36 次なる目標を定めるという話
ファビアンの家に突撃してから、一か月がたった。医者に言わせると「回復は絶望的」だった俺の怪我はすっかり全快し、彼らの面目をつぶすことになってしまった。
悪いことをしたとは思うけど、だからといって治る怪我を治さないでおくのはちょっと無理なのだ。申し訳ない。
身体が治ったこと以外にも、この一か月で変化したことはいくらでもある。到底、ひと言では言い表せない。何しろ俺自身がその変化についていけていない。
少しずつ慣れていくしかない。時間は限られているが、他にするべきこともないのだ。
まあ、要するに、俺は暮らしている。日常を送っている、と言ってもいい。
これまでの生活に比べると、あまりにも贅沢な日々なのだった。
住んでいるのは当然、俺が補修をしたアメルハウザーの屋敷だ。豪邸の立ち並ぶアスムスの住宅街にあるから、決して目立つわけではないが、十分に広い。
全員でゆったり住んでも手狭にはならない。むしろ広すぎるので、使用しない一画は封鎖してしまったくらいだ。半端に使うと手入れが大変だから、だそうだ。
全員で、というのは、つまり六人。リリイ、ヴァルター、ユリアナ、ゲルタ、エッダ、俺、である。
俺以外の五人は、ようやく腰を落ち着ける場所を見つけたという感じで、リラックスしている様子だ。同居に緊張感がない。もともと集団生活に慣れていたのだろうから当然だ。
ゲルタとエッダは元々が本職のメイドだから、日々のあれこれを一手に引き受けてくれていた。張り切って働きまわる彼女たちの仕事に落ち度を見つけるのは難しい。が、眺めているだけでは居心地が悪い。
薪を割ったり雑巾をかけたり風呂を掃除したり壁を清めたり、暇があれば力仕事を引き受けて、生活の快適さを追求している俺なのだった。
ちなみに、そのたびにゲルタとエッダは嫌そうな顔をする。領分をおかされたという気分になるそうだ。あと、そういう仕事は俺に似合わない、とかいう。何を言うか。俺ほどこういう肉体労働が似合う男はなかなかいない。
なにしろ元奴隷、もともとはこういう雑用仕事を本職にしていたのだ。この習性だけは仕方ない。これはもう見逃してもらうしかないのだった。
さて、そんなのんびりした生活を送っていながらも、もちろん俺たちは本来の目的を忘れてはいない。
つまり、アメルハウザーの家の奪還のことである。
無為な日々を送っているように見せて、リリイやユリアナは実は精力的に動いているようだ。クラウディア・アスムスとも頻繁に連絡を取っているようだし、金で雇った密偵を各地に放っていたりもする。
ついでに言うと、俺のところには週に一度、ファビアンからの手紙が届く。内容は、よもやま話が三割、七割がコルネリウスについての動向だった。
俺が読んでもわからんことばかりなので、受け取った端からリリイとユリアナに報告を上げることにしている。
手紙そのものを渡せれば手っ取り早いのだが、それはさすがに人情としてできない。別に大したことが書かれているわけじゃないんだけど、私信を公表するってのは、あんまり褒められた行為ではないはずだ。
「さて、それじゃあ、そろそろいろんな情報を整理しましょうか!」
と言ったのはリリイで、場所は屋敷の中の食堂だった。
昼食を終えて昼下がり、うららかな日差しが明かり取りの窓から差し込んでいる。エッダとゲルタが軽食とお茶を運んできてくれた。
いい加減にこの状況の説明をしてほしい、俺はいったい何をしていればいいのか、いつになったら本格的に動き始めるのか、とユリアナを問い詰めたら、一同揃っての会議が行われる運びとなった。
ちょうど今後の方針の発表をしようと思っていたところ、らしい。そう言ったユリアナの顔は朗らかだったから、きっといいニュースなのだろう。
「アスムスに到着して約一か月。状況は、わたしたちが覚悟していたよりは悪くないみたい」
スピーカーはリリイが務める。俺が質問をしまくる係で、ユリアナがリリイの補佐。後はギャラリー、という感じの会議になりそうだった。
というわけで、早速、質問。
「具体的に、どう悪くないんだ?」
「うん。いくつかの点に分かれてるわ。ひとつずつ説明していくわね。まず、いちばん大きなところは、王府」
ぴりっとした緊張が座に走る。
