41 残された道標を辿りながら主従が会話をする話
走るうちに、足元に奇妙な花が咲ていることに気が付いた。花弁のあたりに燐光が散っている。夕暮れ時に、星の欠片のような輝きが美しかった。
色は様々だが、冬の気配に怯える木々の足元で、闇を払う鮮やかさはいやに目につく。それが、点々と続いている。まるで、道を示すように。
「これ、道標か……?」
この状況で、後に続くものに残したとは考えにくい。おそらくは引き返すときのための目印なのだろう。危機的状況で道を失うことほど恐ろしいことはない。
ということは、この花を追っていった先に難を逃れたものたちがいるはずだ。そして彼らは、まだ命をあきらめていない。
「ザビーネだわ、きっと」
「そうなの?」
リリイが地面に降り立ち、花を摘んだ。風に吹かれたように花弁が散って、夕暮れに溶けた。
魔力の名残りが、星粒のように地面に降った。
「この花、そうか、魔力で編まれたものか。すごいな、こんなに精巧に再現できるものなのか」
人の手になるものならば、ものすごい技量の持ち主だ。
必要とされる魔力量はたいしたものじゃない。けれども、花弁を再現するには、繊細なコントロールが必要とされる。
ザビーネは騎士団の副団長だと聞いていた。魔力の扱いに長けているとは、予想外だった。
リリイが両手を上げてこちらを見る。また抱けということなのだろう。べつにいい。べつにいいけど、肌が触れ合うことについて、照れとか抵抗とかないのか、このお姫様は。
「ザビーネはね、お花が好きだったの。ううん、植物が好きだった。自然が好きだった。剣術が強くて人望があったから騎士団の副団長に収まってもらったけど、彼女が本当に望んだのは、そういう地位じゃなかったのかもしれない。ご覧の通り、魔力の扱いも一流よ」
「へえ、多才な人なんだな」
「そうね、会えるのを楽しみにしているといいわ」
ザビーネは生きている。生きていて、必ず再会できる。そう、自分に言い聞かせるための言葉だったのだろう。
悲しみに耐える準備などいらない。細い希望にすがっててでも、ありうべき未来を信じ続ける。それがリリイの、生き方だった。
「花は、東に続いてる。このまま東まで走り抜けよう。竜の炎圏を抜けたところに陣を張っているとするなら、あと一時間も走ればきっと着く」
「日が暮れても、花は見える?」
「夜になっても大丈夫だろう。ぼんやりと光るはずだ。ただ、この辺りは竜の影響で魔獣の活動が盛んになっている。できれば、暮れきる前に合流したい」
道の先を見る。宵闇がわずかずつ世界から明度を奪っていく。
影となってそびえる竜の巨体が、あまりにも不吉だった。
「竜より、魔獣が活発になっていることを警戒しているの?」
「竜は人間と一緒で昼行性なんだ。魔獣は基本、夜行性が多い。獰猛な奴にはとりわけな。だから、夜になってしまえば怖いのは竜じゃない」
したがって、このあたりに関してだけ言えば、夜の方が安全なのだ。
とはいえ、炎駒のような魔獣が集まって来ていたら、ふつうの人間たちでは到底勝ち目がない。まして、竜に壊滅させられた後、戦力の補充も不十分なタイミングとあっては。
早く合流しなければ、ザビーネたちが全滅する恐れがある。
「だから、さっきから竜はあそこでおとなしくしているのね。知らなかった。勉強不足だわ、恥ずかしい」
「竜の生態なんて、知っている方が珍しいだろ。気に病むことじゃない」
「そうかもしれない。でも、レオンは知っていた」
ひやりと、声に鋭さが混じった。
「どうして知っているの、そんなことまで?」
「気になる?」
「そうね」
「じゃあ、内緒にしておこう。男は、ミステリアスな方がモテるって聞いたからな」
リリイはしばらく沈黙を続けたあと、負けたわ、と言って笑った。
「強情ね。そんなに自分のことを語りたくないわけ?」
「なんのことやら。俺はただ、モテたいだけだ」
「わたしに? モテてどうするのよ」
「馬鹿だなあ、リリイは。男はみんな、美女からはモテたいんだよ。モテたくない奴がいたとしたら、そっちのほうが異常者だ」
「なるほど」
「わかった?」
「ええ、わかった。そういうこと、口に出しちゃうからレオンはモテないのね」
くすくすと笑っている。
半ば気づいていたけど、確信した。リリイ、口げんかがめちゃくちゃ強い。頭の回転が早いというか、弁が立つというか、屁理屈がうまいというか、負けず嫌いというか。原因は、たぶんそのすべてだ。
「あれ、落ち込んじゃった? ごめん、言い過ぎたかしら。ちなみに、あなた、ものすごくモテてるの、本当に気づいてないの?」
「気休めはよしてくれ。人は、図星を突かれると落ち込むものなんです」
「そういう素直さはかわいいわよね」
「え、そう?」
思わず笑顔になってしまう。我ながら単純すぎるのだった。
リリイは、吹き出すように笑った。
「レオンって、たまにものすごくかわいいわ。わたし、あなたは嬉しそうにしている顔のほうが好き」
言いながら、リリイは俺の胸を掴んだ。
「リリイ、震えてる?」
「いじわるね。確認することないでしょ」
「すまん」
「いいわ」
そこで、リリイは小さく息を吐いた。震えは止まらなかった。暗くなりかける大地は、いまだ炎の臭いをまとっている。
「怖い。怖いわ。とても怖い。本当に竜がいるなんて思わなかった。ううん、思いたくなかった」
「リリイ」
「でもね。だからこそ、立ち向かわないといけないんだわ。怖いものや、つらいことから、逃げてばかりいられたら、どんなに楽かって思ったことはある」
「そんな人生はつまらない?」
「というより、意味がないわ。人は、困難を乗り越えてはじめて自分の価値を証明できる。わたしはそう信じている」
強いな。強すぎるくらいだ。
感想は、あえて言葉にしなかった。リリイはそんな言葉を求めているわけではないと思ったから。
ああ、それにしても、世が世であれば、蝶よ花よと育てられ、たいした苦難も知らないまま、幸福な一生を終えたんだろう。
そのリリイに、神はどうして、こんなに過酷な運命を与えたのか。
闇が迫る。巣を刺激したか、群れに勘づかれたか、行く手に魔獣の気配が満ちる。
言うに尽くせぬ怒りと悲しみを、ひとまずはこいつらにぶつけさせてもらうとしよう。
魔獣の気配のさらに遠くに、ようやく、人の息遣いを、かすかに聞いた。




