26 予想外の振る舞いを受けることと、予想外の敵に出会うこと
「あ、エッダのこと、忘れてた」
蔵に放り込んだままだ。
入り口は正面と屋根付近の明かり取りの窓だけだから、何かあるとは思えないが、護衛対象から長時間目を離したままってのはよろしくない。
ディーターの馬鹿があたりの傭兵の命を無駄遣いしたせいで、結果的に包囲はゆるくなっている。このまま後続がなければ、逃げ切れる。
呪いの効果は軽くこそなっていないが、悪化も止まった。エッダを抱えて走るくらいの余力はある。街道まで出られれば、駆けているうちに解けるだろう。
「エッダ、エッダ! 無事か」
蔵の中に呼びかける。
「はーい、無事ですよー。物陰から見てましたが、すごいですね、レオンさん。めちゃくちゃ強いですね」
蔵の中は、重たるい闇に満ちている。しかしエッダは陽気だ。この状況で、暗闇に閉じ込められ、それでも凄惨な戦闘をのぞき見できるというのは、大した胆力だと言っていいのではなかろうか。
大きな瞳を細めて、にこっと微笑んでいる。俺は照れ隠しに、頬をかいた。
「なんかこう、救われるな」
「? 救われているのは私の方じゃないですか。ありがとうございます、生きてリリイ様に会いたいです、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げられる。
あれだけの命を刈り取った後だ、どうしたって気分は荒む。それでも、この少女の顔を見ていると、なんだか気が抜けてくる。
こういうのも天分、天稟の類だろうか。
「保護対象があんたみたいに明るくて肝が据わってる人でよかった、助かった」
「え、こんなところで告白ですか。気が早いですね。結婚します?」
「冗談は帰ってから言ってくれ、さあ、脱出するぞ」
塀の外にはまだまだ衛兵がいるだろう。脱出するのは口で言うほど楽ではない。命がけにはなる。それでも、ここで朝を迎えるよりはましだろう。
両頬に手を当てているエッダの手を引いて、踵を返す。引っ張った手に重みがなかったのは、エッダが自らこちらに飛び込んだせいだろう。
「は?」
「呪い、まだ解けてませんよね?」
「え、あ、ああ。まだ」
なぜかエッダを胸に抱く格好になってしまった。身長差があるので、胸のあたりにある顔を見下ろすことになる。
脱出のため、さっきから何度も抱き寄せた身体だが、状況が違えば心持ちも変わる。なんだかこう、気まずい。
いや、そもそも。
こいつは、何をしようというのか?
「レオンさん、キスしましょう」
「だからなんで――むぐっ」
反論をさえぎって、背伸びをして腕を首に回してきたエッダが、唇を合わせてきた。女の力だ、振りほどけないものではなかったが、それをするのも憚られる。
唇を割って、舌が差し込まれる。なまめかしく口内を動き回るエッダの舌は、見た目の印象に反して獰猛だった。
湿った音が、灯りのない蔵のなかに響いた。鼓膜を通して官能を刺激されるようだ。
見開いた目が、至近距離で視線を混じらわせた。エッダは茶目っ気と羞恥心を混ぜて、瞳だけで笑った。
「おいこら、待て、それどころじゃない!」
唇を強引にはがして、エッダと距離を取る。エッダはしばし陶然としていたが、やがて先ほどのふれあいの余韻をなめとるように、みずからの唇に舌を這わせた。
「じゃあ、私は走れませんので、抱っこをお願いします!」
ん、と両手をばんざいする。頭を抱えたい衝動に捕らわれたが、そんな贅沢をしている時間はどこにもない。
やむを得ずその身体を再び片腕に抱いて、蔵を出る。
「レオンさん、ほんとたくましいですね。私、こんな風に抱っこされるのははじめてですよ」
「俺も、あんたみたいな女に会ったのははじめてだよ」
「あらやだ。光栄です」
「いや、褒めてない」
