31 まったく思いがけない申し出を受けて驚くこと
「あたしの望みはひとつだけよ」
かがり火に照らされたファビアンが一度視線を足元に落としてから、決心したように息を吐いた。
それから、うん、と晴れやかな笑顔を浮かべる。
「へルター家は、当主ファビアンの名のもとに、リリイ・アメルハウザーへの忠誠を誓う。それを認めなさい」
「なに?」
虚を突かれる形になって、間の抜けた声を出してしまう。
それは俺だけではなくて、エッダも同様に、だ。お互いの目を合わせて、首をかしげあう。その様子を、ファビアンは退屈な芝居を観るように見つめていた。
「えー、レオン鈍ーい。言わないとわかんない? だから、あたし、あなたたちの味方になりたいって言ったの。コルネリウスに取り入るつもりだったけど、やめるー!」
「え、え?」
「そもそもあの狸親父さー、不潔な感じがしてもともと嫌いだったのよね。先代は先代で、高潔すぎて交渉の余地がない頑固者で苦手だったけど、それ以上だわ。生理的に無理。まじ無理」
鳥肌を抑えるように腕をさするファビアン。エッダが深くうなずいている。なんとなく、コルネリウスの人柄が知れる一幕だ。
ファビアンがするすると歩み寄って、右手を差し出してくる。これを握り返せば同盟成立、ということだろうか。いやしかし、そんな権限、俺にはない。
「その申し出はすごくありがたい話だと思うが……どうして?」
アスムスほどではないが、ひとつの街を丸ごと取り仕切るへルターのような家が力を貸してくれるというのであれば、これほど頼もしいことはない。
だからこそ、その理由は疑問だった。
「どうして? え、なに、わかんないの? レオン、ほんと鈍いのねえ」
ファビアンはにまにまと楽しそうに笑っている。期せずして交渉のテーブルに乗ってしまったので、ファビアンの独壇場だ。こういうことに俺は長けていないし、ファビアンはこの手のことのプロだ。
相手にならず、あっという間に主導権を握られてしまう。
「だったら、当ててごらんなさいよ。あたしがー、どうしてこんな申し出をしているのか!」
「わかんないって。だって、俺、お前のところの兵士たくさん殺したし、現状ではコルネリウスの方が断然有利だろ? 利に貪欲な商人が、特に恩義もないのにリリイに肩入れする理由はなくないか?」
「あ、失礼だな。罠だって疑ってる? あたしね、卑怯でずるでよく人をだますけど、疑われるのは大嫌いなの、覚えておいて!」
それはいくら何でもワガママすぎるというものだ。
「レオンさん、ちょっと離していただけますか?」
「ん、ああ」
エッダが腕の中でもがいたので、一度下ろす。このタイミングでファビアンの手下が襲ってくるとは思いにくいが、不意を打たれても守り切れるだけの緊張感は持続させておく。
よいしょっと自分の足で立ったエッダは、にっこりとファビアンに笑いかけた。
「ありがとうございます、ファビアン様。リリイ様に仕えるものとして、お礼を申し上げます。それに、リリイ様にとっても、大きな自信になるかと思います。もちろん、私なんかに、そのお手を握り返す権限はございませんけれども」
「ふ……ん。こっちの使用人のほうがよくわかってるみたいね」とファビアンはちょっと不満そうだ。
「どういうことだ?」
エッダに問いかける。エッダは困ったように眉を寄せて、笑った。
「へルターは百戦錬磨の商人ですから、負けの濃い勝負はなさらないでしょう。つまり、ファビアン様はこう読んだんです。リリイ様とコルネリウスの争いは、きっとリリイ様に軍配が上がるのだろう、と」
「え、そうなの?」
勢い込んで聞き返すと、あきれたようにため息をついて、ファビアンが首を振った。
「そのつもりだったけど、肝心のレオンがこれだけ鈍いんじゃ、ちょっと考え直したほうがいいかしら?」
「なにそれ? 肝心の、俺?」
ピンとこない。
「あたしの家を一夜にしてこんだけ壊滅させられるレオンがいるんだから、そっちが勝つだろうって読んだだけ! あんたがいなかったら、あたしだってコルネリウスにオール・ベットに決まってるでしょ」
「あ、そういうこと」
暴れたことにも意味があったらしく、ちょっとだけ救われた気分になる。
一方で、ファビアンはご機嫌斜めだ。
「どっちにしろ、博打には違いないけどね。ひとりの力で勝てるほど、戦争も政争も甘くはないだろうから」
「まあ、そりゃそうだ。でも、ならどうして?」
「今がチャンスだってあたしの勘が言ってるの。勝負するなら保険なんてかけない。最後の一瞬まで自分の勝ちを疑わず、勝ちを引き寄せるためにあらゆる労を惜しまない。それが商いに勝ち続けるコツだって、お父様の遺言にあったわ」
「へえ、含蓄あるな」
「我が家の家訓だそうよ」
なるほど。へルター家、立派な商家だ。
「もちろん、見返りは用意してもらうわ。リリイ・アメルハウザーが玉座を取り戻すまで、へルター家はひそかにあなたたちの援助をする。その代わり、彼女が領主となった暁には、へルターに最大限の便宜を図ってもらう」
「それは、たとえばどんな?」
ファビアンは鼻で笑う。露骨に馬鹿にされている。
「レオンや使用人に言ってもわからないわよーだ。でも、こっちだって家の運命を丸ごとかけるんだから、半端なことじゃ許さない。で、どうするの? あたしのこの同盟の申し出、受ける?」
「いや、だから、さすがに俺やエッダにそのことを決める権限はない」
「じゃあ、この話は、なしよ」
「は?」
腕を組んで、こちらを見下ろすファビアン。こうしてみると立派な商人の面構えをしているように見えるものだから不思議だ。
そして、戦力的には圧倒的にこちらが有利のはずなのに、なぜかこちらが気を遣う側になってしまっていることも不思議だった。これはこれでひとつの魔術のようだ。
「いま、この場で返答をもらうわ」
「え、なんでなんで?」
「待たされるのは嫌いだからよ。あたしの力がいるかいらないか、レオンがいまこの場で判断しなさいって言ってるの。それができなきゃ――」
「え、じゃあ同盟を結ぼう」
「は?」
ファビアンの手を取って、握り返す。俺の手は血と泥で汚れているから遠慮はあったけれども、それがお望みとあらば仕方ない。
「あんた、ちょっとは迷ったりしないの?」
「しないだろ。条件としては破格だし、悪いことはない。リリイがこの場にいても、きっと同じことを言う」
ただ、権限を侵すことはするべきではない、という分別で俺はためらっていただけだ。この場限りという条件を出されてしまえば、逡巡する理由もなくなる。
「ファビアン。俺たちには、お前の力が必要だ。同盟を結んでもらえるのは、心からありがたい」
目を見つめて、ちゃんと告げる。こうしたことにはケジメが必要だろうと思ってのことだったが、ファビアンはそっぽを向いて、つぶやくように言った。
「レオン、あんた、本当にいい性格してるわね」
「え、そう?」
「褒めてないわよ、馬鹿」




