表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奇人街狂想曲  作者: かなぶん
第十節:それぞれの終焉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

192/232

第3話 鎮めの焔

 ここにはいない名前。

 それでも呼んだなら、自分は一人ではないと感じられる――

 ううん。

 一人で……一人の人間で良いのだと思える。

 応えはなくても。

 呼べる相手がいるだけで、自分は自分でいて良いのだと思う。

 でももし、もしも何かしらの応えがあったなら……。

 たぶん、不安になるだろう。

 放り出された気分になるかもしれない。

 だって、あなたはここにいないのだから。


 独りだと、強く、認識させられてしまうでしょう?



 ささやかな音があった。

 木枯らしに遊ばれる枯葉のように小さな。

 同時に、左手の内にある感触が失せた。

「え」

 零れた声は炎に焼かれることなく、夜気を震わせた。

 遠く、ツェンが燃やし、燻らせた炎はあれど、泉から伸びていた炎は失せている。

(いつの間に……?)

 惚けたまま身を起こし、先ほどまでの激痛が嘘のように引いた左手を持ち上げた。

 ゆっくり、恐る恐る握り拳を開けば、小さじ半分ほどの深紅の砂がある。

 訳も分からず、外傷の見当たらない手を再度握っては砂を閉じ込める泉。

「…………ぃ」

 その耳に、か細い声が届いた。

 元々、疲労困憊であった心身。加えて降りかかった炎に焼かれる感覚は、すでに泉の限界を越えるものだった。

 だが、のろのろと立ち上がる億劫さは、それだけが原因ではない。

 歩いては、一点を注視して進む。

 止まれば膝からゆっくり、崩れるように落ちた。

「どう……して? 私は、無事なの?」

 尋ねても、返事はない。

 目の前にあるのはただ、焼け焦げたニオイと、斑に白、紅が覗く黒い身体。

 白い髪、赤い半眼。

 灰色の着物は情け程度の生地しか残っていない。

 変わり果てた、ツェンの姿。

 同じ炎に巻かれた泉は、火傷一つ負っていないというのに。

 泉が咄嗟に握り締め、シウォンを助けた紅珠玉――。

 小さな音を立て、業火を消し、粉々に砕け散った砂の深紅は泉の左手に在る。

 ツェンは言う。この珠玉は力の強い鬼火が命と引き換えに精製した物だと。

 炎の恩恵を受ける鬼火がこんな姿になってしまうなら、原因はそれしかないだろう。

 ――つまりこれは、泉が為したこと。

 ともすれば、引いた痛みから幻覚を見たのだと考えるが、目の前の現実は惨たらしく横たわり、否定を許さない。

 理解の追いついたこげ茶の瞳が大きく揺れた。

「あ…………」

 発しかける謝罪。

 噤み、下唇を噛んで堪える。

 怖い目にも痛い目にも、絶望にも遭ったけれど。

 こんな結末を望んでいた訳ではない。

 ただ、シウォンが死ぬと思い、それが恐ろしかったから、目を閉じただけ。

 偶然にも転がったかんざしを握り締めて。

 それがシウォンを助け――ツェンを変わり果てた姿にしてしまった。

 泉が望むと望まざるとに関わらず。

 だが、言い訳じみたことを思っても、解決には為り得ない。

 口にするのも卑怯だと、まだ酩酊しているような赤い目を見つめた。

 すると、遠い炎に照らされて色づく瞳が、引きつった笑みを象る。

「ぁつぅい……痛いぃな…………ねぇ、君は……緋鳥?」

 掠れた声は初めて泉を捉えた。

 だから答える。

 正直に。

 動揺だけはひた隠し。

「いいえ。私は、緋鳥さんではありません。緋鳥さんだったら……あなたにこんな酷い仕打ちはしないでしょう?」

 震えそうになる喉、もつれそうになる舌を動かし、意を決しては、いっそ高慢とも思えるほど笑んだ。

 ツェンはこれを受け、同じ言葉を繰り返す。

「酷い……ひどぉい……ひどいぃ……ひどぉぃい……ぃどい…………酷い?」

 くすくす笑う。

 目を閉じ。

 また開く赤は変わらぬ淀みで問う。

「じゃあ、君はだぁれ? 酷い君は、名前は?」

「泉です……綾音泉。緋鳥さんじゃなくて。私です……こんな、酷いことをしたのは」

「いずみ……ひどい、いずみ…………私はねぇ、ツェンていうの。ツェン・ユイ。いろんな傷が、治せるんだぁ……すごい、でしょう?」

 舌っ足らずな喘ぎ。

 痛みからくると思しきソレを認識しつつ、泉は笑う。

 切り傷は治せても、焼かれた身。

 鬼火を癒す炎で治ると楽観できなかった。

 だから笑う。

「はい。とても……驚きました」

「そお? ふ……ふふふ…………いずみは……ひどいね?」

「ええ。そうですね」

 そろそろ伸ばされるツェンの手。

 取らずにいれば、頬の傷を撫でられた。

「痛い?」

「……いえ」

「嘘だ」

 きっぱり言われて、本当に痛みを感じていなかった泉は、一瞬、きょとんとした。

「ダメだぞ。痛いなら痛いって言わなきゃ。認めなきゃ……みたいに…………」

 哀しそうに瞳が歪む。

 どこか、別のモノを見て。

 しかし程なくして、徐々に狭められる赤い目。

「…………?……なんか……ううぅ、眠い? 治さなきゃいけないのに……ほっぺ……」

 恨みがましい視線は、泉の頬へ釘づけられ、ツェンの腕がぱたりと倒れた。

「……ぃずみ…………待って…………起きたら……治すぅ……よ?」

「……はい。……お休みなさい」

「ん……お休み、いずみ…………」

 完全に瞳が閉じられ、深い吐息が泉から為された。

 泣く資格もない。

 自分が殺した、殺してしまった相手をただじっと見つめる。

 ぎょっとしたのは視界が歪んだから。

 許されることではないと、握り締めたままの左手の甲で拭おうとし、

「耽るのは結構だが。忘れて貰っちゃ困るな」

 ひょいっと腹に腕を回され、抱き上げられた。

「シウォンさん……」

 見上げれば渋面から鼻に皺を作るシウォンの姿がある。

 間に合って良かったと言ってくれた相手だが、彼の狙いはあくまで猫。

 泉の涙の意味を知っても、奇人街という場所柄、かけられる言葉は――。

「……泣くな。お人好しも大概にしろ。ソイツは自業自得ってヤツだ。それより、左手のソレをコイツに包め」

 想像通り吐かれた言葉と共に、抱えた手から渡されたのは、綺麗なハンカチ。

 小さく頷き、言われた通り包む。

 渡そうとして気づく、焼け爛れた左腕。

 惑えば懐に入れろと言われ、包みを懐へ落とした。

「……すみません、かんざし。その宝石も……腕だって」

「構わん。それより……行くぞ」

 どこへ、と問う気力もない泉、シウォンの逸れた視線を追ったなら、こげ茶の瞳に映る、生白い一団。

 ――人魚に狙われている。

 思い出した身の上は、どこか遠いことのように感じられた。

 沈みもしない跳躍で起こる風切りの音すら、耳にこだましても、なお遠く……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