1-1 待つ時間も、デートだから
第一話
「着いたよー」
土曜の朝、目を覚ました神谷湊のスマートフォンに、白石結からメッセージが届いていた。
時計は八時三十二分。
待ち合わせは九時だ。
『早すぎない?』
そう返すと、すぐに既読がついた。
『大丈夫。待ってる時間もデートだから』
五年間付き合っているが、その理屈だけは今も分からない。
湊は急いで顔を洗い、着替えを済ませた。
駅前のベンチでは、結が小さな紙袋を膝に乗せて待っていた。
湊を見つけると、右目を少しだけ細めて笑う。
「おはよう」
「おはよう。ごめん、待った?」
「二十八分くらい」
「待ち合わせ前の時間まで数えるなよ」
「だって、もうデート始まってたし」
結は立ち上がると、紙袋から二つのパンを取り出した。
一つはクリームパン。
もう一つはカレーパン。
「どっちがいい?」
「カレーパン」
「やっぱり」
「じゃあ、なんで聞いたんだよ」
「もしかしたら、今日は違う方を選ぶかもしれないから」
結はそう言って、クリームパンの袋を開けた。
湊はカレーパンを受け取りながら笑う。
「五年一緒にいるんだから、もう分かるだろ」
「分かってても聞きたいことってあるよ」
その言葉に、湊は少しだけ首を傾げた。
結は気にした様子もなく、パンを一口かじる。
口元にクリームがついた。
「ついてる」
湊が自分の口元を指すと、結は反対側を拭った。
「そっちじゃない」
「じゃあ取って」
「子どもかよ」
文句を言いながらも、湊は親指でクリームを拭う。
結は満足そうに笑った。
こんな、何の意味もない時間が好きだった。
特別な場所へ行かなくてもいい。
大きな出来事がなくてもいい。
結とくだらない話をしているだけで、忙しかった一週間が少しずつ遠ざかっていく。
「今日はどこへ行くんだっけ」
湊が聞くと、結の笑顔が止まった。
「……本気で言ってる?」
「あ」
「水族館」
「覚えてたよ」
「今、思い出した顔してた」
結は頬を膨らませたあと、すぐに笑った。
その瞬間、ポケットの中で会社用のスマートフォンが震えた。
湊は画面を見る。
部下からの着信だった。
結も、その画面を見ていた。
「出ていいよ」
いつもの優しい声だった。
だから湊は、その言葉に甘えた。
「ごめん。すぐ終わるから」
通話ボタンを押しながら、結から少し離れる。
その時の湊は、まだ知らなかった。
分かっていても、聞いてほしいことがある。
笑っていても、気付いてほしいことがある。
そして、誰かが待ってくれる時間には、いつか必ず終わりが来ることを。




