幕間:三 精神の崩落、闇に蠢く者たちの影
顔だちは、たしかに王の威厳を備えていた。
がっしりと張った顎は意思の強さを示し、豊かな髪は彼を余裕ある男に見せるのに一役買った。上背はあるが、決して肥満してはいない。目元は涼やかで、流せばいくらかの女の関心を買うことは難しくなかった。
剣にしろ弓にしろ槍にしろ、武芸には秀でなかったが、馬術だけはそれなりにこなした。地位の高い人間が、匹夫の勇を求められる機会はない。馬さえ巧みに操れば、見てくれを装うことに不都合は生まれない。
学問もよくはしなかった。しかし、詩がうまかった。これが男から生まれるものかと思われるほど、たおやかで繊細な傑作をいくつも詠んだ。
政治の才はない。長じるにつれ、色欲に異常が見られた。性、残忍して狡猾。至誠頼むに足らず、と嘲られたこともある。
しかし、いま、彼は玉座にある。あらゆる悪評を駆逐し、権謀術数の限りと、いくらかの禁忌に手を染めることによって、ついに望むものを手に入れた。
コルネリウス・アメルハウザーである。
その男はいま、居室にひきこもっている。ここ数日、風呂にも入っていない。この男にしては信じがたいことに、女さえ抱いていない。扉を閉じ、窓を閉じ、怪しげな香を焚いた部屋の寝台に腰かけている。
焚きしめられた香は、あまりにも甘い。胸が悪くなるような、果実の腐った臭いを充満させている。もとより窓掛は下げてある。外は夜明け前だが、日がのぼったところで曙光が差し込むことはない。
ほとんど灯りのない部屋で、おもたるげに瞼を上げている。わずかに一柱、太いろうそくが燭台の上で揺れている。揺らめきに従って、影が床、壁をたゆたう。これが、容貌あらゆる王に勝る、とまで言われた男かと思われるほど、その顔は無残である。肌はくすみ、たるみ、手入れを怠った髭が顔を苔のように覆っている。自慢の金髪は乱れ、なにより瞳の濁りが甚だしかった。
望んだものすべてを手に入れ、放蕩の限りを尽くした男の、これが成れの果てだった。
「コルネリウス。コルネリウス。なにを呆けているのだ。そのほうには、まだまだ他に、やるべきことを命じてあったはずだが」
部屋に、何者かの声が響いた。低い、地を這うほどの低音である。コルネリウスは何度か瞬きし、大きな息を吐いたかと思うと、諦めたように立ち上がった。
寝台の傍に、大きな姿見が立ててある。歩み寄り、全身を映す。全裸である。
肌は醜くよじれ、肉はごっそりと落ちている。落ちくぼんだ眼窩の底から、どろりとしたまなざしが鏡に注がれている。
意思というものの一切が失われている。
「コルネリウス。我が声が聞こえているのであれば反応しろ」
「聞こえておる。聞こえておるわ」
声は、鏡の向こう側から響いているようだった。コルネリウスは頭を振り、耳をふさぐ。無駄だとは知っていた。
この声は、脳に響いている。耳をふさいだところで、大声を上げたところで、遮ることはできないのだ。そんなことは、この二週間、何度も試した。
「なにを失意に沈んでいるのだ、コルネリウス。貴様の望みは余さず叶ったはずではないか」
「違う。わしの望んだものは、こんなものではなかった。こんな破滅ではなかったはずだ」
低い声が笑う。部屋中に反響して聞こえる。体中の穴という穴からコルネリウスの体内に入り込み、臓器のすべてを破壊するように膨れ上がる声、声、声。
王家の使い、そう、ランベルトといった。あの小僧が訪れてから、すぐのことだった。この恐るべき呪いの声が聞こえるようになってしまったのは。
いや、それ以前からだ。もっと前、もっともっと前、兄王を討つ前から、夢の中で、この声を聞き続けていたような気がする。
この声に操られる傀儡のように、おのれは、謀反に立ったのではなかったかと疑われるほどに。
「そんなことはない。貴様の望みは叶っているぞ、コルネリウス。すべて、貴様の望んだとおりだ。身にふさわしくもない玉座を欲し、そこに座る正統な権利を持つものたちを根絶やしにしたいと、そう願ったのはお前だったはずだ」
「違う。違う。いや、違わぬ。しかし違うのだ。わしは、王になりたかった。しかし、王になりたかったわけではないのだ」
支離滅裂の極みだった。自分でも何を言っているのか、もはやコルネリウスにはわからなかった。己の裸体を映していた姿見の向こうに、異形の悪魔が立っているのが見えた。しかし、よく見ようとすれば輪郭がぼやける。ますますあいまいなものになる。
やがて異形の輪郭は霧散され、姿見は、暁闇を恐れるように駆ける三人の影を映し出した。見慣れぬ魔獣に騎乗している。異常に涼やかな男を除けば、残る二人には見覚えがある。
その姿を見て、コルネリウスの頬を、とめどない涙が濡らした。涙は滂沱の流れになってあふれ出した。皺に侵された顔面を次々と濡らして落ちるしずくは、熱く、冗談のように清らかだった。
コルネリウスの目は、鏡の映す男女の姿を捉えていた。一幅の絵画のようだ。美しい光芒を背後に曳いているようにさえ見える。会話など聞かずともわかる。彼らは使命のために駆けている。己が命のためなどでは、決してなく。
比べてこの身の、なんとあさましいことか。
「おお、コルネリウス。なぜ泣く。なぜそのように涙するのだ。他にまた、新たな望みができたのか。お前を苦しめるものが生じたのか」
「違う。わしは、王になりたかったわけではない。王たるにふさわしい男になりたかったのだ」
「コルネリウス。おお、コルネリウス。蒙昧なことを言うものではない。そんなものは言葉遊びだ。おまえは王だ。王となった。その身が、王にふさわしくないことなど、あろうものか。おまえはすでに、王であるがゆえに」
あるのだ。コルネリウスは知っている。兄王も、その長兄も、長女も、彼の目にはいつだってまばゆかった。いっそ、彼らが神であると思えればよかった。しかし彼らには人の愛があり、情があり、悩みがあり、弱みがあった。
だから、別次元の存在であると、あがめることができなかった。同じ王家の血を流しながら、なぜここまで人間が違ってしまったのだと、嫉妬することしかできなかった。
「コルネリウス。卑しく、弱く、あさましき男よ。それでも、おまえは王になったのだ」
そうだ。そうなりたいと思った。目障りなものすべてを駆逐すれば、この胸のにがみも消え果ると思ったのだ。
それが、こうなった。正体のわからぬ声にからめとられ、決して侵してはならぬ禁忌を犯した。
この手が、この国を亡ぼすのだ。
「よい、コルネリウス。いまは眠るがいい。起きた頃に、また話そう。お前にはまだまだやるべきことがあるのだ。おまえと、このワタシのために」
声が聞こえなくなると、緞帳が下りるように、抗いがたい眠気がやってきた。寝台に戻り、横になる。
夢は見ないだろう。いま、まさに、悪夢を見ているのだから。
「竜など、喚ぶべきではなかった」
闇に残した呟きだけが、唯一残された、彼の良心だった。




