22 警戒の厳しいある商家の屋敷に侵入すること
「奴隷は、なにをもって奴隷とするか、知っているか?」
ババアに拾われた翌日、はじめてかけられた声がそれだった。
元の雇い主にいたぶられた身体の傷はすでに癒えていた。生死をさまよう重傷だったはずだが、ババアの膨大な魔力の前では傷の程度など意味はない。通常の回復魔法では治らないとされる古傷まで、きれいさっぱりなくなっていた。
なにしろ千年にひとりの大賢者さまだ。
それでも、死者の蘇生だけはなしえないのだと、そんなことを聞いたのは、それから数年たってからのことだ。
「なにをもって奴隷とするか……いえ、わかりません、ご主人様」
俺の返答が気に喰わなかったのか、ババアは盛大に舌打ちして、俺の脇腹に鋭いミドルキックを繰り出した。無防備なところに魔力で身体強化されたババアキックをまともに喰らったものだから、俺はそのままうずくまった。
が、怒りは湧かなかった。当時の俺は、そうした扱いに慣れ切っていたのだ。
「覚えておきな。あたしはその、大して考えもしないうちに言われる「わかりません」がこの世でもっとも嫌いなんだ。さあ、もう一度考えて言ってみろ」
言いながら、回復呪文をかける。詠唱を必要としないことにも驚いたが、なによりも、回復させるならなぜ蹴ったのだ、という疑問が沸いた。
もちろん、口にはしない。
「ご主人様の命令に、絶対服従であること、ですか」
「ふむ。もう少し詳しく言え」
「自らの行動や価値判断に、意思を持たないことが、奴隷の条件だと思います」
「へえ、なんだい、意外とそれっぽいことを言う。生来の奴隷にしちゃ、頭の働きは鈍くないんだね」
無言で受けた。そう大したことではない。それはただ、俺が主人の不興を買わないために、自ら律していただけの決まり事だ。
ババアは指をたてて、俺の額を差した。肌の上に透明な膜の気配を感じると、わずかに熱がこもり、やがて霧消した。
契約だろう。
その瞬間に、俺はババアの奴隷になった。
「奴隷とは、人間の形をしたモノだ。所有物だ。つまり、お前の身柄はお前のものではなく、お前の意思はお前のものではない。金輪際、お前はあたしの許可なしに、呼吸することさえ許されない。だれかのものになるとはそういうことだ。わかるか?」
「わかります」
「逆に言えば、奴隷の身分とはそれだけのことだ。お前には自由がない。しかし、あたしの許しさえあれば、お前はなんでもできる。お前よりもあたしの意思が上にある。それだけのことさ」
言っていることがよくわからなかった。だから無言を通した。
「奴隷はモノだ、人間じゃない。あたしは人間が嫌いだ。他のなによりも人間が大嫌いだ。だから奴隷を傍に置く。お前を傍に置くことにした。だからといって、あたしがお前を愛してはいけないことにはならない。わかるか?」
「わかりません」
「それでいい。質問には素直に答えろ。あたしは人間が嫌いだから、お前を人間扱いはしない。お前に名を与えず、お前に自由を与えない。そして、お前が何を望もうと、あたしの魔法でお前を生かし続ける。この先、数百年」
「数百年……」
「いやか?」
俺は少し考えてから、首を横に振った。
「そう思う権利を与えられていません」
「そう、それが奴隷だ。お前から人間であることを奪う代わり、あたしはお前を愛するだろう。あたしだけのやり方で。それでいいな?」
「はい」
誰かに従うことは楽だった。強い言葉に縛られ、指示を与えられ、責任を持たず、誰かのために生きる。それは、俺にとっては楽なことだった。
なにしろ、それ以外の生き方を知らなかったのだ。自分として生きるということを知らなかった。そう望むことを奪われた。
ババアに拾われる前から、俺はとっくに人間ではなかった。隷属し、隷従し、服従するだけのモノだった。
