赤い月
~Side・Scarlet~
あの日は、お母さんと喧嘩したの。だからカッとなって出て行っちゃって。辺りはもう薄暗かった。
でもすぐ帰るなんて負けたみたいでいやだった。しばらく公園で時間をつぶして、耐えきれなくなるまで待ってから帰ったわ。
その日は月が大きくて、明るかったの。だから、そんなに怖くなかった。
それに、特別な月だったのだって。お母さんが教えてくれたの。今日の月は果物の名前の、かわいい月なのって。だから怖さも半減ね。
でも、帰ったおうちはなぜか暗かった。出ていったときは、どうだったかな? まだ、電気をつけてはいなかったかもしれない。
変な感じはしたけれど、これ以上外になんていられなかったから、そっとおうちを覗いたの。
ただいまって言ったけど、返事はなかったわ。きっとお母さんがまだ怒ってるって思って、出した声が小さかったのね。
もう一回、もっと大きな声でただいまって言ったの。それでも返事はなかったわ。
怖かったの。いつもと違う暗いおうち、いつもと違う静かなおうち。
急いでおうちに入ったわ。小さなアパートだったから、部屋なんて大したもんじゃない。それにお母さんは、入ってすぐのキッチンにいたの。
倒れて、いたの。
え、なんで? お母さん? なんか、ぬるぬるしてる? あ、違う、よね? なに、これ? おなか、赤、い? ちがう、これは、月の光で、ね? そうでしょう、お母さん? なんで、返事? お母さん? してよ、返事? どうして? 答えてくれないの? ねぇ? ねぇねぇ? お母さん? まだ怒っているの? 謝るよ、謝るから、ねぇ? ちゃんと私を見てよ、お母さん!!
その日は月が大きくて、赤かったの。私を見て、にやにや笑っていたわ。
~Side・White~
長期詠唱、久しぶりだった。なんだかとっても疲れた。心臓がギュっとする……。
覚えのある、痛み。これは、嫌だ。
瞼の裏に白い箱がちらついた。
白い箱。その一部は小さく四角く切り取られていて、青や白、茜色や紺色なんて色が流れていく……。
「「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!」」
ぱちん、とはじけるように、四角い箱が消えていった。
聞くに堪えない汚い声と、甲高い金切り声。
金切り声?
ハッとして正面に視線を向ける。クロが、落ちている。
片腕を天に伸ばして、聞いたことない高い声で叫んでる。もがくように足はばたつかせているのに、片腕だけはぴんと上に向けていた。
考える前に足が前に出る。走り出そうとしただけだった。普通の動作のはずだった。
「ッ!?」
それなのに、足を踏みしめた瞬間、痛みが全身を走った。鋭い痛みに、踏ん張ることができず床に転がる。
「フェンリルさん!?」
「え、何!?」
兎さんとアリスが駆け寄ってくるのが見えたけど、答えられそうにない。脂汗がにじむ。息が難しい。
「君はなんだ、体力か!? あー、もう! 考えなしの愚か者どもめ!!」
帽子屋が何か怒ってる。わからない。何? 痛い。苦しい。
グイっと無理やり体が起こされて、口に何か押し込まれる。苦い。液体? あ、ポーション?
「ぐっ、ふ、うえ……こふっ」
むせて、せき込む。背骨が少しきしんだ気がするけど、体中の痛みが嘘のように消えていった。
なんで?
「息をしろ!」
酸欠にあえぐ俺の背中を、誰かが撫でる。咳が止まらない。のどが痛い。肺が痛い。
でも、いい。そんなことより。
「クロっ、こほっ、クロは!?」
目の前にいた帽子屋に食って掛かってしまう。
「わからない。桔梗が受け止めたようだが」
慌てて立ち上がる。大丈夫なの? クロ、何があったの?
すぐに力が抜けそうになるけど、今度は踏ん張れた。膝がまだ少し笑ってる気がするけど、大丈夫、大丈夫。
不格好に走って、人をかき分けて、クロのところに。
「く……」
「やだっ、お母さん! 違うっ」
……。
あぁ、誰? 俺の、知ってる、クロじゃない……。
涙で顔をぐちゃぐちゃにして、クロはどこかに手を伸ばしている。必死にもがいて、暴れている。
いつもの俺の知ってる、格好良くて、凛として、だれにも負けない強いクロを、見つけることができなかった。
「ばっか、黒鷺! 落ち着けって!!」
桔梗さんがそんなクロを必死に羽交い絞めにして、暴れるのを押さえつけている。
「嫌ッ、離して!」
「……茜!!」
「ッ」
クロがはっとしたように暴れるのをやめて、恐る恐るといったように桔梗さんを振り返った。目は恐怖に見開かれていて、顔は真っ青だ。
アカネ……それは、クロの本名? 俺は、知らない。
「きり、しまさん……?」
「あぁ、そうだよ」
「きりしま、さん、きりしまさん、桐嶋さん……!!」
クロは暴れるのをやめて、桔梗さんに抱き着く。
きりしまさん……二人はリアルでの知り合いなのかな? ……ずるいな。
「月、月が……赤い月がね……」
「あぁ、わかってる。大丈夫だから、な。落ち着け?」
「月が赤くて……私……」
「あー、大丈夫、大丈夫」
クロの声はいつもより高い。泣いているのか、震えて弱弱しい。自分のことを、「私」って呼んでる。
誰だろう。クロだけど、誰だろう。
それが、リアルのクロなの? 俺が、入れない、世界なの……?
ぐっと唇をかみしめた。




