕の重みが身体の上へ移る。
「むむむぅ?」
「ひっ」
腰に立った腕が、手の平を泉の太ももへ伸べ、撫でつけてきた。
「ほほう? ワーズかと思ったが……女人か。こりゃあ、重畳じゃな?」
愉しげな声音に同調し、絡みつく根が泉の身体を締め始めた。
「ぁっ」
仰け反れば緩まり、床へ落ちてはまた強まり。
「ラオっ、何を!」
「おう? まぁだ居たんかい、シウォン。もうお主は良いわ、行け。われはこれから、このお嬢ちゃんに用があるでな。くくく……昔の血が騒ぐのぉ。たっぷり躾けてやれば、人狼如きに媚を売らんでも、われの思うがまま地上に出られそうじゃ。しかも人間相手。ワーズも手出しは出来まい。難儀よのぉ? 人間の部分が大半を占めるせいで、切り捨てられぬとは。なあ、お嬢ちゃん?」
「っ!? いやっ!」
腕が傾ぐなり、締めては緩めるを繰り返していた根が動きを変えた。
もがこうと腕を動かしても、一度は古木ゆえに壊れるが、すぐさま新しい根が張り巡らされてしまう。
「ひっ、やぅんむっ……んんーっ!」
大きく跳ね、上がる悲鳴までも、根が覆い隠していく。
「静かにな。女人はお淑やかでなければいかん。淑やかに……庇護欲をそそりながら、劣情を煽る淫らさでなければ。まだ未熟じゃが、なればこそ、われ好みに弄れるというもの。心配せずとも時期善くなる。よく言うじゃろう、辛いのは最初だけと」
窘める物言いの不穏にゾッとし、首を振ろうとしても動けず。ラオと同じ声、同じ質感であることも、恐怖を助長させ、見開き揺れる眼に涙をもたらす。
歪む視界。
先で、白い姿が立ち上がった。
「いい加減にしろ。俺を……挑発しているのか?」
地の底から起こるような、低い声が耳朶を打つ。
迎える腕は嘲笑。
「ほっ? 挑発? この程度の手慰みでか? 大体、この娘は人間ぞ? お前さんには掃いて捨てるほどの相手がおるではないか。一匹くらい、憐れな老人に恵んでくれても良いだろうに。……のお?」
「んむぅっ!」
するり、袖口から入り込む根。
肌に直接感じる木目が気色悪い。
手を動かそうとすれば、覆うように根が伸びる。
「……それにこの娘、この手。本体から伸べられたわれを投げた奴ぞ。ここへ辿り着く羽目になった原因。なればこそ――」
腕の言葉に浮かぶのは、初めて会った際、もぎ取ってしまったラオの手と、思いっきり投げた後の水音。ラオは途方に暮れるだけだったが、その腕にとっては恨み辛みのある出来事だったらしい。
かといって、はいそうですか、と己の身を差し出すつもりのない泉に対し、根は更に絡みつく。
「贖え、娘。その身、その心、我に差し出せ」
口調を変え、声質も若々しくなった腕が、根を襟元へかけた。
「っ!!」
進行を妨げる手足は、都合の良いよう形を変えられてしまい、木目肌の動きだけが泉に知らされ――。
「付き合って……られんな」
唸る低さから、紅蓮の粉がはらり、舞い降りる。
途端、上がる炎。
「な、なんだっ!? 熱い!?」
合わせて上がるのは、腕の動揺と、
「泉っ、来い!」
命令のようなソレ。
「くっ」
弾かれたように動きを取り戻した身体は、張りつく根を易々と引き千切った。
触れる熱さへ目を向ければ、燃やされる腕がある。
「待てっ!」
追う手の動き。
逃げる足を掴まれたなら、泉は躊躇なく、これを蹴った。
触れられた肌の気持ち悪さ――それよりも。
赤い、粉。
身体を浸食する根の質感が、引き攣る痛みを左手に思い出させたゆえに。
転がった腕は、それ以上の動作ができず、炎に喰われていった。
これを視認した泉は、迎えた白い衣へ頭から突っ込む。
「あだっ」
一度、両足で蹴ったことのある腹は、あの時と変わらぬ硬さだった。
しかし、今回はシウォンの方も無事では済まなかったらしい。
「グッ……」
低く、苦悶が鳴る。
「……紅珠玉、持っておいて正解だったな。アイツの身体はここの金属より再生が早い。本体相手なら無理だが、あの大きさなら間に合わず燃え尽きるだろう。昔取った杵柄か何かは知らんが……あのジジイ、若い頃は相当キツイ性格だったらしい」
飽いたら腸を喰らう自らを棚に上げ、シウォンが疲弊し切ったように言う。
しかし、よろけるシウォンの身体を支えつつ、泉はこれへ頷いてみせた。
身の危険を考慮したならどっちもどっちだが、腕の扱いは殊更に無情。
よだつ身の毛から、泉はじくじく痛む右腕で己を抱く。
微かに震えては、シウォンがため息をついた。
「…………小娘。とりあえず、服を直せ。目の毒だ」
とんっと押される身体。
数歩たたらを踏み、振り返れば、よろけ立つシウォンが朱の衣を顎で差す。
「わわっ!?」
乱れた服を認めた泉は、慌てて背を向け、手早く直した。
そうしてまた、シウォンへ視線を戻し、
「シウォンさん!?」
片膝をつき、荒い息を吐く右手から、白い煙が上がっている。
ただし、そこに焼けた形跡はない。
泉は目の当たりにした光景から、珠玉を使用した際の反動をまた、左手に思い。
強く、握り締めた。




