第5話 欺く者
どちらとも何も言わず、ただ見つめるのは、黒い水面に映る、白い月。
全て語り終えたかのえは、すっきりした面持ち。
対する竹平は……。
ちらり、その顔を見てしまったかのえ。ついつい沈黙を破る。
「竹平君……まだ若いんだから、ね?」
「うるせぇよ……話かけんな」
完全に凹んでいた。
それはそうだろう。
何せ、かのえが語った竹平への思いは、愛しい人と重ねたとはいえ、弟か子ども扱いが前提だったのだ。しかも、恋人同士であるからには、然るべき事柄もきっちりあったのに。
冗談にしても笑えず、真実と知っては余計キツイ。
加え、かのえは最初に言ってしまったのだ。
竹平は自分と母親を重ねただけだと。
破壊力はかのえの想像以上かもしれない。
(……ごめん、竹平君)
心の中だけで謝罪しておく。
口に出せば、更に傷つけるだけのような気がした。
手遅れ、だとは思いつつ。
かのえと目を合わせず、うなだれた竹平へ、掛ける言葉が見つからない。
(黙っていた方が良いかしら?)
頬を掻きかき、どうするか迷う。
その時、頭の中にぷかり、泡の情報が浮かんだ。
ぱちくりと黒曜石の瞳が開かれる。
「……落ちた。…………やっぱり、そう動いたのね。なるほど?」
「……かのえ?」
竹平に呼ばれ、かのえは言葉に詰まった。
今得た情報は、ともすれば、今以上に彼を傷つけてしまうだろう。
――しかし。
「「「あらまあ、死んじゃったわ、あの子。でも、まあ、いいわよね。かのえはこちらに居るのだし」」」
「え?…………あの子、って……泉?」
人魚たちの呟きにより、言い淀んでいた情報があっさり知られてしまった。
問うような茶色の視線へ、かのえは大きく息を吐いた。
「最悪…………どうして言っちゃうのかしら?」
「「「あら、必要なことだもの。それより皆が帰って来るのよ? 出迎える準備を――かのえ?」」」
人魚たちから不思議そうな声が届く。
向けられたかのえは、不敵な笑みを浮かべ、帯びていた爪を取り出した。
「「「ああ、そういえば貴女、そうだったものね? でも残念。貴女の中の”私たち”が貴女を止めてしまうのよ? 聞いてなかった?」」」
すると、「知っているわ」と手を上げ、砂浜に膝をつく。
大人しいかのえに人魚たちは警戒しつつも、”道”からやって来るだろう仲間を待つ素振り。
「な、なあ、かのえ……死んだってどういうことだ?」
「「「そのままの意味よ」」」
「お前らには聞いてねぇよ!」
叫ぶのと同時に、竹平が掴んだ砂を投げつける。
今度は当たる気がないらしく、人魚は揃って避けた。
歯噛みする竹平は、再度投げる真似はせず、かのえへ目だけで問う。
受け取ったかのえは、手にしたデニム生地を白旗のように砂浜へ広げた。
「うん……と、ね。……どうやら、すっごく深い穴に落ちたみたいなの。助かるのは……難しいくらい」
「そんな……」
茫然とする竹平。
我を見失っていた時に提案したことが実行され、かのえの中に戸惑いが生じる。
人魚が記憶を漁るため、本当に必要な人数は、彼女らが好いた者とそれに想われる者の二人だけ。他に心を移す相手がいたとしても、それは多面にわたって愉しめるという話でしかない。かといって、その相手が生きている場合、愉しむための記憶は完結されず、穴が空いてしまう。
このため、人魚が取るべき方法は二つ。
一つは、その相手を同様に凪海へ引き込むこと。
もう一つは、その相手の死を好いた者へ伝え、受け入れさせること。
その者の死で持って、想いを揺るぎない完結へ導くこと。
元来、記憶を漁るのを愉しみとする人魚は、前者の方法を好んで取り続けてきた。
連れて来る面倒を省ける後者は選ばずに。
しかし、かのえという、人魚たちにとって異なる存在が入り込んだため、避けていた後者は容易く受け入れられた。
