第10話 理想のヒト
潮騒が耳朶に響く。
寄せては返す波。
しかし遠く、視線を移せば、あるのは鏡のような黒い水面。
夜の、海。
月は丸い形を保ったまま、光を滲ませず、真白い穴を空と海に穿つ。
鼻を衝くニオイはもうない。
炎を発した珠玉により、人魚は全て燃やされた。
当の珠玉も、砂になり、風に吹かれて飛び散っている。
――そして。
視界には入らない右隣で、ドサッと誰かが腰を下ろした。
「なぁんか、しっちゃかめっちゃか、とっ散らかった感じだねぇ。ワーズ・メイク・ワーズは絵だけじゃなくて、歌もよく分かんないはずなんだけど……シン殿のはすっごい個性的だって分かるのは…………どうしてだろうね?」
「……ひと思いに言ってくれ。音痴だ、って」
不気味な声ののんびりした感想を受け、大声で歌っていた竹平は口を閉ざし、がっくりうなだれた。そこに入る言葉は気遣いでもなんでもなく、
「んー、無理。歌の良し悪しなんて本当に分からないから。でも、泉嬢の唄を聞いていると、シン殿の歌って、色んなモノがバラバラしてるなあって」
「…………比べる奴が悪い。アイツの唄は卑怯なくらい上手い」
「んー? 比べてないよ? シン殿の歌も良いんじゃない? 面白くて」
「あのな……そりゃ、遠回しに貶してんだよ」
「そお? ワーズ・メイク・ワーズは、人間のやることなら全部大歓迎だけど」
「ああ、そうかよ。……十把一からげってことか」
妙ちきりんな店主に慰めを期待した覚えはないが、話す度にへこんでくる気持ちは何だろう?
ちょっぴり泣きたくなってきた。
……本当に泣いたら歯止めが利かなくなりそうなので、浮べることすらできないが。
そんな竹平の思いなど知る由もない隣は、ぽつりと言った。
「でも、泉嬢の唄は好きかな? 良いか悪いか分からないけど、何か……変な感じで」
「お前……」
ボーカルを意固地になって強調していた竹平でさえ、足元に及ばないと思わせる唄声。これを変と評され、呆れた顔を右へ向けるが、
「…………あの、さ」
茶色い目を少しばかり見開けば、別の話題が口をついた。
「お前……無事、だったんだな」
「んー? ああ、胸? ヘーキだよ、ボクは丈夫だからねぇ」
「丈夫って限度を超えている気もするが…………なあ」
「ん?」
へらりとした顔が銃口を頭に押し当てて傾く。
何度見ても慣れない光景に竹平は口の端を引きつらせた。
喉を鳴らし、緊張を慣らし。
とりあえず、聞きたいことだけ問うてみる。
「お前ってさ……泉のこと、どう思ってるんだ?」
「好きだよ?」
間髪入れず、返された答え。
聞いたこっちが照れるくらいの即答に、居心地が悪くなった竹平はちょっとだけ身じろいだ。
「もちろん、シン殿も好きだけど」
次いだ言葉を受け、拳一つ分、腰を浮かし、尻一つ分、ワーズから遠ざかる。
一拍置き、赤い口へ指を突きつけた。
「はあ!? お、お前、何言って――」
「あと、史歩嬢にスエ博士、人間は皆好き。ああ、でも、猫も好きだよ。愛してるんだ」
分け隔てない、いい加減な人類愛を謳われ、異様な疲れを感じた竹平。
別口に猫愛を聞かされても、赤くなる頬なぞありはせず。
「だから、すっごく食べたい。生でもいいけど、煮たり焼いたり揚げたり蒸したり――」
「…………愛?」
今更ながら、いかに自分が愚かしい質問をしたのか思い知った。
否、質問する相手自体を間違っていたのだろう。
泉の唄を語る時の表情が、優しくも切ない笑みとして映ったのすら、幻覚の類と結論づける。前に向き直って深いため息をつけば、視野外にいる隣の男が問うてきた。
「それで、シン殿。どうしてボクが、泉嬢をどう思うかって話になったの?」
色んな段階をすっ飛ばし、核心を衝く疑問符。
咄嗟に、男同士でそんな話できるか、と口走りそうになった竹平だが、そもそもの原因を作ったのは自分と諦めた。
