2-4 「他愛もない日常」
第四話
月曜日。
出社すると、いつものように佐伯が席までやって来た。
「神谷さん、おはようございます。」
「おはよう。」
「今日のレビューなんですけど。」
「十時からでいいか?」
「お願いします。」
佐伯が自席へ戻ろうとした、その時だった。
「佐伯さん。」
後ろから女性の声がした。
「例の資料、印刷終わりました。」
「ありがとうございます!」
振り返る。
入社三年目。
朝比奈澪。
開発部所属。
最近、プロジェクトへ異動してきたばかりのシステムエンジニアだった。
「神谷さん。」
佐伯が紹介する。
「朝比奈さんです。」
「よろしくお願いします。」
朝比奈は軽く頭を下げた。
「朝比奈です。」
「レビュー、いつも佐伯さんから聞いてます。」
「そんな大したことしてないよ。」
「いや。」
朝比奈は真顔で首を振る。
「結構怖い人って。」
横で佐伯が吹き出した。
「違います違います!」
「そこじゃないです!」
「厳しいけど優しいって言ったじゃないですか!」
「あ、そこ省略しました。」
「一番大事なところ!」
朝比奈は悪びれもせず答える。
湊は思わず笑ってしまった。
久しぶりだった。
仕事以外で笑ったのは。
「神谷さん。」
朝比奈が不思議そうに言う。
「笑うんですね。」
「……失礼だな。」
「すみません。」
「もっと無表情な人かと思ってました。」
佐伯が慌てて話題を変える。
「じゃあ十時に会議室で!」
「資料持っていきます!」
二人が去っていく。
湊はパソコンを開いた。
ふと、さっきの会話を思い出す。
“笑うんですね。”
その一言が少しだけ可笑しかった。
⸻
午前十時。
レビューが始まる。
朝比奈も同席していた。
設計書の説明を聞きながら、湊は赤ペンを入れていく。
「ここの例外処理だけ。」
「考え方は合ってる。」
「でも利用者は分からないから。」
「エラーメッセージを変えよう。」
朝比奈は必死にメモを取っていた。
レビューが終わる。
佐伯は満足そうに頷く。
「やっぱり分かりやすいですね。」
朝比奈も小さく頷いた。
そして。
「一つだけ質問いいですか。」
「どうぞ。」
「神谷さんって。」
少しだけ考えて続ける。
「人にはすごく丁寧ですよね。」
「でも。」
「自分には、あんまり丁寧じゃないですよね。」
会議室が静かになる。
佐伯が目を丸くした。
「朝比奈さん!」
「いや、その……。」
朝比奈もようやく空気に気付いたらしい。
「あ。」
「今の失礼でした?」
「かなりな。」
佐伯が頭を抱える。
朝比奈は慌てて頭を下げた。
「すみません!」
「思ったこと、そのまま言っちゃいました。」
湊は少しだけ笑う。
「いや。」
「面白いな。」
そう言うと、朝比奈は安心したように息を吐いた。
「よかった。」
「嫌われたかと思いました。」
「初日でそこまで言う人、初めて見た。」
「よく言われます。」
朝比奈は照れくさそうに笑った。
その笑顔を見ながら、湊は思った。
結とは、ずいぶん違う人だ。
結なら。
こんなことは言わない。
思っていても、きっと胸の中へしまってしまう。
そんなことを考えた自分に気付き、少しだけ苦笑いした。
比べるのは失礼だ。
そう思っても。
まだ僕の中では、
誰かを知ろうとするたびに、
結という物差しが、静かに現れてしまうのだった。




