29 呪いさえ解けてしまえば何の問題もないこと
「どう……して? なんで急に、こんなことが……!」
眼前で自身の最大火力をかき消されたファビアンが、哀れなほどの狼狽を見せる。慌てて杖を構えて次々に魔法を繰り出してくるが、すでに問題にならない。
傷は癒えていないので、左肩も左足も右腕も、十全の動きにはならない。それでも、この程度の魔法であれば指三本動けば十分だ。
「この……なんで! どうして! どうして……!」
「いや、何回やっても無駄だって、もう」
「ふざけないで、こんな、こんな……!」
きれいな顔が歪む。動揺、狼狽、屈辱、恐怖。さまざまな感情がファビアンの美貌を飾っては過ぎ去っていく。
点検がてらに手足を振り回すにはもってこいの威力だが、こうなってくると敵ながらちょっと哀れだ。
「その辺にしておかないと、魔力切れで死んじゃうぞ、ファビアン」
「うるさいわね……敵に言われるほど、落ちぶれちゃ、いないわよ……!」
いっそう魔法が激しさを増すが、俺にとってはそよ風程度だ。
いかんな、真摯な助言のつもりだったのだが、神経を逆なでしてしまったらしい。無駄な口は叩かないほうが良さそうだ。
やがて息切れし、杖にしがみつくばかりになったファビアンを守るように、男たちが並び出た。それなりに腕の立つものたちだから、もう今の俺には太刀打ちできないことは理解しているだろう。
それでも守ろうというのだから、大した忠義だ。誰にだって、そういう者がいてくれるわけではない。それだけで、ファビアンがただ陰惨なだけの主でないことの証明にはなるだろう。
しかし、従者のその心を、錯乱した主は受け止めることができなかった。わめき散らすファビアンとそれをいさめる男たちの会話は、なかなか聴きごたえがあった。
「どいて、やめなさい! あたしが、こんなみすぼらしい男ひとりに、負けるわけなんて!」
「それは聞けない命令です。この男は尋常一様な者ではありません。ファビアン様は今すぐこの屋敷を抜けられ、どこか安全なところにでも――」
「逃げろっていうの、ふざけないで! あたしがファビアン・へルターよ。屋敷に侵入された挙句、男ひとりに尻尾巻いて逃げたなんて知られたら、この先商売上がったりじゃない!」
「命あっての物種です!」
「いやだ、プライドを売るくらいなら死んでやる! さあ、どうしたの侵入者、あたしはここよ、煮るなり焼くなり犯すなり、好きにしなさーい!」
やけくそ気味に叫んでいるだけだろうが、犯しなさい、はいかがなものか。十歳程度の小娘を犯すなんて、人殺しよりはるかにやりたくないことなのだった。
「犯すつもりも、煮るつもりも焼くつもりもない」
「じゃあ、なんなよ! そもそも、あんた何で、今までその強さ、隠してたのよ! ば、馬鹿にしてたのね、あたしのこと! むかつく! 死んでほしい! めちゃくちゃ死んでほしい!」
男たちの手を振り払い、ふたたび俺の前に立ったファビアンは、もうすっかり涙目だった。髪を振り乱して、歯をむき出しにして、小さい体いっぱいに俺への敵意をむき出しにしている。
この期に及んで戦意を失わないのは逆にすごい。
「そんなことはない。エッダの部屋に仕掛けられてた呪いのせいで、今まで力がセーブされてただけだ」
「……は?」
目が点になる、とはこのことか。ファビアンは俺の顔を見て、口を開閉させた後に、エッダを見て、また俺を見て、最後に従者を見た。
従者は、ファビアンよりもっとひどい。鼻水を垂らしているやつはマシな方で、一部はすでに卒倒している。
「え、なに……? あんた、あの部屋の結界と、ベッドの呪い、両方ちゃんと喰らってたの……?」
「ばっちり。いやあ、不用意だった」
また、一瞬の沈黙の後で。