改めて、もう一度、深く息を吐き出す。
吸っては、陰鬱な表情で海を――かのえが去っていった方を見やった。
去り際に、自分は人魚だから海に帰る、もう会えない、と言って。
向けられた背中から「ごめん」とまた……言われて。
「俺……フラレたんだ。心中まで……決行された仲だったってのに。最初から、思い違いがあった、ってさ」
「ふぅん? んで?」
軽い調子で先を促され、ぐっと詰まるモノがあった。
こっちはダメージ喰らっている真っ最中なのに、呑気に構えている男が腹立たしい。
しかし、それはあまりにも勝手過ぎる思いゆえ、当たるような真似はしない。
そんなことをすれば、自分が惨めになるだけ、だから。
かと言って、それ以上語れる言葉もなく、沈黙。
保ち続ければ、また唐突に隣が口を聞く。
「死のう、とか思ってる?」
「…………どうだろう?」
一瞬、それも良いかもしれないと思った。
まだ若いんだから――そう、かのえは言ったが、振り切れる気力が湧かない。
失恋で相手に振られた場合、キツイのは男の方だと何かで読んだことがある。
寿命にまで影響を及ぼすらしいから、実はか弱いのかもしれない。
物理的なショックでも、男の方が生存率は低いとも――
「……ならどうして、死ななかったのかな、俺?」
ぽつりと呟き描くのは、夜の海に呑まれた自分。
好き合っていた末の出来事だったと、思い込んだままの方が良かった。
思い込んだまま、死んだ、方が……。
「歌っても……気なんか晴れない…………」
「それは違うんじゃない?」
唇を噛み締めた矢先、ワーズがのんびり言った。
振り向き睨みつけても、迎えるのはへらりと笑う赤い口。
「だってシン殿は、気を晴らすために歌っていた訳じゃないんでしょ? 誰かを想って歌っていたんでしょ? だからあの子とは違う。あの子は自分の存在を確かめるために唄っていたから。必死に、足掻くみたいに。何も変わらないと知っていて、何をしても無駄だと突きつけられて。唄うことしかできなかったから、許されなかったから、唄っていたんだ。シン殿のように想える者もなく」
「……それって」
「もし、歌っても気が晴れない、ってだけで死のうとするんなら……手段は選ばないけど?」
言葉の意味を問う前に、ワーズがさらりと言う。
粟立つ笑みから、緊張が走り、尋ねたかった言葉は消え去った。
違う問いが、竹平の喉を通る。
「選ばない……って?」
「ワーズ・メイク・ワーズは人間が大好きだけど、心はあんまり重要視していないんだ。何せ、心が欠けていてね。人の気持ちなんか察する気はないんだよ。つまりは、ねぇ? 生きていればいいんだ。人間の鼓動があれば良い。だから――」
ふんわり笑う。
心底嬉しそうに。
「四肢を奪う。口には轡を咬ませようか。前にスエ博士が作ったモノがあるから、栄養補給は点滴で十分かな。大丈夫、排泄もちゃんとお世話するよ。精神が狂っても面倒はちゃんと見るし。壊れて、身体までダメになったら困るから、薬を処方してあげる。住人だけどね、知り合いに一人だけ、ワーズ・メイク・ワーズが認めた医者がいるんだ。アレに頼めば、良い道具をくれるから……ね?」
目が細まり、うっとりとした声が続く。
「あー、イイねぇ。この手で生かされ続ける人間。奇人街の条件にさえ気をつければ、ずっとお世話してあげられる。もちろん、死にたくない人にはそんなコトしないよ? その意思は尊重されるべきだ。でも、ね? 死にたいっていうなら、構わないでしょ? ワーズ・メイク・ワーズが貰っても。その人の全部。ただ亡くすんじゃ、もったいない、でしょ?」
「…………欠けてるんじゃなくて、ごっそりないんじゃないか、心」
イき過ぎた告白を受け、呆気に取られた竹平が疲労感たっぷりに言う。
するとワーズはクツクツ笑い、「そうかもね」と銃口を頭へ押し付けて応じ、
「でもその反応……シン殿、死なないね?」
