28 ひどい趣味の少女に嬲られながら時間を稼ぐこと
「思ったより長く逃げたわね! すごい、意外と楽しかった。やるじゃない。でも許さないよ?」
ものすごい笑顔だった。ファビアンは、大好物が夕食に並んだ時の子供の顔をしている。
しかし、彼女の前に提供されたのは食物ではなく、哀れな侵入者だ。その生殺与奪の権利を握っていることが、嬉しくて仕方ないらしい。
先が楽しみというか、末恐ろしいというか。
まるっきりの怪物じゃねえか。
左肩と左足の負傷が響いた。ファビアンの魔法だけじゃなく、統制された配下たちによる弓矢の援護、厳重な包囲も完璧だった。
何度か穴を見つけて突撃しようとしたが、あっけなく撃退され、後退。
結果、こうして袋の鼠となった。背後に塀を背負い、夜空を焦がすかがり火に身を照らされ、絶体絶命。
リリイの顔が思い浮かんだ。まったく情けない。
東の空にはまだ曙光は差さない。
それでも、ようやく、希望の兆しが見えてきていた。
考えてみれば、伏線はすでに張られていたのだ。それに俺が気が付くのに時間がかかった。情けないことだが、気づいていたところで結果は何も変わらなかっただろう。俺のやるべきことに変わりはなかったのだから。
しかしまあ、人のやることには、何であれ意図があるものらしい。どんなに追い詰められていても冷静な思考を忘れてはいけない。
勉強になった。
「まいった。降参だ。子供のくせに、ずいぶんすごい魔法を使うんだな。やっぱり英才教育ってやつか?」
両手を挙げて、あえて問う。子供なんだから付け入る隙もあるだろうという甘い見通しというよりは、それ以外にやるべきことがなかった。
一秒でも二秒でも、時間を稼ぐ。それだけ、生き延びる確率が高くなるからだ。
「えー、そうー? 時間稼ぎだってわかってても、褒められると嬉しいなー。あたしがすごいのはね、一に才能、二に努力。ちっちゃいころから頑張って訓練したんだから!」
えっへん、とない胸を張っている。なにがちっちゃいころから、だ。いまだって十分ちっちゃいだろうが。
「でもさー、侵入者さんもすごいよね。ひとりでへルター家に乗り込んで、こんなに粘るなんて、めちゃくちゃすごいことだよ!」
「褒めてもらうのは嬉しいな。ご褒美に見逃してくれたりする?」
「まっさかー」
語尾にハートマークでも付けそうな勢いで却下された。そりゃそうだよね、って相槌を打つ前に、火球が飛んでくる。服の裾を焦がしながらかわすと、今度は光球が飛んでくる。皮膚を焦がして避け、また避け、転がり、避ける。
「あはは、楽しい、楽しいなー! おにーさん、ほら、もっと速く逃げないと足が焦げちゃうよ、腕が焼けちゃうよ! かっこいい顔が台無しになっちゃうよー!」
「く……っ!」
あちこちに傷を作りながら、荒い息を吐く。ファビアンは両手の魔力を横溢させて、涎でも垂らしそうな顔でこちらを見ている。
嬲られている。殺そうと思えばもう殺せるのに。所詮、子供は子供、ということか。
殺せるときに殺さないのならば、反撃されても仕方がない。
静かに、深く息を吐く。眠りが浅くなったのか、腕の中のエッダがわずかに身じろぎする。
気づかれてはならない。
「おにーさん、そろそろ時間稼ぎをあきらめて、命乞いでもしたら?」
「命乞い? したら許してくれるのか?」
希望を見つけたような顔を意識して作って、視線をあげる。ファビアンの目の奥に、隠微な喜びが宿る。
俺の心を折ったと思ったのだろう。
「さー、あたしの気分次第? よっぽどあたしの気に入るやり方か、面白いやり方か、死ぬほど惨めなやり方でお願いされたら、ちょっと気持ちが動くかも?」
「たとえば?」
うーん、とわざとらしく首をかしげる。その仕草が年齢相応に愛らしいのが、余計に吐き気をそそる。
外見と内面にギャップありすぎだろ、こいつ。
「あたしの靴にキスした後に、むち打ち百回の刑を笑顔で受けきる、とかどう? あ、なんか面白そう!」
歪み切っている。誰だ、こいつを教育した馬鹿は。
しかし、内心の吐き気を殺して、俺は思案顔を作った。ぎりぎり妥協できる条件かもしれないと本気で悩んでいる顔だ。
ファビアンは満足そうにこちらを見下ろしている。
その彼女が、もっとも望んでいそうな言葉を、苦渋の決断ぶって絞り出す。
「そしたら、助けてくれる?」
「そうねー、うん。命は助けてあげるかも! じゃあ、ちょっと覚悟を試すから、今度は避けないで。避けたら、すぐに殺す」
ファビアンは火球を産み出し、俺の右腕めがけてはなった。急いで右腕に通う痛覚を脳内で遮断する。
肉が音を立てて焦げる。いやな臭いがあたりに充満する。
右腕が焦げるのに合わせて、苦悶の表情を浮かべて、悲惨な呻きを上げる。実際、痛覚があったらシャレにならない痛みだったろう。ババアならともかく、普通の回復呪文でまた動くようになるだろうか、これ。
俺の過剰な演技を真に受け、さすがに目をそらした配下の兵士を目ざとく見つけたファビアンが、その男の頬を杖で殴った。
「そういうの、なんか気分下がるからやめてくれない? あたしが悪いことしてるみたいじゃーん」
サディストが無抵抗の弱者を嬲っているわけだから、どう考えても一般的な道徳上、悪いことをしていると言うべきだと思うのだが、叱責された男は「はい、自分が悪くありました」とか言っているからいいのか。
ていうか、殴られてうっとりしているし。どうなってんだ、この家。
「おー、でもすごいすごい、ちゃんと受けきったね、おにーさん! 偉いぞー! 褒めてあげちゃう! 後で足、舐めさせてあげようか?」
「じゃ、じゃあ……」
ものすごく背徳的な提案をされたことにはさすがに無視を決め込んで、これで命は助かるのか、という期待を込めたまなざしを送る。
この場の誰ひとり、俺の卑屈な演技を疑っていない。さすが奴隷。自画自賛。
「うん。命は助けてあげるよ! 両手足を切り落として、犬みたいに飼ってあげる」
「じゃあ、死んだほうがましかな」
急に冷たい声を出して表情を消した俺の気配に、ファビアンは不快そうに眉を寄せた。
不愉快なのはこっちの方だ。
「じゃあ、つまんなーい。死んで」
「お断りだ、馬鹿娘」
大火球と大光球が夜を消し飛ばし、俺に向かって放たれる。
しかし、そんなもの、あまりにも遅い。
すでに、腕の中でエッダが目を覚ましている。この瞬間を、俺は待っていたのだ。
エッダを解放し、両腕を構えた。
呪いが身体から抜けていったのがわかった。体中にみなぎる力を左腕に込めて、魔弾に向かって全力で振るう。
それで、終わった。
魔弾は跡形もなく霧消し、かがり火が照らす豪邸の庭には、信じられないもの見たように目を見開く少女が残された。
さて。
「お仕置きの時間だ」