ババアは、そんな俺に、三百年かけて、輪郭を刻み込んだ。
なんて酔狂な道楽だったのだろう。ババアは俺を鍛え、俺の性格を捻じ曲げ、注意深く俺という芽を伸ばし続けた。彼女なりの愛し方とは、きっとそういうことだったのだ。
ババアは人間が嫌いだった。だけど、ババアは人間だった。大賢者だろうがなんだろうが、ひとりの人間だった。だから俺を買ったのだ。
だって、独りは寂しいじゃないか。
いま、俺はもう奴隷ではない。リリイは俺を従者として扱ってくれている。しかし、俺はあの日のババアの言葉を覚えている。
俺はまだ、俺であることを知らない。俺ではない何かに従うことで、呼吸をする意味を求めている。
だから奴隷なのだ。俺はまだ。
いつか、俺が、俺という人間を取り戻すまで、俺は奴隷を自称し続ける。
それは、俺に与えられた罪であり、罰なのだ。きっと。
***
昼を欺くかがり火が、盛大に焚かれていた。あたりには木の爆ぜる音が満ち、黒煙が夜の闇を濃くしている。あかあかと燃える炎が、足元に重い影を作った。
イエーナにたどり着くまでに費やしたのは、一時間程度。息切れをおさめてから、慎重に屋敷の様子をうかがった。
屋敷を囲む塀は途切れなく、門には数人の衛兵が並ぶ。普段からこれほどの防備を敷いているのか、捕らえたエッダの奪還を警戒しているのか、なにか他に事情があるのか。
いずれにせよ、普通の商家では考えられない物々しさだ。
「塀を越えて忍び込むのは難しいな」
遠目から様子をうかがった結論だった。
見つかってもいい、突入さえできれば、というのが目的ならばそれも手段として取り得たが、今回はそうではない。
侵入、あるいは襲撃を知られれば、即エッダの身に危険が迫る。屋敷内のどこに彼女が匿われているかがわからない以上、隠密行動は絶対だった。
派手に戦闘をして蹴散らせばいい、というものではない。
「ふむ。穴は……あの辺りか」
屋敷を遠巻きにして、幾度か見て回る。月も落ちない真夜中だというのに、衛兵たちの士気には揺らぎがない。アスムスの屋敷ほどではないが、下手な貴族の城よりも警戒が強い。貧乏貴族の城よりも豪商の方が財産を蓄えているという話だから、当然と言えば当然か。
とはいえ、兵士の練度にはバラツキがある。等しく訓練をした間柄というわけではなく、金で雇った傭兵たちの集団だろう。それならば、連携という弱点があるはずだ。
「これ以上、様子を見ても無駄か。行くしかないな」
出入りの商人たちが使うのであろう裏口は、ちょうど他の見張りたちの位置から死角になっている。立っているのは二人。声を出さずに仕留めてしまえば、他の連中に気取られるまでいくらか時間が稼げるはずだ。
かがり火の前では気休めだが、念のために雲が月を覆うのを待ってから、駆けだす。ひゅっと息を吸い込んで、塀沿いにわだかまる影を縫って接近した。
「……!」
「……っ!」
近づいてきた影に気づいた衛兵が声を上げようとした瞬間、喉に手刀をぶち込んだ。すかさずもう一方の首を絞める。気絶寸前、咄嗟に振るった槍の穂先が俺の頬に一筋の傷跡を引いた。
音を立てて倒れそうになった槍を、足で受け止めてそっと地面に置きなおす。
「ふうっ」
止めていた息を吐き出して、頬の血を指で拭った。ふたりとも殺してはいないが、すぐに目覚めるようなダメージでは済まないだろう。
何とか声を出させずに無力化できた。第一関門はクリアだ。
二人の身体を抱えて、裏門をくぐる。立派な庭の木の根元に横たえてから、屋敷の様子を伺う。
「くそ、厳しいな」
屋敷内にも、見張りが多い。おまけに、思っていたよりも広い。
時間との勝負になりそうだった。
「……よし」
ならば、ちょっと小細工しよう。