蔵を出て、あたりを睥睨する。塀を越えるか、いっそ門を正面突破するか。
殺到する攻撃の量や角度を予測できる分だけ、かえって門のほうが危険が少ないかと判断しようとしたとき。
唐突に。
夜が死んだ。
「――!」
あたりを、膨大な光の洪水が流れていく。常人であれば光量を調節できずに目を開けていられない。影すら許さない、圧倒的な光。
網膜を痛めつけるその輝きの先に、魔力球が見えた。
「くそっ……!」
筋肉の断裂を覚悟で、横っ跳びに飛ぶ。限界を越えた稼働のせいで、ぶちぶちっと筋の切れる音が左足から届いた。何者かが俺たちに向かって光の魔法を放ったことは間違いない。
しかし間一髪、回避は間に合って、光球は俺の横をかすめて蔵に直撃した。即座に反射しあって、蔵の壁の一部が繰りぬかれたように空虚になった。
「ライトニング……!?」
光属性の魔弾、上級の魔法だ。ババアクラスとはいかなくとも、使い手に出会うのはなかなか難しいとされる。
しかもこの威力。
再び夜を取り戻した世界の中で、前方にたたずむ影に目を凝らす。間違いなく、術師はこいつだ。
ディーターなど問題にならない強敵であることは、間違いなかった。
「あ、むかつく。外しちゃった。なんでよーせっかくのとっておきだったんだから、あれであっさり死ねよ。超むかつくー」
「こ、子供……?」
リリイやゲルタよりも、さらに幼い。少女というより、幼女と言ったほうがいだろう。少なくとも、見た目はまだ十歳程度の女に見えた。
闇にも燃えるような緋色の髪を肩までに揃え、やはりマグマのような紅のローブをまとっている。
手にした杖の頭には、双頭の鷲。小さな耳を飾るイヤリングにも、胸に留めたブローチにも、精密な同じ意匠が施されている。
安い紋章ではあるまい。ということは。
「おい、エッダ、あの敵についてなにか情報は……」
言いかけて、口をつぐむ。俺の腕の中で、エッダは目を閉じていた。呼吸も脈も正常だから、生きてはいる。
いくらなんでもこの状態で眠れるほどの図太さではないだろうから、先ほどの回避行動のショックで気絶したということか。
「これは、まずいな……」
命がかかっていたから仕方がないとはいえ、左足を犠牲にしたのはまずかった。歩けない、走れないというほどのダメージではないが、瞬発力は目も当てられないほど低下する。
先ほどと同じレベルの魔法を連発されるということはなさそうだが、こちらの機動力を封じられたうえで、いまのステータスで相手にするには、あまりにも荷が勝ちすぎる。
「なんでよー、さっさと死んでよー。さっきので死んでた方がそっちもこっちも楽だったじゃんかよー。もー、空気読めないなー。ほんとだるーい!」
地団駄踏んで怒っていらっしゃるそのクソガキは、周囲に屈強な男たちを従えている。
信じたくはないが、この女――。
「せっかくあたしがさー、ファビアン様みずからがさー、出向いてあげたのにさー。あー、不快。まじ不快」
ファビアン。こいつが、この屋敷の主。
ファビアンって男の名前じゃねえか、こんな幼女が相手だと思うかよ普通。詐欺だ。
「でもー、なんか眠気も覚めちゃったし。どうせだったら、もうちょっとくらい楽しもうね、おにーさん」
めちゃくちゃ嗜虐的な笑みを浮かべて近寄ってくるファビアン。なんか別の趣味に目覚めてしまいそうな気がする。
というか、周囲の男たちのファビアンを見る目があやしい。あいつら、すでにその手の趣味に目覚めているのか。
「おにーさん呼ばわりは光栄だな。おじさんじゃなくてほっとしたぜ」
「あれー、意外と余裕があるんだね。かっこいー」
ふざけんな。余裕なんてとっくに底を払ってる。売ってくれるなら買いたいくらいだ。
背筋を、冷たい汗が流れていく。俺の勘が告げている。
こいつには、今の俺では、勝てない。