「じゃあなんでまだ生きてるのよおおお!!!」
顎が外れんばかりに大口を開けて、ファビアンが絶叫した。
あまりにも感情が激しているせいか、声にも魔力が込められていたようで、木々に止まって眠っていた鳥たちが一瞬にして絶命し、ぼとぼと落ちてきた。
このお嬢様、なかなかにたちが悪い。
「あの呪い、三百年かけて編んだへルターの呪詛の結晶よ!? ふつうの人間なら発動した瞬間に肉体ごと腐敗して溶け出すくらい凶悪な奴よ!? 賢者クラスだって一撃で仕留めるくらいのやつなのに、どうして……?」
「あ、やっぱりそれくらい強烈な奴だったのか。いや、さすがに驚いた。毒くらいなら体内で浄化できるんだけど、ぜんぜん無効化できないから。いやー、体質に頼って突撃ばっかりするの、改めたほうがいいな、うん」
「そ、そうじゃなくて! だから、なんで、あんたは、生きてるの!?」
「知らん」
というのは嘘だ。
わかり切っていることだけに、答えたくない。もっと言えば、認めたくない。
賢者クラスが即死する呪いで、俺が死ぬわけがない。
だって俺、大賢者の加護を受けているんだもの。
「知らんって……あんた、いったい何者なの? その従者を助けに来たってことは、やっぱりアメルハウザー? でも、アメルハウザーにあんたみたいな化け物がいるなんて聞いてないし、調べにもなかった。アスムスに着いたリリイ・アメルハウザーがみすぼらしい従者を加えていて、それがずいぶん強そうだ、くらいの報告しか受けてなかった!」
一気にいろいろ喋る。なにから答えていいかわからんのだが、ここで奴隷を自称するのは、もうリリイに対して失礼に当たるだろう。
というわけで。
「リリイ・アメルハウザーの新しい従者のレオンハルト。出自は奴隷だけど」
「なに、レオンハルト? もう、まったくわけがわからない。なにから驚けばいいわけ、あたしは?」
「いや、驚いているのは俺のほうもなんだけど」
「なにがよ?」
じろり、と睨みつけられる。これ、すごくないか?
「ファビアン、あんた、俺が怖くないのか?」
たぶん、本気出せば一秒後に殺せるし、そのことをファビアンも分かってる。それでもファビアンは態度を崩さないし、命乞いもしない。
プライドか、やけくそか。
「知らないわよ。殺す気があるならもう殺してるでしょ。あたしはね、気になることがあるなら解明しないと気が済まないたちなの! で、どうやったの?」
「なにが?」
「どうやって、あの呪いを外したのかって聞いてるの! 解呪条件は整ってなかったはずでしょ!」
きーと服を噛んで地団駄踏みそうな気配すらある。
そうか、それ、まだ説明してなかったか。
「それはな」と答えつつ、静かに俺の背後に忍び寄り、剣を突き刺そうとしていた男の腕を捕らえて放り投げる。「こいつら、片付けてからの説明でもいいか?」
「え、あ……!」
ファビアンの指示ではなかったらしい。男たちが白刃をきらめかせ、一斉に襲い掛かってくる。決死、というやつか。
「狼藉もの、ここで死ね……!」
「いやだよ、馬鹿。俺はかえってリリイの朝飯を食うんだ」
ごう、と音が鳴った。俺が動く音だ。制圧に、二秒もかからない。全員合わせても羅羅一頭のほうが手ごわいだろう。
今は呪いが解けているから、ちゃんと手加減ができる。脳を揺らしたり血の流れを止めたりして、全員を気絶させる。
ばたばたと倒れ伏す男たちに一瞥もくれることなく、ファビアンはなお、俺だけを見ていた。
「で、はい、説明をしてちょうだい」
「俺が言うのもなんだけどさ。ファビアン、いい性格しすぎてないか?」
「知らないわよ、あたしの命令を無視して勝手に襲い掛かった馬鹿たちなんて。あたしがいま、興味があるのは、あんた、レオンハルトだけ!」
「は、はあ……」
光栄、なのか?




