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27 恐るべき少女に追い詰められつつ逆転の一手を探ること

 ――ファビアン。

 由緒正しき男性名である。少女がこの名を授かったことには、ちょっとした由来がある。


 へルター家という商家がある。

 古くよりイエーナの街に根を張るものたちだが、さほどの権勢を誇っていたわけではない。街の商家にしては商いに幅があり、利に聡かったので、中規模程度の身代を維持することができていた、という程度に過ぎない。


 これが、先代、ローマン・へルターの代になって大いに興った。

 ローマンは商習慣よりもむしろ、武力による後ろ盾を重視した。隣町を統べるアスムスに倣ってのことだったという。


 中規模とはいえ歴史あるへルター家において、この急進的な方針転換が可能であったのは、ローマン本人が武をもって鳴る男だったからに他ならない。弓術と魔術に秀で、特に魔術は近隣に並ぶものなし、とされた。

 得意にしたのは光属性の魔法だった。ローマンは商いに精を出す一方で、自らの武の研鑽も決しておろそかにしなかった。


 ローマンはへルター家を傭兵によって武装し、自前の家臣団を組織した。有事の際には自らが陣頭に立った。士気揚がり、名声は高まった。そのことによって可能になることがあった。

 へルター家単独での長距離輸送貿易と、支店の効率的な運用である。


 目論見は当たり、へルター家には次々と蔵が立った。二十年もするとイエーナの街を牛耳るようになり、武力と権力を背景に、陰に陽に無茶な交渉がはじまった。

 富はますます肥え太り、へルター家は世界に有数の富商になりあがった。


 そのローマンの悩みは、跡継ぎがいないことだった。

 次々に側妾を抱えたが、子供ができない。様々な医者に相談し手を打ったが、どうにもできない。


 半ばあきらめかけていたころ、人生の暮れ方、晩くなってようやく、できた。六十の坂を越しきってからのことだった。

 ローマンは狂気し、勇んで名づけを考えた。


 男子だと思いこんでいた。しかし、生まれたのは珠のような女児である。

 あらゆる命名候補が、男性名だけだった。


 意気消沈したローマンは、しかしあえて、その娘に男性名を与えた。性別など何の関係もない。へルター家を継承するべきはこの娘以外にいない、と内外に宣言する含みを持たせてのことだった。

 少女は生誕から数日で、商人であればだれもが垂涎する富と屋号の正統後継者となったのだ。


 その後、ようやく後顧の憂いを断ち切ったとばかりに、数年してローマンは彼岸の人となった。家中、ローマンへの忠誠は篤く、継承に当たってはつきものであるはずのあらゆる問題が起こらなかった。

 かくして、ファビアン・へルターという勇ましい男性名を持つ少女が誕生した。この世に、ここまで誕生を待望された娘はそう多くない。


 今から十一年前のことである。


 ファビアン・へルターは早熟な少女だった。蝶よ花よと育てられ、当然のように傍若無人な性格に長じたが、なぜか向上心だけは人一倍あった。へルターの血筋によるものだろう。

 彼女が生まれ持った美点は、その容貌と自己実現への強い欲求、そしてなによりも、魔法の才能だった。


 ローマンをはるかに上回る。

 子供は、みずからの得意なことに励むことを好む。商いには興味を持たず、もっぱら魔術の稽古をせがんだ。


 そうして、齢十一にして傭兵団の誰よりも強く、誰よりワガママで、誰よりも美しい、最悪の人格が形成された。

 不思議なカリスマを備えた彼女の元には武人が集まり、雇用を志願する傭兵も少なくなかった。すでに商売は軌道に乗っているので、主のするべきことは多くない。


 小さい身代の商家を食い散らかし、敵対する勢力を武力でたたきのめし、へルターの成りあがりはいよいよ加速した。コルネリウスへの戦略も、アメルハウザーの乗っ取りまでを考えてのことだろう。

 双頭の鷲は、この上なく狡猾なやり方で、獲物を食らうのだ。


 ファビアン・へルター。

 ゆえに彼女は、イエーナにおいてこう呼ばれる。


 すなわち――暴食の魔女。



***



「なんだあの幼女、信じられねえぞ……!」


 暗がりをこけつまろびつしながら逃げ、再び母屋付近にまで戻ってきてしまった。

 心底楽しそうな笑い声を上げながら、光と炎の魔法を連発してきやがる。


 俺の見立てが甘かったことに言い訳の余地はないが、あんなのを推測するのは無理だ。規格外すぎる。

 詠唱とともに、また炎があたりをなぎ払う。烈しい明暗の入れ替わりのせいで、角膜のダメージが気になるところだった。


「どこー? どこに行ったのー、侵入者さーん。出口はこっちだよー。出てきたら逃がしてあげるよー、嘘だけど。きゃは!」


 誰かお尻ぺんぺんしてやれよ、あの子供、と頭が痛くなる。どうすればあんなに純粋に、あそこまで徹底的に、嫌なほうにだけ性格がねじ曲がった子供ができるんだ。

 魔法に熟練しているだけにたちが悪い。今後の伸び方にもよるだろうが、どう考えたって尋常なレベルの使い手じゃない。


 将来が楽しみというか、不安というか。

 いやそもそも、あの娘の成長した姿を見られるかどうかは、この瞬間のあがきにかかっている。ここで殺されてしまえば未来もクソもない。


「おーい、エッダー! 起きろー!」


 身を潜めつつ耳元で囁いてみるが、効果はない。頬をつねっても鼻をつまんでも微動だにしない。

 安らかな顔と寝息だけうかがえば、幸せそうに眠っているだけにしか見えない。


「ある意味、ものすごい大物なのかもしれん」


 呟きをかき消すように、ファビアンの声が響く。


「どこー! どこなのー! 寂しいから遊んでよー!」


 冗談じゃない。あんな奴の遊びに付き合っていたら、黒こげになっても終わらない。第一、お子様は寝ている時間じゃないのか。

 こちらの狙いは呪いの効果切れだが、それまで逃げ切れたものか。


 ファビアンは手当たり次第に魔法を連発しているように見せて、確実に俺の逃走ルートを潰している。

 猫が鼠を追い詰めるように、少しずつ少しずつ、敷地の奥まったところに誘導されている。


「小娘の考える戦法じゃねえだろ、なんていやらしい奴だ」


 わかっていても、隙を掻い潜ろうとするたびに、的確に魔法が飛んでくる。せめて向こうの思う通りにならないように散発的な反撃を織り混ぜて混乱を誘うことくらいしかできない。

 すべて、時間稼ぎ以上の効果はない。悔しさに奥歯が鳴る。


 ファビアンは、本当に楽しそうに笑っている。歯応えのある敵に出会えて、退屈がまぎれて嬉しいのか。

 あれだけ才を授かれば、たしかに日々退屈だろう。ハプニングを望む心も分からんではない。


 俺が万全の状態なら暇つぶしに付き合ってやるのもやぶさかではなかったが、今はそうはいかない。

 生意気少女の教育は後に譲って、とにかく身の安全図ることが第一だ。


 諦めるには早い。

 生きるためにやるべき多くのことが、まだまだ可能なのだ。おそらく。

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