2-5 「違和感」
第五話
その日も、仕事はいつも通りだった。
レビューを終え、佐伯と朝比奈へ修正内容を説明する。
「ここは例外処理を追加して。」
「はい。」
佐伯が頷く。
「朝比奈さん。」
「はい。」
「この設計なら利用者は迷わない?」
朝比奈は少し考えたあと答えた。
「迷います。」
「理由は?」
「説明が正しいことと、分かりやすいことは違うので。」
湊は少しだけ笑った。
「その通り。」
朝比奈も小さく笑う。
「神谷さんに褒められると、ちょっと嬉しいです。」
「まだ一回だけどな。」
「一回でもです。」
佐伯が横で苦笑いする。
「朝比奈さん、距離近いですよね。」
「そうですか?」
「自覚ないんです。」
そんな何気ない会話が流れる。
少し前までなら。
結に話したくなるような出来事だった。
『今日ね、新しい子が面白くてさ。』
そう送れば、
結はきっと笑ってくれただろう。
その相手は、もういない。
⸻
夕方。
コピーを取り終え、廊下を歩く。
向こうから営業部の女性社員が歩いてきた。
分厚いファイルを胸に抱えている。
その瞬間。
胸の奥がざわついた。
視界が、一瞬だけ揺れる。
女性がファイルを落とす。
書類が床へ散らばる。
周りの社員が拾う。
そんな光景が頭に浮かんだ。
次の瞬間。
現実へ戻る。
女性は何事もなく歩いている。
――違った。
そう思った、その時。
女性のスマートフォンが鳴る。
反射的に画面を見る。
足が止まる。
抱えていたファイルが傾く。
「あっ。」
バサッ。
書類が廊下いっぱいへ散らばった。
「すみません!」
女性が慌ててしゃがみ込む。
湊は動けなかった。
今。
見えた。
いや。
見えたというより。
知っていた。
「神谷さん?」
後ろから朝比奈の声がした。
「大丈夫ですか?」
「……え?」
振り返る。
朝比奈は少し心配そうな顔をしていた。
「今。」
「急に固まりましたよ。」
「そうか?」
「はい。」
「十秒くらい。」
そんなに。
湊の背中を、冷たい汗が流れる。
「疲れてます?」
朝比奈が首を傾げる。
「顔色、あんまり良くないです。」
「……大丈夫。」
そう答える声は、自分でも驚くほど弱かった。
朝比奈はそれ以上何も聞かなかった。
ただ。
少しだけ心配そうに湊を見ていた。
⸻
帰宅後。
ソファへ座る。
テレビもつけない。
スマートフォンも見ない。
静かな部屋の中で、さっきの出来事だけを何度も思い返す。
偶然。
そうだ。
偶然だ。
でも。
あまりにも鮮明だった。
「……何なんだ。」
誰もいない部屋で呟く。
返事はない。
その夜。
眠りにつく直前。
廊下へ散らばる書類が、何度も頭の中で繰り返された。
そして初めて。
湊は、自分の身に起きていることを、
「疲れ」の一言では片付けられない気がした。




