↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/56

48 はじめから、戦う理由はたったひとつだったのだという話

『貴様らを焼き尽くそう、人間。哀れなる小さなものたちよ。偽りの繁栄を誇る非力で醜い者たちよ。貴様らが獣にそうしてきたように、我が裁きの焔をもって貴様らを蹂躙しよう』

「邪竜。その炎で、レムシャイトも焼いたのね」

『いかにもその通りだ。身をもって光栄を味わえ。顕現する際、遊び半分で焼き尽くしたあの街の人間たちにように、寸時もかけずに塵にしよう。ああ、せめて、この身に盾ついたことへの代償として、奴らに引けを取らぬ愉快な断末魔を聞かせるのだぞ。それでも到底足りんがな!』


 指呼の間に、竜がいる。それが敵意をむき出しにしている。すでの炎の匂いすら漂っている。オアマンドという名のあの竜が、口中に溜め切った大火球を放ったたときに、俺たちの命は焼き尽くされる。

 それが必定。覆しがたい未来であると理解しつつ、それでも俺はリリイの肩に手を置いた。


 何の理由もなく、何の覚悟もなく、そしてなにより、なんの勝算もなく、彼女がこの場にいたったとは、この期に及んでも考えられなかったからだ。

 果たしてリリイの細い肩は、その俺の期待に答えてくれた。


「下賤の身、と嘲ったわね、爬虫類。弱い者を嬲り、痛めつけ、焼き尽くしたその口で、わたしの家名を呼ぶなオアマンド。この魂が、穢れてしまう」


 オアマンドの口中に輝く熱球よりも、そのリリイの言葉のほうが灼熱の意思を示していた。もはや竜種と敵対することをいとわぬ少女を庇うように、ザビーネが剣を構えて前に出た。

 魔剣が、風を巻く。東の空が、朱を流したように輝いている。朝を迎えた。この日の夜を迎えられるかは、いま、このときの踏ん張りにかかっている。


『つまらぬ。それが遺言か。勇ましいが、うつろだったな。人の子よ、その思い上がりを悔いながら、灰と消えよ』


 竜の喉がのけぞる。朱を通りこして白く輝く灼熱が俺たちにめがけて吐き出されるその寸前。


「悔いあらためるのはそっちの方よ、けだものめ!」


 リリイが両手を前方に掲げると、その指先から、青い雷光が虚空を走った。


『ぐ、あ、が!』


 リリイの稲妻がオアマンドの巨体を絡めとる。いばらを宿した網のように延びた青い灼熱が、バチバチといかめしい音を立てながら、巨竜の全身を縛める。火球は空に向かって放たれ、雲を引き裂いていずこかへ飛び去った。

 オアマンドがたまらず苦悶の声を漏らす。獣の咆哮に似た怒りの叫びが、物質的な圧力を持って俺たちを襲う。


 その、魂さえ消し飛ばすような迫力の怨嗟を、リリイはそよ風のように聞き流す。指先から放たれた青い光の正体は知れない。

 彼女の服を透かして、両腕に浮かびあがる紋章があった。


「双頭の鷲」


 アメルハウザーの紋章だ。ひとつの体躯に、鋭いくちばしをふたつ持つ、異形の獣。刻印されていたものが浮かび上がったのか、いま使用している魔術の影響か、秒を追うごとにその痣は濃くなっていく。

 同時に、歯を食いしばったリリイの口から、わずかな血が垂れた。


「リリイ様!」

「構わないで、今はまだ!」


 バリバリと大気を焼き尽くすような音が辺りを駆け巡る。駆け寄ったザビーネに叫びを返して、リリイはオアマンドの目を見つめ続けた。

 竜種の行動を縛るほどの魔術だ。術者の身体に反動がないわけがない。流れ落ちた深紅のしずくの理由がそれであることはわかっても、リリイの細い体のどこに、こんな秘術を扱える素質があったのかはわからない。


