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1-10 「違和感」

第十話


水族館を出る頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。


「楽しかった。」


結は大きく背伸びをする。


「今日は歩いたな。」


「二万歩くらい?」


「そんなに?」


「たぶん。」


「またたぶんか。」


二人で笑う。


駅まで続く遊歩道。


潮の香りを乗せた風が、ゆっくりと吹き抜ける。


どちらからともなく手を繋いだ。


五年前は恥ずかしかったその距離も、今では自然だった。


「ねぇ。」


結が繋いだ手を少しだけ握る。


「覚えてる?」


「何を?」


「初めて手を繋いだ日。」


「覚えてるよ。」


「嘘。」


「本当だって。」


「じゃあ、どこ?」


湊は少し考える。


「あ……。」


言葉に詰まる。


横浜だった。


いや、お台場だったか。


映画を観た日だった気もする。


「ほら。」


結が笑う。


「忘れてる。」


「違うんだ。」


「思い出せそうなんだけど。」


「いいよ。」


結は少し笑った。


「私が覚えてるから。」


その言葉に、湊は少しだけ胸が痛んだ。


「ごめん。」


「謝らなくていい。」


「二人で一つ分覚えてれば、それで十分。」


そう言って、結は笑った。


その時だった。


目の前を、小さな男の子が駆け抜ける。


赤い帽子。


黄色いリュック。


転びそうになって。


母親が名前を呼ぶ。


「ゆうた!」


その瞬間。


胸の奥がざわついた。


――知っている。


なぜか分からない。


でも、このあと。


男の子は振り返って笑う。


そう思った。


次の瞬間。


男の子は本当に振り返った。


「ママー!」


笑いながら手を振る。


母親も笑う。


湊は立ち止まった。


「……え。」


「どうしたの?」


結が不思議そうに顔を覗き込む。


「いや……。」


今のは何だ。


偶然?


見たことがあった?


違う。


初めて見る親子だ。


なのに。


「大丈夫?」


「うん。」


湊はそう答えた。


でも、胸のざわつきは消えなかった。


初めて見る景色だった。


初めて見る親子だった。


それなのに。


ほんの数秒先の出来事を、知っていた気がした。


その時の僕は、まだ知らなかった。


あの日感じた小さな違和感が、


この先の人生を、大きく変えていくことを。

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