合理的とも呼べる判断は、かのえが繋がりを断って後も、輪郭を与えてしまった人魚たちに継がれ――
だが、もたらしてしまった結果を嘆く時間はない。
かのえの肯定により、竹平は泉の死を認識してしまった。
嘘をつくこともできたのに、これ以上、彼へ嘘をつくことはできなかった。
なればこそ、賽は投げられる。
ずるり、かのえの右手から皮が抜き取られた。
手の骨がぼとりと落ち、
「「「遊んでいるの?」」」
せせら笑う人魚たち。
かのえは気にせず、逆に質問する。
「ねえ、確認したいの。貴方たち、その”道”"って扉、本当は開けないのよね? 繋がりで情報が目まぐるしく駆け抜けるから、目的地が定まんない。輪郭持ちは、輪郭っていう殻があるから、大丈夫で」
「「「……ええ、そうよ? だから、なに?」」」
不快を示す問いかけ。
しかし、かのえは気にせず、更に質問する。
「で、すでにある”道”は輪郭なしでも通れて、扉を閉めない限り”道”は健在、よね?」
「「「ええ。そう。でもそれがどうしたっていうの? たとえここを閉めたとしても、短い距離で移動できなくなったってだけ。街から海まで歩いてくれば良い――」」」
「そ。なら大丈夫、ね?」
ふんわり、かのえが人魚たちへ笑いかける。
その指に嵌められたのは、指ごと切断した人狼の爪。
「損傷……軽いといいな」
かのえはそう呟き、デニム生地の最後の折り目を開いた。
現れるのは、小さな紅い珠玉。
「「「なっ!?」」」
ざわめきが人魚たちから起こるのも気にせず、かのえは珠玉へと爪を当て、
「「「かのえを止めて!」」」
本能的な恐怖から叫ぶ声に、きょとんとした顔で応じる。
「かのえ……?」
人魚たちの尋常ならざる様子を受け、竹平までもが恐々と名を呼んできた。
かのえは苦笑しながら竹平を見る。
「彼女、言ってたでしょう? 欺くことを覚えちゃうって。本当、良くないわよね? だって――」
ここで視線を人魚たちへと変え、かのえは悪戯っぽく笑ってみせた。
「繋がり。断ったままなのに修復されたって思い込むよう、同族操れちゃうんですもの。ホント、良くない」
「「「まさかっ、騙したの!?」」」
「ふふふ。彼女、言ってるわ、ごめんねぇ? って」
楽しそうにそう言い、
「バイバイ、”私たち”。単純過ぎるってのも、考え物よね?」
晴れやかな笑顔がかのえを彩った。
これを合図に、珠玉から炎が生じる。
「「「ひ」」」
炎は思い思いに逃げに走る、生白い背を燃やし、溶かしていく。
人魚嫌いのクァンへ願い、手に入れた紅珠玉は、本当に人魚を好んで屠る。
さほど時を要せず、残っていた三人の人魚が焼失した。
「くっ」
「かのえ!?」
だがそれは、人魚の肉を持つかのえとて、例外ではない。
己以外の人魚を燃やせば、人の皮膚を取っ払った右手が蒸発してしまった。
紅珠玉を扱うため用いた人狼の指は、爪が若干溶けかかった程度で砂を刺す。
かのえ自身に痛みはないが、覚悟を決めていたはずの”彼女”が内で悲鳴を上げていた。
ともすれば、蹲ってしまいたくなる悲痛な音色だが、かのえは構わず立ち上がる。
それでも傾いだなら、身体を支える手があった。
「竹平君……」
「あの妙な空間を閉じるんだろう? そんな状態で無理すんな。俺がやった方が早い。やり方を教えろよ」
「…………うん」
見上げた先に頼もしさを感じて、かのえは申し訳なく思う。
全て語って――しかし、まだ、欺いていることがあった。
おそらく、竹平は一生知ることはないだろう。
――竹平の想いだけは、かのえと違って本物だった、と。
知る必要は、ない。
”道”を塞ぐために向けられた背を見つめ、願った。
(……クァン、あとは…………よろしく、ね?)
かのえは右手首を抱えたまま、そっと、目を閉じる。




