47 竜と対話し、その名を聞きだすという話
解せない、といえば、はじめからそうだった。疑問を思うたび、凛とした声音と覚悟の迫力をもって、うまいことを言いくるめられてきた気がしていた。
言い返せなかっただけで、得心したことなどなかったのだ。どう考えても、この行動は理に適ってはいない。
なぜ、リリイは、あえて命の危険を冒すのか。
どうして竜の眼前にまでその身を運ばねばならなかったのか。
きっと、まだ言葉にされていない答えがあるのだろう。何の理由もなく、勢いや信念だけでここまで来たわけではあるまい。そこまで愚昧な主を持った覚えはなかった。
それを聞く機会はめぐってくるのだろうか。息を吸えばむせるような死の気配に身を包まれながら、俺は自嘲気味に笑うことしかできない。
竜がこちらを見据えたまま、首をもたげた。山が動いたかのような迫力がある。
身構えるより先に、体温を持たぬその目が細められ、口がくわっと割れた。
『人の子よ。アメルハウザーに連なるものか』
声、ではなかった。その調べは尊く、その威厳は慮外のものだった。魔力による共感だろうか。おそらくは、それは竜の言葉だった。
俺だけではない。様子を伺うに、リリイもザビーネも竜の声を聞いたに違いなかった。こんなにもシンプルに意思疎通ができるとは思っていなかった。
はかない希望、というべきだろうか。俺は違和感とともに、救いを抱いた。
竜の声は優しく、気高さに満ちていた。決して弱きものを蹂躙するような、下卑たものではない。竜種はたしかに神獣に類する。精神は高潔であろうと思えた。
対話が可能であるならば、交渉ができるかもしれない。滅びを回避することができるかもしれない。
思いはザビーネも同じだったのだろう。たまさかかち合った目線がそう言っていた。
リリイが思い切って息を吸い込む。話せる、というのは、リリイにとっても望外のことだったのだろう。
何か考えがあると言っていた。そのことに、これがプラスに働けばよいのだが。
「リリイ・アメルハウザーと申します。年代が下って血は混ざっておりますが、偽りなくアメルハウザーの末裔です」
『声を聞けばそうと分かる。たしかに、この身に近い神韻よ』
竜は笑ったようだった。殷々と、砲声のように声が轟く。しかし、これは俺たち以外には聞こえない声なのだろう。こちらの声は聞こえているようだったが。
そもそも竜の声帯は、おそらく人語を発するようにできていない。音声での意思疎通は難しい。魔力を介したこの対話がせいぜいということだ。
「人の世では、先の大戦より千年が経ちました。失われた記憶と記録ばかりで、正確に伝わっていることがごくわずかです。たとえばわたしたちは、まことにご無礼ながら、御身の名を存じ上げません」
『オアマンドである。元より、我らは個体名を持たぬ。千年の昔、そなたらの先祖が我が身をそう呼称していた、というだけに過ぎぬが、呼びたければそう呼ぶが良い』
「オアマンド様。では、そのように」
『さて人の子よ。いかなる用でここに参った』
「どうしても、お聞きしなければならぬことがあり、まかり越しました」
『構わぬ、問え』
リリイは緊張をほぐすように一呼吸置き、まなじりを決したようだった。
「オアマンド様をふたたびこの人の世にお喚びしたのは、やはりアメルハウザーに連なるものなのでしょうか」
『いかにもその通りだ。リリイ・アメルハウザー。お前ではないが、お前に近い血を持つものだ。ここから南に下ったところに魔方陣を敷き、古の契約に従った作法で我が身を喚んだ。心当たりはあるのだろう?』
「叔父にあたります。同時に、仇敵でもあります。コルネリウス・アメルハウザーは、オアマンド様を喚び出すにあたり、ある願いを託したはずですが」
竜は笑った。これは、声になった。腹から炎気を盛り上げて、明けはじめた空の雲を吹き飛ばすように、巨体を震わせる。
大気が鳴動し、大地が震撼する。笑い声を上げただけでこれなら、なるほど、人間の街などひとたまりもなかっただろう。
『知っていて問うか、無礼な小娘だ』
「では、やはり?」
『お前の読んだ通りだろう。この身を呼んだ痴れ者の願いは、お前の命だった。リリイ・アメルハウザーよ。疑問があるといえばそれが疑問だ。なぜアメルハウザーが、アメルハウザーの命を狙うのだ?』
きょとんとした目で、オアマンドはリリイを見た。リリイは恥じ入るように身をよじって、目を伏せた。
「人の世が、おそらくは千年たっても、醜いままだからでございましょう」
『良い答えだ。さて、では重ねて問う。なぜ来た。我が炎であればもう一呼吸も許さずその身を灰にするのはわけもない。わかっていて来たのだろう。なぜだ。命が惜しくないのか』
オアマンドの眼光が、一瞬、鋭さを帯びる。その眼を盗むことはできないとわかっていて、俺はわずかに身構え、ザビーネは魔剣の柄に手をかけた。
たとえ数分に過ぎないとわかっていても、いざとなれば身を盾にして時間を稼ぐ。出会ってまだ数時間といったところだから、ザビーネと俺はすでに以心伝心、通じ合っていた。
リリイは震える拳を胸に当てた。
オアマンドが面白そうに目を細める。
「オアマンド様は、コルネリウスの支配下にはおられない。その命を聞くつもりもない。そう思ったからこそ、参りました。あたら命を散らすためではございません」
『答えになっておらぬぞ、小娘』
朝の大気が、急にその熱を奪われたようだった。オアマンドがまとう気配に、影の色が濃くなる。
『なぜ、そのような下賤の身を、こともあろうに我が前に現したのか、と問うておる』
声の響きに、苛烈さが混じった。まなざしからぬくもりが失われていく。爬虫類の酷薄さをもって、竜はリリイを見下していた。
『我が身がアメルハウザーの支配下にないことと、お前の命を取らぬことの間には、何の因果もないではないか』
もはや、オアマンドの言わんとすることが明らかだった。その声が嬲るように響く。
リリイは、諦めたように視線を落とした。なるほど、今までの高潔な態度は、この性格のねじ曲がった竜の演技だったということだ。
その性根をむき出しにした下卑た笑みを浮かべて、巨大な爬虫類は、嘲るように笑った。
『人など殺す。あまねく殺す。案ずるな。お前も、アメルハウザーの一統も、一切の関係を持たぬ者たちも、区別はせぬ。すべて気ままに喰らってやろう。不遜にもこの身を封じ、傲岸にもその封印を解いた者たちの、それが似合いの末路というものだ』
金属がこすれあうような笑いが辺りを圧した。
竜が動き、その口中に焔の気配を溜める。魔術師百人がかりでも産み出せない圧倒的な火球が、そこに蓄えられていく。
希望はいま、さんざんに打ち砕かれた。
この先に、死以外の何物も待ってはいないことを、俺たちは認めないわけにはいかなかった。




