第14話 油断
一日ぶりの境界層は雨だった。
現実世界も雨。
境界層の雨は、現実のそれと少し違う。
雨粒が肌を直接濡らすことはない。
水滴というよりはノイズだ。
現実世界で雨が降ると、その影響が境界層にノイズとなって現れる……ような感じだ。
根拠のある証明ができるわけではなく、体感というか、体験、なんとなくの直観、説明するのは難しい。
けれど現象として、路面は濡れてぬかるんでいくし、だんだん服も湿ってくるのが少し厄介。
現実世界の歪んだ写し鏡のような境界層に太陽はなく、薄曇りのような明るさが常。
昼夜もない。
雨の時は、ノイズに遮られるような感じで、暗く感じる。
一説には、魔法少女は光の反射ではなく、ルミナの反射を視界に捉えているからだそうだ。
特災庁の研究所が出している論文のどれかに、そんな感じの内容があった。
境界層と現実世界は一対一の対応ではないので、現実世界が雨だから入った先の境界層も必ず雨、というわけではないし、入った瞬間、嵐だった、なんてこともある。
あまりにも条件が悪い時は即時撤退だけれど、しとしと程度の雨なので活動続行だ。
『ひとりで戦わないで欲しい』
セラ様が配信で言ってた言葉が、胸の内によみがえる。
そのご希望には、まだ、お応えいたしかねます。ごめんなさい。
学校では、スター・ホワイトがデビューする事務所がどこになるかの予想投票をやっていて、杏奈はそっちで盛り上がっていた。
あいつらホント好きだよな、そういうの。
スター・ホワイトの話題じゃなければ、私も参戦したいところだった。
ただ、私が語り出すとなぜか気まずい空気になるので、杏奈以外とはあまり魔法少女の話はしない。
美宙は「あーちゃんだからね、仕方ないね」というが、どういうことだ。
一方的に語るのではなく、語り合いたいのに。
いや、別にいいんだけど。
余計なことを考えすぎないように、周囲を見回すついでに、軽く頭を振る。
撥水加工されたウィンドブレーカーの表面を雨粒のようなものが滑っていく。
フードは被らない。感覚が遮断され過ぎるし、視界も狭くなる。
今日のコソコソ活動は、放課後にやってるルーティンのものだ。
私が住んでいる区域に警報は出てない。
けれど、境界層で隔獣が出現しない日はない。
接続点から境界層に入り、この二年余りで確立した巡回ルートを回る。
ジャージの裾が、撥ねた泥水で汚れる。
砕けたアスファルトの残骸が散らばる路面は泥濘のようになっている。
やることは単純だ。
ルートを慎重に歩きながら、ルミナを薄く薄く延ばすように広げ、泥を固めたような嫌な感触のする澱みがあれば見に行く。
近くまで行けば、澱みの濃さがはっきりするので、隔獣になってたら駆除、なりそうだったら待って駆除。
澱みが既に隔獣になって移動を始めてたら即撤退。
動き出した隔獣は、特災庁の監視網に引っかかるから、すぐに魔法少女がとんでくる。
コソコソ活動の私が手を出す領分じゃない。
そうしてルーティンのコソコソ活動を始めて三十分ほど。
ルミナをとばして、足場のしっかりしたところを確認しながら進んでいると、少し離れたところに強いルミナの反応と、澱みの嫌な感触の反応、両方を感じる。
意識的に探索ルミナを濃くして距離を測ると思ったよりも近い。
即撤退案件なのだが、なんだか胸がザワザワする。
方向だけを確認し、射線が通りそうな高さのあるビルに目星をつけ、背負った狙撃銃のスリングをしっかり保持して走る。
強いルミナ――おそらく魔法少女の反応が芳しくない。
一分ほどで、形だけで中身のない廃ビルの屋上に辿り着くと、反応があった方向を確認しながら、背中から狙撃銃を下ろして構える。
光った。
スコープを覗いて光ったあたりを見る。
いた。
隔獣のタイプは、鹿型。頭部から大きく枝分かれしながら広がる角状パーツを盾のように使ってくる厄介なやつ。
魔法少女が放った白い花びらの塊みたいな攻撃は、軽く振られた角にあっさり散らされる。
