2-1 「残されたもの」
第一話
朝、目が覚めた。
反射的にスマートフォンを手に取る。
時計は六時四十分。
いつもなら、この時間には通知が一件届いている。
おはよう。今日も頑張ろうね。
もう届かない。
それでも指は癖のようにLINEを開いていた。
一番上には、まだ結の名前がある。
昨日まで恋人だった人。
今は、もう違う。
最後のやり取りを開く。
今日はありがとう。
すごく楽しかった。
その下には、自分が送った返信。
また行こう。
結から返ってきたのは、一文字だけだった。
うん。
湊は画面を閉じた。
これ以上見ていると、本当に終わってしまった気がする。
⸻
洗面所へ向かう。
歯ブラシが二本並んでいる。
青と、白。
白い歯ブラシを見つめたまま、しばらく動けなかった。
捨てよう。
そう思う。
でも、手が伸びない。
「……まだいいか。」
誰に言うでもなく呟く。
そのまま家を出た。
⸻
会社では、いつも通りだった。
「神谷さん、おはようございます!」
「おはよう。」
資料を確認する。
会議へ出る。
レビューをする。
部下へ指示を出す。
笑うこともできた。
冗談も言えた。
だから周りは誰も気付かない。
昨日、恋人と別れたことなんて。
⸻
帰り道。
コンビニへ寄る。
パン売り場の前で足が止まる。
クリームパン。
カレーパン。
思わず笑ってしまう。
「今日はどっち?」
結の声が聞こえた気がした。
湊は何も買わず、売り場を離れた。
⸻
部屋へ戻る。
玄関を開ける。
「ただいま。」
返事はない。
当たり前なのに、その静けさだけが耳に残る。
冷蔵庫には、水族館で買ったペンギンのマグネット。
その横には、旅行先で集めたマグネットがいくつも並んでいた。
『旅行の思い出だから。』
結はそう言って、行く先々で必ず一つ買っていた。
湊は冷蔵庫にもたれかかる。
部屋の中を見渡す。
結はいない。
なのに、結が選んだものだけは、どこにでもあった。
ソファ。
マグカップ。
クッション。
観葉植物。
生活の中に、結が残っている。
「……ずるいだろ。」
思わず笑う。
でも、その笑顔はすぐに消えた。
⸻
夜。
棚の上に置かれた白い封筒が目に入る。
別れの日。
結が最後に渡した封筒。
『湊が、本当に向き合いたいって思えた時に読んで。』
手を伸ばす。
封筒に触れる。
ほんの少しだけ持ち上げる。
だけど。
元の場所へ戻した。
「まだ……無理だ。」
読んでしまえば、本当に終わる。
そんな気がした。
部屋の明かりを消す。
暗闇の中で目を閉じても、眠れない。
浮かぶのは、水族館で笑う結の顔ばかりだった。
「また行こう。」
あの日、何気なく送った一言。
それが、もう叶わない約束だったなんて。
あの日の僕は、少しも思っていなかった。




