幕間:五 蘇る闇、千年の濁り
邪竜戦争。
人類と竜種との決戦であったと、後世には伝えられている。しかし古い話ゆえに、なにが真実でなにが伝説の類なのかは、今となっては判然としない。
いや、あるいはそんな大戦そのものが神話であり、偽りなのかもしれない。真実など何一つ伝わっていなかったとしても、その真偽を判定できる人間は誰一人存在しないのだ。
コルネリウスは、歴史には興味がなかった。彼の興味は常に、快楽と、それを可能にする権力にのみ集中していた。
アメルハウザーの城を奪って数日後、書庫に入った。王家の横暴を訴える知恵を求めてのことだ。
薄暗く、湿気のまとわりつく地下室で、古文書を見つけた。解読の呪法を使って読み下したところ、それが大戦に関わる歴史書であることが明らかになった。
コルネリウスは首を傾げた。アメルハウザーはもとは商家だ。
アスムスの勃興に力を貸し、身代を太らせたのが二百年ほど前という。
しかし、とそこで疑問に思い当たった。いつだって、アメルハウザーについて語られる来歴は、そこからはじまる。二百年より前、アスムス勃興以前のことを聞いた覚えがない。
おおかた、名もない商人だったのだろうと思っていた。記す価値も語る理由もない程度の家だったのだろう、と。
しかし、古文書は言う。
アメルハウザーの歴史は古く、千年前の邪竜戦争時には、すでに一統を構えていた、と。商家ではあったが、武装もしていた。多くの人数を抱えてもいた。その戦力をもって、邪竜戦争では人類の戦力の一翼を担った、と。
にわかには信じがたい話だ。しかし、古文書は戦争の経緯について詳しい。これを偽書と断ずるのは難しそうだった。
これがアメルハウザーの家に所蔵され、皮であつらえられた表紙にアメルハウザーの紋章が刻印されており、鑑定魔法によって確実に千年前に記されたものであることが保証されている以上、真実であると受け取るのが妥当であるように思われた。
つまり、戦争の代償で多くの富と命を失い、かつての地位や権勢を取り戻すのに数百年かかったということか。
コルネリウスは、俄然興味を抱いた。なにしろこの家が千年以上の歴史を刻んだ一統であるというのなら、とりもなおさず現王家よりも古い血筋を有することになる。
このうっとうしい現状、あのランベルトが告げた決定を覆すよすがになるものが記されているかもしれない。
震える手を押さえつけ、焦るようにページをめくった。
数時間も、ひとりで地下で古書をむさぼり読んだ。読んでも読んでも求める記述はなかった。しかし、ページを繰る手を止められない。
知らないことばかりが書かれていた。知識欲、というものが、己にもあったのだという新鮮な驚きがあった。
古文書は言う。さらに言う。
邪竜戦争時、たしかにこの世には七頭の竜が存在していた。七頭のうち四頭は人類の敵に回り、三頭が人類の側に立った。
このうちの一頭を従えたのが、アメルハウザーの一統だったという。いや、従えたと言っては語弊がある。盟約を結び、契約で縛った、というべきだろう。
戦争の顛末については、世に伝わっている神話と、大筋において齟齬はなかった。口伝というのも馬鹿にならないらしい。しかし、大切なのはそんなことではない。
世には伝わっていない秘事が、そこには記されていた。
竜は、絶滅したわけではなかった。七頭のうち、はっきりと消滅が確認されたのが四頭。三頭については行方が知れない。
アメルハウザーと契約を結んだ竜は、そのうちの一頭だった。
大地深くに封印されたか、遠く境界を越えて異界へ飛び去ったか、あるいは人知れず息絶えたか。古文書は答えを記してはいなかった。しかし、一見して奇妙な記述があった。
竜を喚び出す方法、というのだ。
であれば、竜は生きていると考えるべきだ。コルネリウスは夢中になってその項を読んだ。目を皿にして、行きつ戻りつ、何度も何度も、繰り返し読んだ。
代償は必要だ、と書いてあった。竜が呼びかけに応じるかはわからない、とも書いてあった。手順は複雑で難しい、とも書いてあった。
しかし、不可能だ、とは書いていなかった。どこにも。
コルネリウスは震える手で古文書を取り上げ、そのまま地下室を後にした。必要なのは広大な土地と膨大な魔力。アメルハウザーには自由にできる多くの土地と、魔力を封じたいくつもの宝石がある。満たせぬ条件はない。
竜を呼び出し、使役することができれば、すべての問題は解決する。人知の及ばぬ武力を得て、アメルハウザーなどとちっぽけなことは言わない。この国すべてを乗っ取ることもできるだろう。
土地を用意し魔力リソースを確保し、手練れの魔術師を集めるのにかかったのは二週間近くだった。そして、コルネリウスは禁忌に手を染めた。
果たして、竜は姿を現した。ただし、儀式を行った魔方陣の中心ではなく、遠く、レムシャイトの街に近い山に。
竜との意思疎通はできていない。しかし、コルネリウスは納得した。なぜなら、レムシャイトは、リリイ・アメルハウザーが潜伏しているアスムスにほど近い場所にあるからだ。
彼は願っていた。リリイ・アメルハウザーの完全な死を。むごたらしい最期を。
だからこそ、召喚者である己の意をくみ取って、竜はそこに姿を現したのだ。彼はそう思った。思いこもうとした。
竜。
神罰の代行者として、世の崇敬をあがめた時代もある。
その竜を、人の身で縛れるか。コルネリウスの心中には、拭いがたい不安がある。それが彼を不安定にさせている。もしも竜を扱い損ねたらどうなるか。千年前の盟約と契約を食いちぎり、竜がこちらにも牙を剥いたらどうなるか。
その想像に、彼は蓋をした。蓋をし続けた。そうすることでしか、自我を保てなかった。それほど、遠くから感じるだけでも、竜の脅威は想像を絶していた。
もうひとつ、コルネリウスは、疑問に気づかぬふりをしていた。
なぜ、それなりに地位に満足していた自分が、謀反など起こしたのか。なぜ、さして興味もなかった地下室へ足を向けたのか。なぜ、諸事周到を期する自分が、竜の召喚という大事に限って、拙速に行動したのか。
夜になると聞こえてくるあの声はなんなのか。この身に流れる血の冷たさはなんなのか。
すべての疑問に耳をふさぎ、脳裏にリリイ・アメルハウザーの顔を思い浮かべた。美しい姪だった。かつては。しかし、いまは敵でしかない。あれを討てれば、残る問題はどうにでもなるのだ。
コルネリウスは、意を決したように玉座を立った。女たちがびくりと身を震わせ、上目遣いに機嫌を伺ってくる。そうだ、腹を決めてしまえば、やるべきことなどひとつなのだ。
コルネリウスは下卑た笑みを浮かべ、舌を唇に這わせた。
むろん、女を犯すのである。