一目で分かるほどの劣勢だ。
伏射姿勢をとってる猶予はないので、腰を落として片膝を立て、膝射の姿勢をとる。
イメージする弾種は衝撃重視。
距離七百メートル。射線は通っている。
スコープに捉えた鹿型隔獣。後ろ脚に重心が乗る瞬間にトリガーを引く。
腰のあたりで白い光が爆ぜ、突進しようとしていた隔獣の動きが止まる。
ボルトを操作し次弾を送り込んでトリガーを引く。
再び光が爆ぜる。
魔法少女が魔法のタメ動作に入る。判断が早い。
白い花びらの魔法、長いローズピンクのリボン、魔法少女ヴァイセ・ブリューテ。
連続でボルトを操作し、トリガーを引き続ける。
隔獣は生物じゃない。生物っぽい重心があるような挙動をするので、動きを読むのには役立つが、生物らしい重心があるわけじゃない。
脚三本吹き飛ばしても、脚があるみたいに突進してくる理不尽なヤツだ。
コアを破壊するか、存在維持限界を超えるまで攻撃を叩き込むことでしか駆除できない。
ヴァイセ・ブリューテは、私の攻撃が隔獣の動きを止めることはできても、倒すには至らないと即座に判断し、その上で姿も見えない私の援護を信じて大技に入った。
思い切りの良さがすごい。
六発撃ったところでマガジンをリリース、落ちかけるマガジンに手を添えて叩き戻し、ボルトを引いて射撃を続ける。
いや交換してないだろって? 魔法の武器だよ!
ルミナで構成される武器は、本人のイメージ次第。想像力で何にでもなる。
けど、なんでも良いわけじゃない。
コソコソ活動するつもりの私には、キラキラの星が飛ぶ魔法のステッキではなく、距離二千メートルの狙撃もできる信頼性抜群の狙撃銃と貫通力抜群のマグナム弾、がイメージしやすかった。
そしてイメージが強固なほど少ないルミナで実現できるし、隔獣へのダメージも上がる。
最初の頃は、そのあたりのイメージが貧弱だったけれど、ネットで調べた写真と知識で補強した今は、とても頼れる相棒だ。
その相棒にも欠点はある。
射撃のたびに、弾を込める動作が必要なこと、マガジンが空になったら、マガジンをリリースする動作が必要なこと。
あと、重さが七キロ近くあること。これは、射撃の安定感に寄与するところもあるので良し悪しだけど。
そのあたりは、調べた知識がイメージの枷となってしまった部分。
十一発目を撃ったところで、ヴァイセ・ブリューテの魔法が炸裂する。
スコープの中の隔獣が、白い花びらの奔流に呑み込まれ、黒い靄になって解け、薄れていく。
少しスコープをずらすと、両膝に手をつき、大きく肩を上下させているヴァイセ・ブリューテの姿が見える。
助けになれた、のかな。
よかった。
小さく息を吐き、膝射の姿勢を解いて緊張でこわばりかけていた肩の力を抜く。
ヴァイセ・ブリューテ。
ファーストナイトから半年前にデビューしたばかりの魔法少女。
同じ事務所の先輩、キルシュ・ツァウバーが推し。
ただし、推しなのはあくまでも魔法少女のキルシュ・ツァウバーで配信専となった今の姿――キルシェ先生は対象ではないらしく、配信コメントにキルシェ先生の話が出ると露骨に機嫌が悪くなるとか。
そんな、ちょっとめんどくさいオタクのにおいがする魔法少女だ。
推したい。
今度、配信に応援コメント書き込もう。
とめどない思考に、気が抜け過ぎていた、と気づけたのは偶然だった。
なんとなしに放ったルミナ感知に間を置かずイヤな気配が入り込む。
ほとんど無意識でとっさに前に飛び込むように前転したのと、背中に氷柱を入れられたような感覚が襲ってきたのは、どっちが先だったか。
そこからさらに横っ飛びする私の横スレスレを、画面のそこだけを黒く切り取ったような漆黒の塊が、圧力を伴って通り過ぎていく。
隔獣!
至近距離!
狙撃銃は……!? 手放してない! よし!
周囲……屋上……狭い!
すぐ近くに空間の歪みがあったなんて……!




