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『デジャブの先で、君にもう一度』~もし、あの日がもう一度訪れたなら~  作者: Toi
第2章 デジャブ

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2-7 「異常なし」

第七話


「神谷さん。」


朝比奈がデスクの前へ立った。


「もう帰ってください。」


パソコンから顔を上げる。


時計は午後八時半を指していた。


「あれ……。」


思わず声が漏れる。


「もうそんな時間?」


「はい。」


朝比奈は少し困ったように笑った。


「今日だけで三回話しかけました。」


「三回?」


「全部、気付いてませんでした。」


湊は記憶をたどる。


確かに誰かに呼ばれたような気もする。


でも、その記憶は曖昧だった。


「最近、少し無理してませんか。」


「そんなことないよ。」


「あります。」


迷いのない返事だった。


「神谷さん、仕事中に急に止まる時があります。」


「時間が止まったみたいに。」


その言葉に、胸がざわつく。


止まっている。


周りからも、そう見えているのか。


「今日は帰って休んでください。」


朝比奈はそう言って、自分の席へ戻っていった。



翌日。


湊は午前休を取り、脳神経外科を訪れていた。


受付を済ませ、問診票を受け取る。


名前。


年齢。


既往歴。


服用中の薬。


順番に記入していく。


最後の欄に目が止まる。


現在、一番気になっている症状をご記入ください。


ペンが止まった。


何と書けばいい。


頭痛じゃない。


めまいでもない。


ましてや、


“未来が見える”


なんて書けるはずがない。


しばらく悩み、


湊はゆっくりと書いた。


『知っているはずのないことを、知っているような感覚があります。』


自分で書いていても、意味が分からなかった。



診察室。


白髪交じりの医師がカルテへ目を落とす。


「神谷さんですね。」


「今日はどうされましたか。」


湊は少しだけ俯いた。


「説明が難しいんです。」


「大丈夫ですよ。」


「思ったまま話してください。」


医師は急かさず待ってくれた。


湊は深呼吸をする。


「知っているはずのないことを……。」


「知っている気がするんです。」


医師は静かに頷いた。


「例えば?」


「人が物を落とすことだったり。」


「転びそうになることだったり。」


「一瞬だけ、その先が分かる感覚があります。」


診察室が静かになる。


医師は少し考えてから尋ねた。


「その時、意識を失ったり、頭痛がしたりしますか。」


「いいえ。」


「手足のしびれは?」


「ありません。」


「最近、大きな環境の変化はありましたか。」


湊は少し迷った。


「恋人と別れました。」


医師はそれ以上深くは聞かなかった。


「念のため検査をしましょう。」



MRI。


神経学的な診察。


認知機能の簡単な確認。


一時間ほどで診察室へ戻る。


医師は画像を見せながら言った。


「脳には異常はありません。」


湊は小さく息を吐く。


安心した。


……はずだった。


「今回のお話だけで病気とは言えません。」


「強いストレスや疲労が続くと、現実感が薄くなったり、記憶や感覚に違和感を覚えたりする方はいらっしゃいます。」


「まずはしっかり休養を取ってください。」


「症状が続くようなら、また来てください。」


「……分かりました。」


診察室を出る。


病院を出ても、心は軽くならなかった。


異常なし。


その言葉が、逆に説明のつかないものだけを残していく。



帰り道。


駅前のカフェへ入る。


窓際の席へ座り、ノートを開いた。


一ページ目。


六月二十一日


書類が落ちることを知っていた。


二ページ目。


六月二十二日


二つの未来が見えた。


新しいページを開く。


ゆっくりと書く。


六月二十三日


病院。


脳に異常なし。


少し間を置き、その下へ書き足した。


じゃあ、これは何だ。


その文字を見つめていると、


「神谷さん?」


聞き覚えのある声がした。


顔を上げる。


朝比奈が紙袋を持って立っていた。


「あれ。」


「本当に神谷さん。」


「朝比奈さん。」


「偶然ですね。」


朝比奈は笑いながら向かいの席を指さした。


「座ってもいいですか?」


「もちろん。」


注文を済ませ、コーヒーを持って戻ってくる。


「病院だったんですか?」


テーブルの上の診察券が目に入ったらしい。


湊は少し迷った。


「健康診断みたいなもの。」


少しだけ嘘をつく。


朝比奈はそれ以上聞かなかった。


「よかった。」


「最近、本当に無理してるように見えたので。」


「少し安心しました。」


その一言が、胸に染みた。


「ありがとう。」


自然と口をついて出る。


朝比奈は照れくさそうに笑う。


「私、お節介なんです。」


「知ってる。」


湊も少しだけ笑う。


その笑顔を見て、朝比奈も安心したように微笑んだ。


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人が行き交う。


いつも通りの日常。


なのに。


自分だけが、少しずつ違う世界へ足を踏み入れている気がした。


その感覚だけは、


誰にも説明できなかった。

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