第2話 赤の世界
悲鳴が聞こえる。
焼かれる肉の音と共に。
すすり泣くような男の声が……
「泉!」
悲痛な叫びで名を呼ばれ、力一杯瞑っていた瞼を持ち上げた。
眼前、炎の中にシウォンがいる。
焼け爛れた左腕を庇いながら、こちらへ近づこうとするものの……。
阻まれて、来られない。
何に……?
それはとても不思議な光景だった。
炎の直中にあるならば、焼かれているはずのシウォン。
しかして緑の双眸に苦痛はなく、ただ、言葉を失くして驚きに見開くのみ。
――なのに聞こえる、男の悲鳴。
「熱っ!?」
引きつる痛みが左手から伝わり、背中に冷たいモノが走る。
慌てて視線を下へ落とせば、その手から覗く、溶けた銀色。
理解するより早く手を開こうとするが、痺れる痛みから動いてくれない。
「ぐっ……ああっ」
せめて、地につく左手を持ち上げたなら、何か改善されるだろうと思ったのに、できることは苦痛に呻くことだけ。
視界から得られる情報は、赤い空。
瞠目した。
「まさか……炎の、中?」
泉は左手の苦痛に脂汗を滲ませながら、ぎこちない動きで辺りを見渡す。
空の色より褪せた赤が、自分の身体と周囲を染めている。
しかし熱いのは左手のみで、他に異常は感じられない。
と思えば、思い出したかのように左手の痛みが全身へと弾け飛ぶ。
「っ……」
じくじくと脈打つ流れの広がりに、動揺する心。
同調でもしているのか、狼狽えた分、左手の熱が増していく。
「あくぅ……な……に、これ?」
涙すら忘れる激痛の元を睨みつければ、歪めた視界に動く影がある。
「馬鹿な……扱うなぞ、あり得んはずだ。その紅珠玉は、多重の細工が施してあったんだぞ……第一、人間が扱えば一瞬にして消し炭にしてしまう代物……なのに、何故?」
茫然とするシウォンから、乳白色の爪が伸びた。
先端が炎に触れ、じゅっと小さく悲鳴を上げる。
だが、泉しか見ていないのか、シウォンはそれに気づく様子もなく、
「くっ、ダメです、シウォンさん!! 触らないで!」
叫んだところで阻めぬ進行。
と、助けは別のところからやって来た。
それも思わぬ形で。
シウォンのすぐ横の地面が、唐突に爆ぜたのだ。
「がっ!?」
抉られた地面の強襲も察知できなかった人狼が、炎のない場所へ叩きつけられた。
「シウォ――っ、きゃああああっっ!?」
驚き、追おうとした泉は、千切れるような痛みに襲われ、空へ向けて眼と口を開いた。
苦悶に霞む視界。
「ぁ…………か……ひぃ……」
吸い込む空気は掠れた響きで喉を震わせた。
耐え抜くべく歯を噛み締めると、端から唾液が垂れる。
眩むような苦痛の中、思い起こす情報。
左手に握り締めた銀とシウォンが口にした紅珠玉――かんざしと深紅の花芯。
ツェンが言っていた、鬼火の炎を操れる品――ゆえの代償。
シウォンの傷が左腕だけなのを喘ぎつ見やれば、彼へ向けられたツェンの炎を自分がかんざしの宝石を用い、操ったと推測する。
途方もない話……なれど。
では、先ほどの男の悲鳴は――?
今は消えた甲高い声を探すべく、空へ逃げるように突っ張る身体を前へ倒せば、
「……ひ……っぅ……」
喉が怯えに震えた。
シウォンの陰となっていた向こう側。
泉から伸びた炎の中に、倒れた身体があった。
耐火性なのか、じわじわ焼ける灰色の着物。
その中身は。
白く長い髪以外。
ほとんどが、黒く、赤く、爛れ――……
「ひっ、ぃ……やぁ……!!」
喉を劈く慟哭が上がる。
呼応するように泉の纏う炎が激しさを増し、左手を貫く痛みも増長される。
「ぁあっ」
大きく跳ねても止まない痛みは、速度を上げて泉の内側を浸食する。紅珠玉を握る左手の中央から、植物が根を張るように、血肉や骨を蝕む激痛が絡みつく。
身体が小刻みに震え、渇いた喉が咳をもたらす。
逃れるべく暴れようとすれば、辛うじて結われていた髪が崩れて、長いクセ毛が地面に流れた。
(おかしく……なりそう)
絶えることのない苦痛、もがく余裕も与えられない責め。
叫ぶ声すら与えられず……。
だが、この期に及んで泉は思う。
まだマシだ、と。
あの時に……あの時の裏切りに比べたら、こんな痛みなんて――
「っく…………うううううううぅ……」
しかし、浮かんだ想いを押さえ込む苦痛から、彼女はその名を請う。
「――――っ!!」
声には至らなかった彼の名。
応じたのは、小さな――崩壊。




