45 竜の正体と進むべき道についての話
竜の腹に、アメルハウザーの紋章があった。
それが意味するところを、俺たちはまだ正確に把握できてはいない。
ただ、いやなことが起きている。途方もなく、不吉なことが。
それだけがいま、たしかなことだ。
「目の当たりにして、竜の戦闘能力はどうでしたか。あるいは他に、気づいたことなどがあれば」
話を広げる意味で、俺は言った。本当に気になっているわけじゃない。ただ、リリイには考える時間が必要だろうと思ったのだ。
いま、決断できるのはリリイしかいない。戦うのも、考えるのも、情報を集めるのも、手助けしてやることができる。
けれども、決断だけは余人に任せられない。人の上に立つ、人の主になるというのはそういうことだ。
進むべきか引くべきか。いずれにせよ、人命も運命もかかる。この決断は簡単には下せない。だからこそ、時間も必要だろう。
その俺の意を、当然のように見通していたのだろう。ザビーネはわずかな微笑を浮かべてから、首を振った。
「あれは、戦闘などというものではありません。わたくしたちは、竜に対してあまりにも無力でしたから。そうですね、せめて呼ぶならば、天災というべきでしょう。地震や津波に、一個の人間が立ち向かうことができますか?」
「難しいでしょうね」
「そういうことです。あれに対しては、戦うという選択肢を持つべきではありません。そうですね、それでも具体的に、ということであれば、たとえばわたくしが万全の状態で、魔剣を最大開放してあれと対峙したとします。足止めできるのは、数十秒がせいぜいというところでしょう」
妥当な分析だろう。一秒も持たない、というほどではないのが、余計にリアルだった。しかし、数十秒の足止めにはおそらく何の意味もない。
俺が武具に身を包んで立ち向かったところで、竜の鱗一つ剥がすのがやっと、というところかもしれない。いまのままでは。
「千年前の人間たちは、どうやってあれに立ち向かったというのでしょう」
ザビーネの呟きは、俺に向けて放たれたものではない。しかし、その答えを俺は知っている。
「大賢者、と呼ばれる者たちがいたそうです。単に優れた賢者という意味ではなく、魔力によってもはや人間の上位に立つほどの存在になったものたち、と聞きました。戦の中心は、彼らが担ったと」
「レオンさん、物知りですね」
「聞いたことがありまして」
まさか、話の出所が本人だとは言えない。言っても信じてもらえないだろうが。
お互いに話の種がなくなったところで、視線をリリイに向ける。催促するつもりではなかったが、俺たちの視線を受け止めて、リリイは小さくうなずいた。
「うん。決めたわ。とにかく、すぐに出立しましょう」
「どこへ?」
「まずは、南へ下って街道に合流する。そこで、兵たちとは分かれて、わたしたちは引き返す」
「何のために?」
「竜のことを、調べるために」
俺もザビーネも、何も言わなかった。止めるべきだったのかもしれないが、止めるための言葉を持たなかった。
止めても止めなくても、結果はわからない。であれば、俺たちにできる覚悟は一つだけ。
ザビーネがひざまずき、リリイに頭を垂れた。
「お供いたします。たとえ行く先が、どこであろうとも」
言葉を重ねる必要はなかった。リリイは俺を視線を合わせてから、無理やりな笑顔を作った。
「わたしは、ここで死ぬつもりはないわ。ザビーネにもレオンにも、ここからいくらでも働いてもらうことがある。そのつもりでいてね」
そのあとの行動は早かった。ザビーネが手早く兵をまとめ、目的地を告げた後に、速やかに出立した。月明かりの下の行軍は、当然だが魔獣たちの標的になった。
しかし、俺と、魔力によって五感を強化したザビーネのふたりがかりの索敵をかいくぐることのできる群れはなかった。
俺は兵に借りた剣を使って魔獣を蹴散らし、討ち漏らしをザビーネが風の魔剣で仕留めてくれた。ほとんどひとりで戦う覚悟だったから、ここまで頼れる仲間がいるのは嬉しい誤算だ。
守りながら戦うのは効率が悪い。殲滅を目的に動ければ、敵を無力化するまでの時間が節約できる。夜の行軍の足を鈍らせないのが、いまもっとも大事なことだった。
ザビーネはもちろん、俺の素性に関心を持ったようだったが、この状態で尋ねてくるほど能天気ではない。リリイはずっと何事かを考えているようで、極端に口数が少なかった。
魔獣の邪魔を完全に排除できた甲斐があって、月が落ちる前に街道に合流できた。いくらかの路銀を渡し、兵士たちと分かれる。
ザビーネへの信頼はもはや心酔と言っていいほどで、間違いなく命を落とすとわかっていても、ほとんどすべての兵が同道を志願した。
ザビーネは兵のひとりひとりの名前を呼んで、それを断った。
「みなさんのお気持ちはとてもありがたく思います。だからこそ、今ここで、みなさんの命をあたら散らせることを、わたくしは望みません。今日があったように、みなさんの力が必要になる明日がきっと来ます。それまで鍛錬を続け、来るべき日にまた、お力を貸してください」
涙ながらに訴え出る男たちを無視して、踵を返す。女性ふたりであれば抱えて走るのもやぶさかではなかったが、戦闘への移行に遅れが出るのはまずいと判断して、やめる。
引き返す道中、魔獣の群れをひとつ片付けた際に、騎乗に適した獣を捕らえた。運よく、二頭いたので、それをザビーネと分け合い、リリイは俺の後ろに乗せる。
「じゃあ、これで竜のところへ向かっていいんだな?」
最後の確認をしておく必要がある。馬によく似た獣にまたがり、後ろを振り返りつつ聞く。
リリイは、困ったように眉を寄せて、白状するわ、と言った。
「レオンもザビーネもよく聞いて。わたし、あの竜に、心当たりがあるの」
「なんだって?」
ザビーネを見るが、彼女も首を振っている。
月光が刺すように降る荒野のただなかで、リリイは悲し気に笑った。
「あれは、アメルハウザーに伝わる禁呪で喚ばれたものに違いないわ。でなければ、ここにいる理由に説明がつかない。だから、アメルハウザーに連なるものとして、わたしは――」
「待て。人が竜を喚んだ? そんなことができるのか? いや、それより、いったい誰がそんなことを」
「聞かなくてもわかるでしょう?」
「まさか」
「そのまさか以外に、考えられないわ」
リリイは唇を震わせながら、凍えるほど冷たい声で、憎むべき仇の名を呼んだ。
「コルネリウス・アメルハウザーよ」




