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奇人街狂想曲  作者: かなぶん
第十節:それぞれの終焉

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第4話 呼名

 近くなる生白い姿、強烈なニオイは意識の外に置き、泉は黒い姿が見えなくなってもなお、その一点を見つめ続けていた。

 取り返しのつかない事態が、抱えられた身体から力を奪っていく。

 それでも動じない人狼は、淀みなく先へ進む。

 幾度か角を曲がれば、唐突にシウォンが身を捩った。

 間髪入れず、通るは鋭い刃。

 命の危険から勝手に怯える心が生じ、泉はこれに怯えた。

 同じコトをツェンへしたばかりだというのに、なんて勝手な。

 しかし、そんな泉の内面なぞ知らぬシウォンは言う。

「大丈夫だ。傷つけはせん……が」

 足を止めたシウォンに合わせ、揺れる彼の左腕。

 黒い皮膚、爛れた紅、張りつくのは色褪せた体毛。

 シウォンが対峙する相手も見つめられない泉は、己のせいで傷ついたソレに胸が締めつけられた。最悪の結果しかもたらさない自分を思い、心が萎縮する。

「何のつもりだ? 連れて行くんじゃねぇのか? コイツを」

「「「あらあら、どうでも良いのよ、そんな子。かのえはこちらに在るんですもの。もう、いらないわ」」」

「…………」

 届いた嘲笑に顔を上げたなら、見知らぬ女たちがいた。

 人魚と同じひび割れた声と、人魚だというかのえの姿を浮べれば、彼女らも人魚であると結論づけられる。

 だが、泉の弱った心を占めるのは、そんなことではなかった。

 いらない――そう言われて。

 騒ぐ心。

 反対に、身体は動作を放棄した。

 泉に許されるのは、見聞きすることだけ。

 人魚の応えに対し、シウォンは「そうか」と頷き、地を蹴った。

 目指すのは、人魚たちがいる場所と逆の方向。

 泉を抱えたままでは戦えず、かといって狙われている身を下ろすこともできない。

 足手纏い。

 お荷物。

 増える、望まない肩書きに、悔しいと浮かぶ涙もない。

「「「逃がさないわ」」」

 人形のように抱えられた泉が遠退けば、追ってくる人魚が言う。

「「「その子さえいなければ、私たちは面倒を避けられるの。かのえは手に入れたけど、その子が生きてると邪魔なの。最初はいなかったのに、後からシンの心に残ってしまうなんて……本当、邪魔だわ」」」

「…………」

「……連れ去るだけの人魚が、勝手な口を利きやがる」

 苦々しい言葉があり、次いで泉が呼ばれた。

「おい、小娘。奴らの言葉に耳を貸すんじゃねぇぞ」

 こくりと頷けば、ほっとしたような安堵が上にある。

 しかし泉は、追う人魚の攻撃を避けるシウォンの腕の中で、冷えた心を抱いた。


 小娘。

 該当する呼称。

 名ではない呼び方。

 ただの、役割。

 一人ですらない――


 なのに奪う、他者の自由や命。


 不安になればなるほど、思い浮べる姿があった。

 名前があった。

 ここには今、いない人の名が。

 口に出そうとして、留める。

 その名を呼び、殺めてしまった人がいたから。

 切っ掛けは違うのかもしれない。

 だが、合ってしまったタイミングに躊躇してしまう。

 ただ口にすることすらできず――


「泉嬢!」


 先に、呼ばれた。

 瞠目し、緩慢だった動作が姿を求めて速まる。

 見つけたのは、史歩とランを伴う、黒一色の店主の姿。

「ワ――」

 今度は迷いなく、口をつく名前。

 だがしかし。

「クッ!?」

 シウォンの身体が大きく傾いだ。

 何事か、理解する前に。


 地を捉えるべき身体が、巨大な暗がりへと投げ出された。


* * *


 突然上がった炎。

 何故か常では恐れるその方角へ、一心不乱に向かう人魚を追い続けていたなら、何度も角を曲がる内に見失う姿。不可解な人魚の行動から、目星とつけた炎まで消えては、進む先も失いかけた――矢先。

 黒一色の店主がランの迷う足を通り越して叫んだ。

「泉嬢!」

 いつもの歪んだ声でありながら、焦燥に駆られる響きは、初めて聞く代物だった。

 ランの目が驚きに少しばかり見開かれる。

 だが、はためくコートの先に見知った白い衣と、それによく合うデザインの朱の衣を認めたなら、落ちていた足の速度を取り戻した。

 すると、こちらに――店主に気づいた少女が、縋るように叫ぶ。

「ワ」

「クッ!?」

 しかし、続く言葉は、シウォンの体勢が大きく崩れたことで消えてしまった。

 彼らの後方から飛んできた凶器は、シウォンがきっちり避けたというのに。

 一体何が起こったのか。

 よくよく目をこらせば、地面に巨大な穴が開いていた。

 反響する風の音が、二人を呑み込む獣のような咆哮を轟かせている。

(これは……猫か!?)

 思い至る、少女の下へ店主を届けた、影の獣の所業。

 あの時は救いとなった、瓦礫の降り注いだ位置と、現在、路幅一杯に走る渓谷染みた穴の位置は、ぴたりと重なる。

 相も変わらない威力を見せつけられても、怯んでいる暇はない。

 脚力を高めて地を蹴り、シウォンへと手を伸ばす。

「シウォン!」

 幸いなことに、縁から手を伸ばせば白い衣の胸元に届く距離。

 ――だが。

「ちっ」

 他方を向く緑の双眸、忌々しげに吐かれた舌打ちが、ランの胸を逆に押し退けた。

 鈍く響く音を体内で聞いたランの上半身は大きく仰け反る。

 こんな大事の時にまでプライドを取るのか。

「かはっ……な、にをっ――!?」

 どうにか持ち直し、鋭くシウォンを睨みつければ、鮮血が舞った。

 紅く、赤く、朱く……染まる視界。

 源は、ランの頬を薄く切り裂き、後ろへ跳び、ごとり、地面に落ちた。

 いつもの艶やかさの失せた毛並み、黒焦げた人狼の――。

 背筋を冷たさが降りる。

 声を失い、茫然と見つめる先には、少女を抱えたまま渓谷へ落ちる姿。

 手を伸ばせないほど遠くへ投げ出された身。

 軌跡を描くは、横合いの刃からランを遠ざけた、どろりとした液体。

 切断面から続く、紅い――

 金色の瞳の焦点が揺らぐ中、張りつめた灰色の耳に嘲笑がこだました。

「「「あははははははは! 落ちた、落ちた! 死んだ死んだ! これで、終わり。かのえは手中、私たちの勝ち――」」」

 高笑い。

 終える直前。

 女たちに襲いかかるのは史歩。

 逃げれば問題ないと、ひらり、これを避ける人魚の足取りは軽く。

 続き、起こるは。


 ――地を揺るがす慟哭。

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