「……まあな」
「そう……良かった。泉嬢も喜ぶよ。シン殿の無事な姿を見たら」
「そうかな…………て、泉っ!?」
再び海へ視線を戻そうとした竹平、離した距離以上にワーズへ詰め寄ると、その勢いのまま押し倒しては黒い襟首を掴む。続いてガクガク揺さ振れば、「ぐぇ、く、苦しい」と笑いながら言われるが構っていられない。
「泉っ、アイツ、無事なのか!?」
深い穴に落ちた、助かるのは難しい――かのえはそう言っていた。
そのことをワーズが知っているのか、竹平には分からなかったが、こちらの常識の範囲外にいる相手ならば、知っていてもおかしくない、と無茶苦茶な発想で揺すり続ける。
「ぶ、無事っ、無事だと、ボクはっ、考え、がえってるっけ、どほぉう……けほっ」
欲しい言葉が発せられたなら、ほっとして手を放す。
ドサッと砂浜に落ちた白い顔の両側へ両手をついた。
「そうか……無事か。良かった」
呟けば、
「……シン殿? ボクの考えが無事というだけで、本当はどうだか分かんないよ? もしかしたら死んじゃってるかもしれないし」
「…………お前」
さらっと人の希望を打ち砕く店主を半眼で見やる。
しばらく睨みつければ、へらへらした顔は変わらず、逆に自分の影が店主の面に落ちていると気づくなり、喉がひくりと鳴った。
次いで、何事もなかったのように、黒一色の上から退いておく。
誰もいない砂浜と水面を確認し、自然と一つ息が零れた。
「……考え、ってことは、お前は泉の無事を信じてるんだろう?」
「信じてる、ねぇ? そんな高尚な気持ち、ワーズ・メイク・ワーズにゃ持てないよ。ただ、生きていると嬉しいなぁ、ってだけ」
「……捻くれてるな。そうだ、って頷いときゃいいんだよ」
「そお? じゃ、そうだよ。うん。……こんな感じ?」
「…………はあ」
一気に脱力する。
どんな言葉もワーズの前では無力に散っていくようだ。
別の話題に頭を切り替える。
「……帰れるんだよな、俺。かのえ……いないけど」
「うん。完璧な条件は満たされなくても、ね。シン殿が帰りたいと思い続けられるなら……どこへ帰るのか、明確にイメージできるなら。比喩でも慰めでもなく、帰れるよ?」
「そっか……」
少しだけ、気分が軽くなった。
元居た場所に帰れる、現実があるのだと。
そこでふと思い当たるのは、同じ場所から来たという褐色の髪の娘。
「じゃあ、泉も――」
「それはシン殿の範疇じゃない」
帰れるんだな、という確認は、被る言葉に喰われてしまった。
ぴしゃりと叩きつける拒絶に驚き振り向けば、ワーズが赤く笑っている。
不鮮明な瞳だけは闇に潜めて。
「泉嬢はダメ。帰れないんだ、あの子は。思い出して、選択するまでは。どこにも……帰れる居場所がないから」
「……元居た場所でも?」
「でも――ダメ。元居た場所は居たってだけ。場所でしかない。だからシン殿はあの子に手出ししちゃいけない。ボクのあの子は、君と一緒には帰れない。憶えておいて」
「……ボクのって…………やっぱりお前、泉のこと?」
自らの頭を銃で小突く男へ不信感を募らせる竹平。
問いに対し、答えはいつまで待ってもありはせず。
「もうすぐ夜が明ける。戻らない? シン殿」
何事もなかったかのようにワーズは言った。
「……そう、だな」
立ち上がり、砂を払った黒いマニキュアの手が差し伸べられる。
コレを取らず、自力で立ち上がった竹平も砂を払う。
ワーズが満足そうに笑う顔は、なるべく見ないようにした。
「しっかし……ご苦労なこった。昨日知り合ったばっかりのヤツ、迎えに来るなんてよ?」
「もちろん。シン殿は人間だからねぇ。迎えに行くさ。生きてる限りは、ね?」
「へぇへぇ……」
じゃあ泉は迎えに行くのか?
問い掛けた言葉は呑み込む。
答えなぞ、知れているから。
それにたぶん、竹平に対する理由と同じ答えでは、不快しか残らないだろうから。




