第8話 読めない心
一体、自分はこの娘から、どんな風に思われているのだろうか?
ふと、考えた。
シウォンからは、一度も責める言葉を吐いていないのに、謝罪やら弁償やらを紡ぐ、愛らしい唇。こげ茶の瞳は怯えからか常に潤む。縋りつきながらも震える手の温もり、耳へ届く速い鼓動。
なんてことはない。
泉にとってシウォン・フーリという男は、ただの人狼でしかないのだ。
それもたぶん、凶暴で、粗野で、傲慢で、機嫌を損ねては何をするか分からない、本性そのままの人狼でしか――。
至極、正しい見解ではある。
シウォンはまさに、そういう人狼の本性をなぞる輩なのだから。
しかし。
少しだけ、哀しい。
少しだけ、寂しい。
少しだけ、切ない。
少しだけ、虚しい。
彼女に、そう思われるのは。
そう、理解され、認識されてしまうのは、胸が締めつけられるほどに苦しい。
だからといって、素直に表現できるほど子どもではない。
かといって、上手く立ち回れるほど、経験がある訳でもなかった。
なにせ、ランへ告げた通り。
どれだけ自分で否定しようとも。
やはり彼女は、初めて恋しいと想ってしまった相手。
「……弁償、か。別にいらねぇが……誘いには乗るぜ、お嬢ちゃん? 片手でも、お前を愉しませてやれる自信はある」
「さ、誘いって!?」
ニヤリと笑ってやれば、案の定、狼狽え飛び退き距離を取る泉。
離れる身を残念に思う気持ちはあるが、これ以上同じ体勢を取られて、我を保ち続ける自信はなかった。惚れた弱みとでも言うべきか、きっちり自覚しては、情欲を制御する必要がある。
彼女から、受け入れられない、嫌われている、自分。
「痛い……な」
ぽつり、呟く。
すると逃げた泉がまた近寄り、何故か額へ手を当てる。
同じように包帯が巻かれた右手を自分の額に当てようとし、
「あたたたた……」
「……まだ、痛むのか? さっきは両手で俺を引っ張ったのに」
痺れた手を庇うように、身から引き剥がした泉へ眉を寄せた。。
「そ、それは、仕方ありません。火事場のなんとやらってヤツです。一つのことに必死な時って、他を構える余裕ないですし」
「……おかしな奴だ。己のことだろうに」
呆れて言えば、泉の顔にムスッとした表情が浮かぶ。
「いいんです、私は別に。傷の度合いはシウォンさんの方が酷いでしょう……それに、なんだか」
話の途中でシウォンの額に当てていた左手を離しては、痛む右手共々、こちらの顎へと添えてくる。
「!?」
まるで口づけされるように目を閉じた顔が近づき、シウォンは目を白黒させ――
「……やっぱり、熱っぽい」
「は?」
コツンと額が合わさってしばらく、泉はそう言うと目をゆっくり開けた。
離してはその場で膝立ちになり、シウォンの頬から首にかけてを撫でて触れる。
「こうしていても分かるくらい、熱がありますね。さっきしがみついていたのは炎の中でしたけど、ここまで熱くなかったし。傷のせいかな……。その前には大火傷負って……私のせいで」
「あ……れは、俺が勝手にやったことで、お前が気に病むことでは……」
顰められた眉、小さく悔やむ声を慮り、シウォンがフォローを入れる。
しかし、泉は聞き入れた様子なく、と思えばいきなり右腕の下へと潜り込んだ。
ぎょっとするシウォンに対し、腕を担ぎ上げた彼女は言う。
「行きましょう。立てますか?」
「あ、ああ、立てるが…………行くとは?……どこへ?」
我ながら間抜けな質問だと感じても、促されるまま立ち上がったシウォンには、いまいち腕下の彼女が何をしたいのか分からなかった。
「もちろん、ワーズさんのところです」
「……食材として売るか?」
返ってきた答えに半分冗談、半分本気で問えば、心底呆れた声が口を尖らせる。
「違いますよ。確かにワーズさん、横暴だったりしますけど、頼めば融通利かせてくれますもん。文句言っても、きっと手当てしてくれます……痛いかも、しれませんけど」
最後は濁すような口調だが、人狼の耳にははっきり届いていた。
しかし、シウォンにとって、痛みなぞどうでも良いこと。
肝心なのは、泉が己を助けるべく動いている、その不可思議さにあった。
義理立てのつもりなのか?
自身を助けてくれたから、と?
だが、シウォンが彼女を連れ去るよう命じなければ、今の状況はなかったのだ。
猫に押さえつけられた際、クァンが真っ先に尋ねたのは泉の安否に違いなく、あの鬼火と親しいなら、人魚が襲いに来たところで彼女の無事は保障されているも同然。
使用できた理由は分からないが、一人を死に追いやり泉を悔やませた紅珠玉も、シウォンが渡した物である。
どう言い訳しようとも、今の彼女が気に病む事柄は全て、シウォンが原因だった。
関係ない――泉にそう言われ、拒まれようとも、その事実は変わらないのに。
考えても返らぬ答え。
八方塞がりの状態で、ぐっと腕を引かれては上手く歩けず、泉ごと地へ伏した。
「あだっ! ててててて……って、シウォンさん!」
非難するような声に、硬質な地面へつけた顔が自嘲を刻む。
(荷物だろう、どうしたって、俺は……)
地上へ出る道筋が分からないって言うなら、教えてやるさ。
だからもう、関わらない方が――
「大丈夫ですか? 歩けないほど痛みますか? それとも、少し休んだら行けそうですか?」
なのに、ごろりと仰向けにされた目に映るのは、心配する表情と案じる言葉。
「何故……? 俺を置いて行かない?」
不可解だと口をついた言葉に、泉は困惑を示した。
「ええと……置いていって欲しいんですか?」
「聞いているのは俺だ」
「いやだって……私はてっきり、シウォンさんって独りが嫌いなのかと」
「…………は?」
珍妙な解釈を受け、シウォンの眼が真ん丸く見開かれた。
何を言っているんだ、この娘は?
見当違いも甚だしい。
不快な気分から眉間に皺を寄せれば、泉が頬を掻いた。
「あの、あんまり怒らないで欲しいんですけど、他の人たちの話とか聞いてると、シウォンさんて、いっつも周りに誰かいるみたいじゃないですか」
「それは」
周りの勝手なイメージ、告げる前に。
「しかも、私に触れたりすると、なんだかすごく、安心した感じになるでしょう?」
「それは……」
さすがに、お前を好いているからだとは続かず。
「だから思ったんです。もしかしてシウォンさん……独りなのに慣れてないんじゃないかって」
「…………」
今度は言葉が出てこなかった。
本当は、違うと即座に否定したかった。
しかし気づく。
何故、こんな人間の小娘に惹かれたのか。
その理由に。
独り、そう称されるべき相手を浮べて。
ワーズ・メイク・ワーズ。
自称する同族からも、住人たちからも孤立した存在。
孤立しながら嗤う、シウォンが認めた独りの男。
他の誰も、認めはしない。
アレが本当はどういう輩なのか、知ろうともしない。
元より、誰かが添うこともない。
親しげに、共にあるような者がいても、そこに信頼はない。
笑いかける者も、過去、一人在ったが今は亡く――
何より、店主が笑み以外の表情を浮かべるのは、初めてのことだった。