「コルネリウスは、王府への根回しだけはやり切っていたと思っていたの。ううん、彼はきっと万全を期した。それでも、思い通りにはいかなかったみたい」
リリイはいつの間にか、コルネリウスのことを名前で呼ぶようになった。叔父、とはもう言わない。
敵、であると、心定めたのだろう。
「ちなみに、わたしたちがアスムスに潜伏していることは、公然の秘密になっているわ。この街にもコルネリウスの密偵がたくさんいることを考えれば、隠し通せるものじゃない。当然、王府のしかるべき筋も、わたしの居場所を知っている」
「へえ、そうなのか」
てっきり隠密生活なのだと思っていた。ただまあ、考えてみればその通りだ。クラウディアのところにも人はたくさんいるし、噂に戸は閉てられないのだから。
「本当に公にしてしまうとお互いに具合が悪いから、市井のひとたちには内緒のままにしておくけどね。まあ、そこら辺の話はまた今度」
「そうだ、王府の話だった」
「そう。アスムス商会を中継して、わたしに、王府からの命令が届いたわ」
リリイが懐から手紙を取り出す。立派な意匠が施されている。ひと目見て、尋常なものではないことは分かった。
その手紙を凝視する俺の横顔に、気づけばユリアナの視線が注がれていた。
「む? なんだよ、ユリアナ。俺、変な顔してたか?」
「ああ、違うの、ごめんなさい」
眉を寄せて視線を返すと、ユリアナは笑って手を振った。
「なんだか、純粋に話を聞いているから、かわいいなあって思っちゃった」
「馬鹿にしてる?」
「逆よ。感心してるの」
本音かどうか、ユリアナは微笑をたたえたままはぐらかしてしまった。最近、ユリアナはこんな態度が多い。
なんというか、お姉さん的な雰囲気だ。手のかかる弟のように俺を扱っている、気がする。釈然としないのだが、街の果物屋の兄さんなんかからは、なんてうらやましいんだ、と通りすがりに首を絞められたりするのだから、ユリアナの人気も相当なものだ。
「でね、この手紙には意外なことが書いてあったの」
リリイが読み上げた内容は、要するにこういうことだ。
――コルネリウス・アメルハウザーとリリイ・アメルハウザーのいずれをアメルハウザーの後継者とするかは、王府は判断しない。お互いに干戈を交え、己の正しさを証明せよ。見事、相手方を討ち果たした陣営を、正当な後継者と認める。
――当面、アメルハウザー領はコルネリウスが治めることを許す。しかし、あくまでも仮の措置に過ぎず、向こう数年たって事態に進捗がない場合、コルネリウスからも所領を取り上げることとする。
「これ……すごいこと書いてないか?」
つまり、戦って勝ったほうが後継者、と王府も認めている、ということになる。妙な小細工なしでコルネリウスを討ち取れば、自動的に家も領地も取り返せる、ということだろう。
なんというか、風変わりな裁き方もあったものだ。
「そうね。まあ、やることは変わらないけれど、わたしとコルネリウスの争いは、王府公認のものになったわ。堂々と討ち破れば、何の問題もなく家に帰ることができるってわけ」
なるほど、これはいいニュースだ。ずっと横で黙っていたヴァルターが武者震いをしている。
うむ。心がけは良いのだけど、ヴァルターの腕を考えると、あんまり意気込まないほうがいいような気もする。寿命が短くなるだけだ。
「もうひとつ、いいニュースを知らせる手紙が届いたの。こちらは鳥便を使って届けられたものだった」
「誰から?」
「ザビーネ」
その名前の持つ威力を十分に確かめるようにして、リリイは言った。初耳だったのか、エッダとゲルタが顔を上げた。その瞳が、期待の輝きに満ちている。
期待に答えるように、リリイが小さくうなずく。
ザビーネ。
アメルハウザーの擁する騎士団の、副団長を務めていたという女性だったはずだ。たしか、コルネリウスの謀反に際しては、エッダやゲルタとともに城を抜けたと聞いていた。
ファビアンとのいざこざで別れた切りになっていたはずだ。無事に生き延びて手紙をよこしてくれたのだから、これも間違いなくいいニュース。
リリイが、王府からの手紙に続いて、もう一つの手紙を取り出し、机に並べる。視線は、簡素な便箋の方に向いていた。
「当然、ザビーネは生きているわ。そして、わたしたちに、ものすごく貴重な情報をもたらしてくれた。この手紙でね」