 疑問は、竜にしても同じことだったのだろう。屈辱に耐え、血を吐くようにオアマンドは言った。


『貴様、小娘。リリイ・アメルハウザー! この契約の縛りはどうしたことだ。なぜ貴様がこれを扱う!』

「まるで悪役の三下みたいな台詞じゃない。竜種の名が泣くわよ、オアマンド!」


 あえてはっきりと、リリイは邪竜の名を呼んだ。それが答えだったのだろう。オアマンドが全身を縛める青い雷を噛みちぎらんと、凶悪な咢を開いた。


『そうか、それか。名か!』

「調子に乗って名を告げたのが運のツキだったわね。自ら名乗り、自らそう呼ぶことを許した。名は縛り。あらゆる災厄にそれと知れる名をつけることで、人間たちは天災を乗り越えてきた。千年前のアメルハウザーは、邪な竜に名を与え、認めさせることで、その身を縛った!」


 それが、リリイの考えていたこと。いつから、どれだけの勝算をもってそんなことを思っていたかは知れない。しかし彼女は賭けた。その奇跡のような確率に。竜が意思疎通を可能にし、名乗りを上げるその極細微小の確率に、リリイはすべての命運をかけたのだ。

 名前というのは、魔術の世界においてはそれだけで一つの呪いになる。アメルハウザーの紋章、アメルハウザーの魔力を身体に宿した竜であれば、その名と契約によって縛ることは可能なのだろう。


 古文書に残されていた知識なのか、一族に口伝で残された知恵なのかはわからない。しかしリリイは、たしかに竜の制御法を知っていたのだ。

 しかし。


『こざかしい!』

「あ、ぐっ」


 リリイが膝をつく。反動を制御できていない。


『思いあがったな小娘。腕の立つ術者百人がかりならばともかく、貴様ごときのちっぽけな魔力で、我が力を抑え込めると思ったか。名を知られようとも、その契約ごと噛みちぎり、その四肢をバラバラに引き裂くなどわけもないわ!』

「あ、や、ああああ!」


 絶叫が響く。ザビーネが叫びながらリリイの身体に触れようとして、帯電する魔力によって指先をはじかれた。それとわかるほど、皮膚が焼けていた。

 こんな魔力の渦の中に、リリイはいる。


『なぜ来た。その奥の手があるならば、力を蓄えて策を練るべきだったな小娘。貴様が血気にはやり、功を焦って我がもとに来た時から、その命運は途絶えていたのだ』


 オアマンドはすでに正気を取り戻し、勝利を確信していた。言葉に余裕が混じる。それがあまりにも頭にくる。

 なぜ来た、だって? そんなの、わかりきったことだ。リリイは、リリイは――。


『砕け散れ、アメルハウザー!』


 ひときわ鋭い咆哮が響き渡り、竜の全身に力がみなぎるのがわかった。リリイの身体に与えられる反動が大きくなる。口だけではなく、鼻からも血があふれる。全身の血管が浮き上がり、数か所が破れて血がしぶく。両目に血管が走り、真っ赤に染まる。

 激痛などというものではないだろう。全身の血管という血管に灼熱の球を流し込まれているようなものだ。しかし、巨竜の指先ほどの体躯しかない少女は、その痛みに耐えた。


 耐えねばならなかったのだ。

 だって。


「父と、母がいたのよ」

『なに?』


 竜が目をやる。その瞳に、血だまりの中でなおひとり、孤独に正義を吼える少女の姿は映っただろうか。

 小さな身体に誇りと使命を背負った、リリイ・アメルハウザーの姿は、見えただろうか。


「わたしはおまえを許さない。この地で焼かれた人々の命にかけて、わたしはおまえを許さない」


 その美しい姿は。その美しい声は。そのたけだけしい言葉は。

 貴様の悪事に届いたか、オアマンド。


「けだものにはわからないでしょう。でもね、おまえが、おまえが焼き尽くしたレムシャイトの住人すべて、そのすべてに、一人残らず、たったひとりの例外もなく」


 血を吐くように、リリイは言った。


「父と母が、いたのよ」


 ただひとりの例外もなく、俺たちは、母親の産道を抜けて生まれた。父と母の血を分け与えられ、世界に祝福されて、この世に生まれた。

 両親を亡くしても、孤独に生きていても、その事実だけは曲がらない。


 ああ、だから、それが。

 涙を流し血を流し、髪を振り乱し激痛に耐え、その高貴な命をかけてでも。


「愛すべき、家族がいたのよ」


 それだけが少女の、戦う理由だったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。